47.第五章八話
その日は、天気がとても良かった。朝から暖かい空気で、シャーロットの心も穏やかなものだった。
本来の起床時間であるその時刻。すでに目を覚まして自室で一人、ゆったりと過ごしていたシャーロットは、窓を叩く――いや、つんつんとつつく音に気づき、音が聞こえた方に顔を向けた。
窓の外には藤色の鳥。窓枠に足をかけ、くりくりの黒い目でシャーロットを見つめている。
「おいで」
そう招けば、鳥は閉じられている窓をすり抜けてパタパタとこちらに飛んできて、シャーロットの指にとまる。
魔術で作られた鳥なので重さはほとんどないけれど、感触も動きも本物に近い。毎度その愛らしさに心が安らぐ。
可愛らしく首を傾げる鳥の頭をそっと撫でると、鳥は光の粒となって空を舞い、文字を形成する。
〈順調だ〉
その短いメッセージに、シャーロットは満足そうに目を細めた。
「了解よ」
そう告げると、文字はふわりと霧散して消える。
何度見ても、魔術は不思議で魅力的な現象だ。
(結局、手伝ってもらうことになってしまったわ)
シャーロットはどうしても行動が制限されてしまうので仕方のないことではあったけれど、彼――エセルバートがシャーロットの計画に協力したいと申し出をして引き下がらなかったので、最終的には折れるしかなかった。おかげで思い通りに事が進んでいる。
過酷さが増した生活で倒れずに済んでいるのも彼の魔術があってこそだ。意地を張らずに申し出を受け入れて正解だったと言える。やはり魔術とは便利だと身に染みたし、改めてとても興味が湧いた。
もう一口紅茶を飲もうとティーカップを持ったところで、外から足音が響いてきた。これは一人や二人分程度のものではなく、かなりの人数の足音だ。朝から平常とは異なる動きである。
けれどシャーロットは気にすることなく、ティーカップに口をつけた。一口飲んで、自ら淹れた自身の好みに合わせたその味に思わず小さく笑みが零れる。
侍女が淹れる紅茶はいつも、ジュリエットが好きなものの中から勝手に選択されていた。砂糖やミルクの分量も同様だ。というより、ジュリエットが今日はこれ、明日はあれと、シャーロットの侍女に何を淹れるか指示を出していたのだ。『お姉さまはわたしと同じものが好きだから』と。そのため、シャーロットは出された紅茶が美味しいと感じられたことはなかった。
それほど嫌いではなかった紅茶であっても、ジュリエットの願いで出されたものだと思うとどんどん嫌悪感が強くなっていくのだから、シャーロットにとってジュリエットがいかに受け入れがたい存在に成り果てたかということを実感させる長い日々だった。
本当に、長かった。
ティーカップをテーブルのソーサーに戻したところで、部屋の扉が勢いよく開けられた。許可も得ずに部屋に立ち入ってきた突然の訪問者に視線を向ける。
後ろに騎士を引き連れているその男は、冷然とシャーロットを見据えていた。
恐ろしいほどまでに整った顔立ちは、相変わらずシャーロットとよく似ていた。いや、シャーロットが彼に似たのだ。非常に不本意ながらどうしようもないことに、似て生まれてしまったのだ。それがシャーロットの不幸の原因の一つだった。
「シャーロット・カリスタ・リーヴズモア。お前に国家反逆の容疑がかかっている」
温度のない声音を放ったその男は、フレドリックである。フレドリックが自らシャーロットの自室に出向くのは、もしかしたら初めてなのではないだろうか。
「弁明はあるか」
「――いいえ」
悠然と微笑み、シャーロットは続けた。
「どこまで掴んでいるのかは知りませんけれど、恐らくすべて事実であると思いますわ」
悪びれる様子もなく紡がれた言葉に、フレドリックの纏う空気は更に冷たく鋭いものとなり、射殺さんばかりにシャーロットを睥睨した。
並みの精神力であれば恐怖のあまり卒倒してもおかしくないであろう状況で、シャーロットはまったく震えることなくただただ余裕そうで、大変美しく、心情の読めない笑みを湛えている。
だてに長く後継者として下についていたわけではない。娘として接してもらった記憶はなく、フレドリックの相手を圧倒する強烈な覇気も、容赦のない冷酷な眼差しも、すべて数えられないほど向けられてきた。
その経験があるのだから、今更、恐怖など微塵も感じたりしない。
「お前が私のやり方に不満を抱いていることは感じていたが、これほど愚かな真似をするとはな。王族としての誇りを捨てたか」
フレドリックが冷たく吐き捨てる。
失望や軽蔑を含んだこの翡翠色の瞳も、もう見慣れている。今向けられているそれはこれまでの比ではないけれど、だからこそ愉快でもある。
未だ、この男は気づいていないのだ。シャーロットの真の動機に。
「やはり甘やかし過ぎたな」
「……」
愉快、は取り消すべきかもしれない。
甘やかされた記憶はないのだけれど、フレドリックはシャーロットへの指導が甘かったと常々感じていたようだ。
改めて価値観の違いを実感させられる。こういう人間とは、どこまでも相容れないのだと。
「王家のお家事情は一般のそれとは影響力が遥かに異なるものだと、わたくしは重々承知しておりますわ。その認識が甘いのはむしろ陛下だったのではないでしょうか」
「なんだと」
声の低さが増したフレドリックとは対照的に、シャーロットは頬に手を添えて優美に笑みを深める。
「ご自身に悪いところがあったとは微塵も思っていないのでしょう。そうでなければ、そんな顔はできませんものね」
「私のせいだと言いたいのか」
「陛下もかつては先王や陛下の兄のやり方が気に食わなくて反乱を起こしたのですから、わたくしも同じです。陛下やこの国の在り方に納得がいかなくて壊そうとした。それだけのことですわ。別にわたくしの行動を正当化するつもりもございません」
まっすぐにフレドリックを見つめる。
「リーヴズモアの血筋とは、こういうものなのでしょうね」
また、フレドリックの雰囲気が剣呑さを増した。
「――拘束しろ」
王太女の国家反逆の疑い、そして怯む様子などなく落ち着き払った態度で本人がそれを肯定した事実に、騎士達は戸惑ってしまっている。しかし国王の命令に背くことなどできるはずもなく、また罪を認めたシャーロットを庇う理由もなく、彼らは彼らの役目に従い、シャーロットを拘束せざるを得なかった。
抵抗せずに立ち上がったシャーロットが自ら差し出した手首を、縄で繋いで不自由にする。
「今この時をもって王太女の地位を剥奪。サージェント侯爵令息との婚約も破棄とする」
実の娘に向けているとは思えないほどの軽蔑を全面に出し、フレドリックは「連れて行け」と告げた。




