45.第五章六話
翌日、シャーロットはフレドリックの執務室に呼び出されていた。
執務室に立ち入った瞬間、悪い空気感を察知せざるを得なかった。フレドリックが見るからに不機嫌だ。
「エセルバート殿から縁談の申し入れがあった。お前相手にだ」
執務机の上には縁談のものらしき書簡が置かれている。昨日の今日で行動が早い。
いや、エセルバートのことだ。この書簡自体は以前から用意していたのかもしれない。
「昨夜のパーティーで二人とも姿がない時間帯があったな」
「エセルバート様といました」
ダンッ! と怒りに任せて机が叩かれる。
「お前は婚約者がいながらどういうつもりだ!? エセルバート殿も、婚約者がいる相手に縁談など……!」
「この婚約にはメリットがあります。両国の関係改善もそうですし、皇族との縁は国際的なリモア王国の立場を強固なものにしてくれるでしょう。政務の効率化を考えて導入予定の魔術具も積極的に安価で輸入していただけますし、魔術師による庇護は魅力的ですわ」
メリットを強調しつつ、淡々と語っていく。
「何よりわたくしは、クェンティンとの婚約を解消してエセルバート様のもとに嫁ぎたいです」
そう自らの意志を告げると、フレドリックは怪訝そうに眉根を寄せた。
「まさか、エセルバート殿に惚れたなどとは言わないな?」
「惹かれています」
「なんだと?」
更に眉が寄って、皺が深くなる。顔が整っているせいか迫力が恐ろしいことになっていた。ジュリエットには決して見せられないだろう。
「エセルバート様と結婚したいと、心から思っています」
しかし、シャーロットはフレドリックに慣れている。この程度の形相や威圧感に怯んだりはしない。
「婚約者がいながら、と仰いましたが、その言葉がまず向けられるべきはクェンティンの方でしょう。あのように婚約者の妹にベタベタな男に愛情など湧きません」
クェンティンの気持ちにはフレドリックも気づいていないわけがないのだ。
「先程も申したように、リモアの直系王族と帝国の皇弟殿下の婚姻が両国の関係改善に有効的であることは間違いありません。他にもメリットがあるのですから、サージェント家との婚約解消も難しくないでしょう。わたくしとクェンティンは想い合っているわけでもありませんし、国のメリットが多いとなればあちらも納得するのでは? あの家は忠臣ですし、政略による婚約を政略によって解消するだけのことですもの」
ジュリエットを嫁がせる、という選択肢は両者共にない。シャーロットは自分が嫁ぎたいから、そしてフレドリックはジュリエットを国外に出す気がないから。
フレドリックの動機は溺愛する愛娘を手の届かない遠い場所に連れて行かれるのが気に食わない、というのもあるけれど、ジュリエットを公式の場に出さないのと同じで、礼儀作法に問題があることを充分に理解しているのもある。
「後継者の変更も、いつも苦言ばかり呈されるわたくしよりジュリエットを女王にするなり婿を王にするなりして周りが支えれば問題ないでしょう。婿にはクェンティンをあてがってはいかがです? 誠心誠意、献身的に支えてくれるはずですわ」
シャーロットに仕えるよりも、惚れている相手のための方がよほど真剣に力を発揮してくれるだろう。
「王など、ジュリエットにそのような辛い立場を強いることはできない」
「……しかし、ジュリエットとて王族です」
「あの子に降りかかる苦労はすべて排除する。ただでさえ体が弱く行動も制限されているのだから、王女としての責任や義務に囚われることなく、なんの憂いもなく過ごしてほしい。大切な娘だからな」
「ならば、王家の血を濃く継ぐ家から養子を取り、その者を次代の王とする方法もあります」
「正当な血筋がいるのにわざわざ養子を迎える必要性がどこにある。国を背負うのは王太女であるお前の役目だ。好いた者と婚姻を結びたいからと妹に押し付けるのは無責任だと思わないのか」
厳しい口調と表情でそう告げられ、シャーロットは目を丸め、身を固めた。耳に届いた言葉の意味をきちんと咀嚼したけれど、一瞬理解が追いつかなかった。
(押しつけるのは無責任ですって?)
それをこの男が言うとはなんの冗談だと、笑い飛ばせたらよかった。しかし、そんな心情には到底ならない。
何も、笑えない。
いつもジュリエットの仕事を押し付けられているのはシャーロットの方だ。それなのに、シャーロットだけ無責任だと責めるのか。私情は確かに挟まれているけれど、国にとっても有益な手段であることは間違いないのに。最低限のことすらまともにこなせずに放棄するジュリエットとはまったく異なるのに。
王太女になってからというもの、他にわがままらしいわがままを口にしたことはあっただろうか。たった一つ。惹かれている人との結婚を、それも国にとっても有益で王族として申し分ない相手との結婚を望んだだけなのに、なぜ。
「お前は王太女の責任の重さを未だ理解できていないようだな」
なぜ、このように睨まれて、これまでの努力さえも否定されなければならないのか。ずっと重圧に晒されて、倒れないのが不思議なくらい心身を酷使して、なんとか応えてきたのに。
なぜ、なぜ、なぜ――どうして。
ぐるぐると疑問が膨れ上がり、そして解消される。
難しく考えることでもない。簡単だ。わかりきっていたことだ。
「エセルバート殿が帰国するまでおよそ一週間、エセルバート殿との一切の接触を禁じる」
この男は、シャーロットを愛してなどいないから。大切な娘は、ジュリエットただ一人だけだから。シャーロットへの気遣いなど不要なのだ。
自室に戻ったシャーロットは、右手でブレスレットにそっと触れた。
(やっぱり、こうなるのね)
想定通りと言えばそうだ。
(あの男は、わたくしの幸せなんて微塵も考えていない)
いや。ジュリエットのために動くことが誰にとっても幸福であると、決めつけているのだ。彼自身がそうだから。
歩みを進め、執務室の隣の部屋へと続くドアの前に立つ。
ドアにはわざわざ隣国から取り寄せた魔術具が備え付けられていて、この先にはシャーロット以外は入れないようになっている。掃除のメイドであっても決して中に入れることはない。
シャーロットが魔術具に触れるとガチャリと鍵が開く音がした。ドアを押し開け、部屋の中に入る。
暗い部屋の中を進み、シャーロットはテーブルのそばに置かれている椅子に腰掛け、あることを思い出していた。
以前、フレドリックが夕食の席で、好きな相手はいないのかとジュリエットに尋ねた時のことだ。
『好きな人ですか?』
『ああ』
『うーん……そういうのはまだよくわからないです』
『そうか。好いた相手ができたら言いなさい。すぐに婚約を整えよう』
『はい! ありがとうございます』
それは、フレドリックと宰相が勝手に定めたシャーロットとクェンティンの婚約を当事者本人二人に告げた、翌日のことだった。シャーロットの婚約を知らぬ間に決め、事後報告をしたにもかかわらず、ジュリエットには婚姻は自由にしていいと約束したのだ。シャーロットの目の前で。
『王女としての責任や義務に囚われることなく、なんの憂いもなく過ごしてほしい』
あの言葉は紛れもない本心。フレドリックにとって唯一の大切な娘は、きっとこの先も手厚く守られ続け、幸福を手に入れていたのだろう。――あの男がもっと上手く、大切ではない方の娘を扱えていたら。苦労など知らず、王族としての義務は人に任せ、恩恵だけを享受できる生活が続いていたはずだ。
シャーロットはテーブルの上に視線を向け、置かれているナイフを手に取った。
同じくテーブルに乱雑に置かれているのは、ジュリエットの願いで描かれた、一体いくつ目になるのか数えるのも面倒な『家族』の肖像画。そこに描かれている男の顔に、ナイフを振り下ろす。
キャンバスをナイフが突き破る感覚も、もう慣れたものだ。
ズタズタになった肖像画の数も、もう数えていない。
ここはシャーロットが壊してきたものを隠すための部屋である。ジュリエットが好みを詰め込んだプレゼントや、クェンティンやフレドリックからの義務的なプレゼントなど、壊したことが知られてはまずいものをしまい込むための場所。
けれど、次に壊すのは、この部屋には収まりきらない。――隠すつもりもない。
(確実に壊してあげるわ。貴方の愛娘のための、幸福で小さな世界を)
シャーロットの幸福を奪った――いや、一度も幸福を与えなかった男に、妹に、婚約者に、この国に。何倍もの報復を。破滅を。
◇◇◇




