44.第五章五話
「つけてみるか?」
「はい」
箱を持っているようにお願いしようとしたら、エセルバートが髪飾りを取り上げた。シャーロットが目を瞬かせている間に手際よくシャーロットの髪にセットする。
「やはりよく似合う。これで正解だったな」
とても満足そうに微笑を浮かべる彼に、シャーロットもつられて頬を緩ませる。自分では見えない部分なのでつけた感じがどうなのか確認はできないけれど、彼の言葉がお世辞でないことは一目瞭然だった。会場に戻る際には外した方がいいだろうから、今はこのままにしておきたい。
「入学以来、君は一度もテストで順位を落とすことなく、しかも満点を取り続けたんだろう。王太女としての仕事、そして他にも様々な役割を抱えながら。そんな芸当、並大抵の努力では不可能だ」
王太女だから。それだけでこの国では決めつけられていることを、やはりエセルバートは真っ向から否定してくれる。
「まあ、友人とは言えなぜか距離を置こうとしている私に認められてもそれほど嬉しくはないと思うが……君の周囲の人間は愚かなことに、君の尽力に目を向けない者たちばかりのようだからな」
柔らかく細められた目が、シャーロットを見下ろす。その眼差しはどこまでも優しさで溢れている。
「君はとても頑張っている。ずっと、頑張りすぎているくらいだ。労らない理由はないだろう」
ぽん、とエセルバートの大きな手がシャーロットの頭に乗せられた。セットされている髪を崩さないように優しく撫でられる。
久々の感覚に、シャーロットは瞠目した。
昔は、ジュリエットがフレドリックに頭を撫でられ、褒められ、優しく微笑まれるのを、羨ましく思いながら眺めていた。それがいつからか気にならなくなり、暫くして――呆れや軽蔑に変化した。努力と呼べるべき過程を踏んでいないのに甘やかされるだけで成長の余地がないのを羨望したところで、無意味だと気づいた。
シャーロットが成長するとデクスターも頭を撫でてくれなくなったので、自分には無縁のものになったのだと結論づけたはずだった。
思考がまともに働かないながらもエセルバートを見上げれば、温もりがある表情のまま、エセルバートはどうかしたのかと問いかけるように軽く首を傾げて見せた。
彼は皇弟だ。愛想を振りまくのは仕事の一環でもある。相手を懐柔するためにその類い稀なる美貌を散々利用してきたのだろう。異性には効果的すぎる。
そう理解はしていても、シャーロットとて間近で存分に発揮される魅力的な微笑に抗うのには苦戦を強いられてしまっていた。美形には慣れているという自負があったのに、あっさりペースが崩されそうだ。
箱を持つ手に、無意識に力が入る。
築こうとしている壁に、簡単に穴が開けられる。
「……子供扱い、なさっているのですか」
「いいや?」
なんとか冷静を取り戻すために、照れ隠しも混じっていなそうとしたけれど、エセルバートは笑みを深めて否定した。
頭に乗せられていた手が離れ、シャーロットの頬へと移動する。親指の腹が肌を滑り、ギリギリ唇に触れない端の方で止まった。
「子供相手に、こんな気持ちにはならないな」
先程は友人だとはっきり言っていたくせに、至近距離でシャーロットを見つめる双眸には明確に熱が宿っていた。
既視感がある。どこかの不誠実な婚約者がジュリエットを見ている時のそれと酷似しているのだ。
そして同時に、唐突に、自らの中で芽生え始めている感情も認識することになった。無視できなかった。
どくん、どくんと、心臓が高鳴っている。まるで心臓が耳のすぐそばにあるような感覚だ。眼前の彼から目が離せない。意識が、全身が、囚われたように彼に集中している。
(わたくしは……この人に、惹かれている――……)
自覚して、驚愕した。
恋愛も、自分には縁のないことだと思っていたのに。すべてを諦めて、今まで受けた苦痛を周りの人たちに返して、終わらせようと動いていた矢先に――気づくなんて。
血の繋がりのある人たちですら、シャーロットを見てくれない。婚約者ですら妹に夢中で、まるで世界の中心は妹のような人生を送ってきた。
そこでシャーロットをまっすぐ見てくれる人が現れたから、あっさり絆されてしまったのだろうか。
いや、そんなに単純なことではない。完全に否定はできないけれど、それだけでないことは断言できる。
休み時間に話す機会が何回もあって、デートも重ねて、その度に感じた。彼とは気が合うのだ。
お互いに国を治める血筋で、類似点が多い。育った環境は違えど、なぜかお互いの考えていることがなんとなくわかる。一緒に過ごすことは心地良く、空気感が噛み合う。まるで空っぽだった心の隙間にぴったりはまったような、パズルのピースが揃ったような、不思議な感覚をくれる存在。
「……わたくしのことが、好きなのですか?」
「ああ」
あっさり肯定されてしまって、シャーロットは込み上げてくる何かを堪えるように顔の筋肉に力を入れた。
シャーロットを顧みない形だけの家族や婚約者、臣下たち。ずっとそんな人々に囲まれて生きてきた。
この人が婚約者だったなら、どれほど良かったか。
自覚するのがこのタイミングだなんて。
いや。薄々ではあれど、確かにその感情が芽生えている感覚はあった。ただ、気づかないふりをしていたに過ぎない。
(こうなるから、嫌だったのよ)
きっとわかっていたのだ。本当は気づいていた。彼がシャーロットを特別に想っていることも、シャーロット自身、同じ気持ちを抱き始めていることも。
だから会いたくなかった。自覚してしまわないように遠ざけたかった。彼と共に時間を過ごせば過ごすほど、決意が揺らいでしまうと理解していたのだ。
悲しそうで、寂しそうで、――縋っているようで、拒絶したいという思いもあるような。複雑でなんとも形容しがたい、初めて見る表情を浮かべたシャーロットに、エセルバートも目を見開いて驚きを露にしていた。
頬にあった手が背に回る。
すっぽりと包み込むように抱きしめられて、シャーロットは抵抗せずに身を委ねた。
「私は、来週には国に帰ることになっている」
「……そうなのですか」
そう。彼は留学でこの国に滞在していて、その過程も無事に修了した。だから帰国するに決まっている。わかっていたことだ。
だからきっと、帰国の挨拶で最後だ。彼に会うのは。その機会が過ぎてしまえば、もう二度と――。
「シャーロット」
肩を掴まれて、距離があく。
至近距離で、真摯な表情で見つめられた。
王太女と付けずに名前だけで呼ばれたのは、これで二回目だ。
一回目はあの日、シャーロットがフレドリックに叩かれて咄嗟に出たらしいもので。今回は意図的に、彼の意志で名前のみを呼んでくれている。
「君に婚約者がいることも、この国の王太女であることも、私は重々承知している。だが――婚約の申し出をすることにした」
告げられた言葉に、シャーロットは息を呑む。
「君は、この国では生きづらそうだ」
表情を歪める彼は、自分のことのように苦しそうにしていた。それほどシャーロットのことを想い、シャーロットの立場に憤りを覚えてくれているという証でもあるのだろう。
すでに定められている王太女の婚約は、容易に変更できるものではない。けれど帝国が絡むと話は変わってくる。
王家の体裁はもちろん大事だけれど、世界的なリモア王国の立場を考慮すると、帝国との縁の重要性は天秤にかけるまでもない。和解の道へ進んでいることを大々的に証明する手段としては、留学よりも遥かに効果的だ。
「両国の関係を良好なものにするため、そしてリモア王国が現在国際的に置かれている状況の打開のためにも、決して悪くない話だ。それでも、あの国王が頷くかはわからない」
「……そうですわね」
「だとしても、私は諦めることはできない。君をこんな国に置いて行けるわけがない。君の努力はもっと報われるべきだし、もっと気を抜ける環境にいるべきだ。何より私自身が、君にとって心安らげる居場所になることを望んでいる」
これは、プロポーズだ。それ以外にどうとも受け取れない。
「もちろん、君が私をそばに置くことを望まないのであれば、君が幸せになるための環境を整える準備期間だけ婚約という形をとるのでも構わない。君自身が望む幸せを追い求めてほしい。自分を大切にすると約束してくれただろう。反故にすることは許さない」
(ああ、この人は)
「遠慮なく、私を利用してくれ」
(気づいているのね)
彼は、シャーロットが望んでいる結末に、大体の予想がついているのだろう。シャーロットが最後に選択しようとしている、復讐の末路に。
これは引き止めているのだ。必死になって、シャーロットに別の選択肢を示している。
「君という存在を軽んじ搾取する愚かな国のために、これから先も身を粉にして尽くす必要はない。婚約期間も可能な限り不自由のない生活を提供すると約束する。少々手荒な手段を使ってでも国王から承諾をもぎ取って見せよう。だから――」
「いいえ、エセルバート様」
口を開き、シャーロットは彼の言葉を遮った。
◇◇◇




