43.第五章四話
今回のパーティーの主役の一人、しかも王太女ともなれば、会場で人の目がなくなることはない。そんな中で話しかけるタイミングを見計らう者たちに隙は与えず、抜け出すことに成功したシャーロットはほっとした。
あとで怒られるだろうけれど構わない。本当に最低限の役割――最初のダンスまでは果たしたのだから、そしてクェンティンとジュリエットのせいで気分も不快になってしまったのだから、少しくらいゆっくりさせてほしい。朝からパーティーの準備で休む間もなかったのだ。
暗い方を目指して庭園に面している外廊を進めば、当然ながら会場から遠ざかっていく。月明かりがさす場所は青白く照らされていて幻想的だ。
パーティーの最中であるため、そちらに人手が集まっている。離れると人気がないのはおかしなことではないけれど、ここに来るまでに遭遇した使用人や見回りの騎士は会場を出た直後の数人で、やけに少ない。
この状況に違和感を覚えないはずがなかった。
歩みを止めると静寂が流れ、少しして後ろから足音が響いてきた。そちらには視線を向けずに、庭に近づいて夜空を見上げる。
「――魔術は、人を寄せ付けないこともできるのですね」
夜空を視界に移したまま口を開くと、近づいてきていた足音が近くで止まった。
「正確には存在の認識を薄めるような魔術だな。抜け出したい様子だったから手を貸したんだ。私が勝手にしたことだから礼はいらない」
その説明を耳にして、シャーロットは少し頭を傾けて右側を見る。
暗い夜の風景の中、正装に身を包んで佇むエセルバートはまるで一枚の絵画のように美しかった。
「隣に立っても?」
形の良い唇がゆるりと弧を描き、伺いを立ててくる。彼の性格上、わざわざ許しを得ようとするのは拒絶をしても強行するという宣言に近い気がする。
「どうせ君の婚約者は第二王女に付きっきりなんだろう」
「遠慮がないですわね」
「寂しいのか?」
「いえ。まったく」
躊躇いもなく断言し、再び空を見上げる。
「あれには何も期待しておりませんので」
彼だけではない。この国のすべてに、シャーロットはもう見切りをつけた。だからこうして、大きすぎない程度の問題行動を定期的に起こしているのだ。予兆を示している。
取り返しがつかなくなった時、フレドリックが、クェンティンが、みんなが、己の不甲斐なさを強く実感できるように。気づく機会があったのにと、深く後悔の沼に嵌るように。
「君は、独りに慣れすぎてしまっているな」
隣に立ったエセルバートがこちらを見ているのがわかる。哀れみでも感じているのだろうか。
「ええ、そうですわね。エセルバート殿下も、わたくしのことはなるべく放っておいていただけるとありがたいですわ」
「……酷いことを言う」
手が取られて、シャーロットはエセルバートへと視線を落とした。
シャーロットの手を持ち上げたエセルバートは、青紫の双眸でじっとシャーロットを捉えたまま、指先に唇をつける。
「君はもう、私にとってかけがえのない存在だというのに」
「っ……」
反射的に手を引こうとしたけれど、その力よりも強く、けれど優しく、エセルバートに引っ張られた。エセルバートに抱きつくような形になってしまい、もう片方の手が腰に回されて捕らえられる。
そうしてすぐに、足下に魔術陣が現れた。下から穏やかな風が吹き、ドレスや髪がはためく。
シャーロットが足下に気を取られていると、エセルバートはシャーロットの耳元に顔を寄せて距離を詰めた。
「――いっそのこと、攫ってしまおうか」
色気を孕んだ声が吹き込まれて、シャーロットは硬直する。
顔に熱が集まったことを自覚せざるをえなかった次の瞬間、文字通り体がふわりと浮いた。
(なっ……え!?)
シャーロットはあまりの驚きに息を呑み、エセルバートに力一杯しがみつく。ぴくりと反応したエセルバートは、離さないと伝えるようにシャーロットの腰に回している腕に力を込めた。
「落ちないから安心しろ」
「そう言われましても……っ」
会話をしている間にも、高度が上がっていく。
立っている感覚がない。宙に浮いてしまっているのだから当然のことなのだけれど、とにかく怖い。
この高さで落ちたら、確実に死んでしまう。
エセルバートの胸元に顔を埋めて、ぎゅっと目を瞑る。恐怖は特に軽減されない。
「どうしていつも事前に説明をいただけないんですか……!?」
「君がどんな反応をするか楽しみだからだな」
「性格悪いですわね」
「ああ、知っている」
目を閉じていて視覚情報が得られないからこそ、とっても楽しそうな声が際立つ。
風の音を聞きながら耐えること数十秒。上昇が止まった感覚に、僅かに体から力が抜ける。
「高所は苦手か?」
「そういうことは事前に確認してください」
「ごもっともだな」
「このような状況は比較できる経験がないのでわからないとしか言いようがありません」
「それもそうか」
返答はなんとも呑気なものである。
「……本当に落ちませんか?」
「ああ。私がそんなヘマをするわけがないだろう」
相変わらず自信満々に言ってくれる。
けれど、それが安心感を与えてくれるのも確かだ。経験のない浮遊感に不安は残るけれど、シャーロットの心は落ち着いてきた。
「目を開けろ」
囁かれて、エセルバートに掴まる力は緩めず、恐る恐る目を開ける。
(まあ……)
王都が見下ろせる位置に、二人はいた。
暗い中に浮かぶ、無数の煌びやかな人工的な灯り。それは夜空に浮かぶ星々よりも距離が近いため大きな光で、強く輝きを放っている。
眼下に広がる光景に、シャーロットは純粋に感嘆の息を漏らした。
「綺麗……」
「栄えている証だな」
技術が発展し、人々の活動があるからこその光源。美しくはあれど――それを生み出すためには、多くの犠牲も存在している。
労働と呼べる範囲なら犠牲とまでは表せない。けれど、それも過剰となれば話は違ってくるものだ。
(あの中で過ごすただの人でいられたらよかったのに)
この光景を守りたいと思っていた時期が、もう遠い昔のことのように感じられた。むしろ今は――全部、壊してしまいたい。
「シャーロット王太女」
空中散歩を終えてバルコニーに降り立ち、さすがにそろそろ会場に戻った方がいいかと思案していたところで、エセルバートが懐から出した箱をこちらに差し出した。
「卒業祝いのプレゼントだ」
まさかエセルバートから、それも直接そんなものを貰えるとは思っていなかったため、シャーロットは戸惑ってしまった。しかしここで彼の厚意を無下にするには、シャーロットの心はまだ定まりきっていない。
一方的に遠ざけようとしていたのに、彼もそれを感じ取っていたことは明白なのに、それでも繋がりを持とうとしてくれている。その行動が嬉しくて――揺らいでしまう。
シャーロットが躊躇っていると、エセルバートがシャーロットの手をとって手のひらを上に向かせ、箱を置いてしまった。
箱には世界に名を轟かせる帝国きっての有名なお店のロゴが入っている。
一度エセルバートを窺うも、彼は開けてみろと言いたげな眼差しをしていて、こうなるともう突き返したところで受け取ってくれないのは深く考えずともわかることだ。
意を決して緊張しながらも蓋を開けると、中身は髪飾りで翡翠がついていた。シャーロットの瞳をイメージして選んでくれたのだろう。シャーロットがブレスレットのお返しでそうしたように。
「ありがとうございます……ですが、お高かったのでは?」
「私は皇弟なんだが?」
値が張ったところで、彼にとっては小遣い程度なのだろう。魔術具のブレスレットといい、彼の価値感覚は恐ろしそうだ。
「一応、友人という立場を弁えて、これでも控えめなものを選んだつもりだ。恐縮されては困るからな」
「……綺麗です。すごく」
皇族基準の控えめのなんと桁外れなことか。
けれど、重要なのはそこではない。
これは紛れもなく、シャーロットのために選ばれた贈り物だ。ジュリエットの好みは反映されていない、純粋にシャーロットを想ってのプレゼント。
「本当に、ありがとうございます」
こんなにも心が込められたプレゼントをエセルバートからは短い期間で二つ貰ったけれど、彼以外の人から貰ったのはいつだったか。
婚約者もフレドリックも、シャーロットに対するプレゼントは義務的で当たり障りのない物で、王太女に気に入られようと躍起になっている者たちからの献上品はとにかく目に留まればなんでもいいという物で、一応シャーロットのためを思っているようなジュリエットは、彼女自身の好みを詰め込んだ物。何一つ、真にシャーロットを想っている贈り物はなかった。
心から嬉しいと思える、数少ないプレゼントだ。




