42.第五章三話
卒業式や学園主催の卒業パーティーも終わり、国王主催の卒業祝いパーティーの日がやってきた。何日も前から――それこそ卒業式前から途切れることなくシャーロットの憂鬱気分は継続中で、精神的疲弊は癒やされることがない。
「よくお似合いです」
侍女が鏡に映るシャーロットを見てそう褒めるのを、シャーロットは大して嬉しさを感じることもなく聞いていた。
シャーロットが身につけているのは、淡い黄色のドレスだ。布が重なりボリュームを生み、裾にはフリルがふんだんにあしらわれている。
似合ってはいる。美しいとも思う。けれど、シャーロットの好みではない。ジュリエットがこの日のためにデザイナーと相談して決めたドレスなのだから。
侍女は耳にダイヤモンドのイヤリングを、髪に同じくダイヤモンドの髪飾りをつけていく。
ドレッサーに置かれているアクセサリーケースの中に、魔術具のブレスレットもある。けれど今回は置いていくつもりだ。パーティーでこの魔術具を使う機会はないだろうし、色の配分的に他の宝飾品との統一感が崩れるためである。
それに、お守りのように思っていたことは事実だけれど――今は、違う。どうしてもエセルバートを思い出してしまうから、あまり身につけていたくない。
「完璧です」
侍女は仕事を終えて満足げだ。
シャーロットは再び鏡の自分を見つめて、立ち上がった。
「まずはチェスター学園を卒業した諸君に祝いの言葉を贈る――……」
パーティー会場となる王城の大広間は、卒業生たちの門出への祝福と歓迎の意を込めて豪華に彩られていた。
フレドリックの仰々しい口上が並べられる中、シャーロットはエスコート役のクェンティンや参加者たちと共にフレドリックを見上げつつも、話は片方の耳から反対の耳へと聞き流していく。
フレドリックの挨拶が終わると、楽団による演奏が始まった。
学園の卒業パーティーでもそうだったけれど、まずは卒業生の中で一番位の高い者――つまりシャーロットとパートナーのクェンティンが、先陣を切る。
婚約者なので、当然ながら何度もダンスをしたことがある。余裕はあっても特に会話はない。ただ黙々と、ダンスという作業を義務的にこなしていく。
この場は大学部と高等部の卒業生の交流がメインなので、クェンティンとの会話に花を咲かせる必要はない。
ダンスが終わると、クェンティンはすぐにジュリエットの元へと向かっていった。どこまでも薄情で気の利かない、いっそ清々しい婚約者である。
その背を冷めた目で見送っていると、ざわざわと声が聞こえてそちらに視線をやった。
人々が道を空ける中、エセルバートがまっすぐこちらに向かってきていた。
整髪料を使っているようで普段と髪型が少し違っていて、濃紺を基調とした正装に銀色の髪がよく映えている。性別問わず参加者たちの視線を集めており、特に女性たちの眼差しは熱烈だ。彼の隣に誰もいないことがそれを増長させているようにも見える。
エセルバートは今回、パートナーを連れずにこの場に参加しているらしい。
注目が注がれる中、エセルバートは泰然とシャーロットの元まで来て歩みを止めた。
ブレスレットのお礼に以前シャーロットが贈ったラペルピンが、ジャケットの襟で光を反射して輝いていた。無難にエセルバートの瞳と同じ色の宝石と銀細工でできているものを選んだけれど、想像以上によく似合っている。
シャーロットの視線がそれに向いたことに気づいたエセルバートは、似合ってるだろう、と言わんばかりにやけに自慢げに目を細めた。
「皇弟殿下にご挨拶申し上げます」
「ああ。卒業おめでとう」
「ありがとうございます。エセルバート様も、留学がつつがなく修了したようで何よりです」
公的な場なので少々堅苦しさがあるけれど、エセルバートもさすがに許容してくれるようでいつものようなお決まりの指摘はなく、興味津々でじいっと、シャーロットを頭のてっぺんからドレスの裾まで眺めていた。
普通であれば不躾な態度である。しかし、エセルバートから下心は欠片ほども感じられず、ただ純粋に観察しているのがよく伝わってきた。
「似合ってはいるな」
「引っかかる言い方ですね」
「もっと君に似合うものがあるということだ」
「陛下やジュリエットにそう言い聞かせていただけるとありがたいですわ」
「……君はどこまでも不自由なんだな」
その声音と表情からは、哀れみというより怒りが垣間見えた。
「改めて見せつけられた。味方のはずの家族ですら、君を縛りつける存在でしかないことが」
「王族や貴族なんて、本来そんなものでしょう」
フレドリックが王となって以来、リモア王国では上流階級の中でも恋愛結婚は増加しつつある。しかし未だに政略結婚が多数派なのが実情であり、そこに恋愛感情が生まれるかは本人たち次第。好きでもない相手との間に生まれてくる子供を愛せるかも本人たち次第だ。相手や子供を愛さなくとも尊重はするかも人それぞれであり、結婚も子供も、地位や財産を安定させるための手段という意識は根っこの部分に強く残っている。
シャーロットの婚約だって、フレドリックと宰相が勝手に話を進めた政略的なものだ。シャーロットの意思の介入が許されることはなかった。フレドリックがシャーロットを尊重するつもりはないという明確な証拠の一つである。
「殿下はとても素敵ですね。ご自身に何が似合うか、よく理解しておられることが見受けられます」
「見惚れるくらいかっこいいか?」
「ええ。それはもう」
「ありがとう。今回はかなり張り切ったんだが、その甲斐があったようだ」
これまた含みを感じる物言いである。双眸には何やら相手を魅了するような熱が滲んでいて、シャーロットはその真意を測りかねて多少の警戒心を抱いたけれど、決して悪意を感じたわけではなかった。
目敏くシャーロットの警戒に気づいているであろうエセルバートは、しかし楽しげに目を細める。そうして目線を合わせるように少し身を屈め、手を差し出した。
「シャーロット王太女殿下。私に貴女と踊る名誉を与えていただけますか?」
洗練された動作で恭しくダンスを申し込むその姿はまさに紳士的で、さすがは皇弟なだけあり、女性の扱いに慣れているように見えた。周囲の視線――特に女性陣からのそれを気にもとめず、まっすぐにシャーロットを見つめている。
自分だけを見てくれているようなこの態度に、多くの女性が落とされてきたのだろうと推測できる。
「……はい。喜んで」
拒絶などできるはずもなく、シャーロットは笑顔で了承した。
会場の中心へと移動し、音楽に合わせて動く。
驚くほど身体が動かしやすい。それはつまり、彼のリードが上手いということに他ならない。こんなにも踊りやすい相手は初めてだ。
フレドリックと踊ることはあり、フレドリックもまた相手の負担を軽減させること、相手の動きを綺麗に見せることに長けていて、技術の高さは毎度実感できる。けれど――シャーロットにはフレドリックとのダンスそのものが精神的に苦痛を与える義務作業でしかないので、純粋に踊りやすいとは思えないのだ。
エセルバートは本来であれば神経を研ぎ澄ませて対応しなければならない相手だ。しかしながら、ある程度親しい友人という認識があり、気を許しているからだろう。あまり気負わずに済んでいる。
距離を置きたいと思っているのに、矛盾した感覚である。
「上手いな」
「殿下ほどでは」
「婚約者殿と踊っている時は楽しそうではなかったように見えたが、どうだった?」
「彼と過ごしていて楽しいと感じた記憶は幼い頃の一時期のみでしたので」
本当に短い期間だった。
「――今は、楽しいか?」
今。目の前の彼と踊っているこの瞬間。
もし楽しくないと答えれば、彼はどんな反応をするのだろうか。そんな好奇心が突如として湧く。
突き放したいのであれば、その答えが正解でもある。
「どうなのでしょう」
「そこは嘘でも楽しいと言え。それが礼儀だ」
「社交辞令をお望みでしたらそう答えますが」
「はは。やはりいらないな」
笑って、エセルバートは目を細める。
「君には、本心でぶつかって来てほしい」
ずっと心を押し潰されてきたシャーロットにとって、その要望は虚をつくものだった。
彼はいつもそうだ。だから、一緒にいたいけれど、いたくない。そんな矛盾にずっと悩まされ続ける。
「……嫌ではないです」
「それならいい」
好奇心をしまい込んで本心を告げれば、エセルバートは満足そうに口角を上げた。
「お姉さま」
エセルバートとのダンスを終えて一息ついていると、ジュリエットとクェンティンが来た。
「あの方とは、あまり仲良くなさらない方がいいと思います」
ジュリエットの視線の先は、この国の重役と言葉を交わしているエセルバートだ。
ジュリエットは自らの価値観に従って、シャーロットのことに口出しをしてくる。食事、ドレス、アクセサリー、そして交友関係その他諸々。ジュリエットの理想に沿わないものすべてに。
「理由は?」
「え」
「仲良くしない方がいいという明確かつ正当な理由は?」
「あ……それは、なんとなく……そう思う、だけで」
縮こまりながら紡がれたのは、自信なさげで身勝手な主張だ。
ジュリエットはどうやらエセルバートを苦手としているらしい。彼から向けられている敵意にも似た好意的ではない感情を、無意識のうちに察知しているのかもしれない。
エルムズ家の事件で助けてもらっておきながら、ジュリエットも薄情なものだ。エセルバートとしても懐かれたところで迷惑だろうけれど。
「彼は未だ緊張関係にある帝国の皇弟殿下よ。下手なことをすれば大きな損害を生む事態になりかねないわ。貴女がただ苦手に感じているという個人的な理由だけで距離を置いていいような方ではないの」
「おねえ、さま……」
「王女ならもっと熟考して発言しなさい。貴女の言動には常に責任が伴うことを自覚しなさい」
「ご、ごめんなさい……」
「王太女殿下」
厳しいことを言われたから目に涙を滲ませるジュリエットと、シャーロットのジュリエットに対する態度に怒りを露にするクェンティン。
正しい指摘をしただけなのに、シャーロットが責められている。なんてことはない、いつも通りの流れだった。いつも通り――腹立たしくて、仕方がない。
「風にあたってくるわ」
踵を返し、シャーロットは会場である広間から抜け出した。




