41.第五章二話
「集中したいから、暫く誰も部屋に入れないでちょうだい」
執務室に誰もいなくなり、外の見張りの騎士にそう命令して、シャーロットは両手を組んで伸びをした。
深呼吸をして、左手首のブレスレットに触れる。青い石は変わらず綺麗で、見る角度によっては光のあたり加減などで色の濃淡の変化もあるためか、少しエセルバートの瞳の色に似ていることもある。
そんな石を撫でて、魔術を発動させる。
シャーロットの体が光で包まれ、ドレスから一瞬で魔術具内に収納されていたデートセットに服が変わった。
軽く身なりを確認して、準備は完了だ。
壁際の本棚の前に立ち、手を伸ばす。
真ん中の段の右から三冊目を軽く引き出して戻す。次は上から三段目、真ん中より少し左に置かれている赤茶色の背表紙の本を軽く引き出し、下から二段目の真ん中の本を押す。最後に先ほど引き出した赤茶色の背表紙の本を押して戻すと、ガチャリと音がした。
本棚の横に移動して壁との間にできた隙間に手を入れてこちら側に引くと、本を多く積んでいて重たいはずの本棚がドアのように動いた。
本棚の後ろ、壁があるはずの場所には壁がなく、下りの階段が。本来は緊急時の避難でしか使わない、王族しか知らない隠し通路である。
ランタンを持って階段に入ったシャーロットは本棚を元に戻すのも忘れず、隠し通路を進んで城の外に抜け出した。
「さあさあ、今朝仕入れたばかりの新鮮でおいしい果物が売ってるよー!」
「焼き上がったばかりのお菓子だよ!」
「今から一時間限定! 好きな具材詰め放題のサンドイッチがあるよ! 寄っていきなー!」
賑やかな声が飛び交う中を、シャーロットはケープのフードが外れないように掴みながら進む。
王都の地図は頭に入っている。目的地までの最短距離も。エセルバートとのデートで街中の雰囲気にも慣れているため、歩みに迷いはない。
早足で曲がり角に差し掛かったところで、突如目の前に現れた影に驚くのと同時に、回避できずにぶつかってしまった。
「すみませ……、……!」
顔を上げてシャーロットはフードの下から相手を確認すると、ぶつかった衝撃を上回る驚愕に声を上げそうになった。
相手の顔にはものすごく見覚えがある。
服装は至ってシンプル。一般的な髪や瞳の色をしているけれど、滲み出る独特のオーラ。そして人目を引く圧倒的な美貌とスタイル。
なるべく会いたくないと思っていた皇弟エセルバート・サディアス・ファレルデインが、そこにいた。
エセルバートもこちらを見て瞠目する。
その反応を視認した瞬間、シャーロットの体が勝手に動いた。くるりと踵を返し、「すみません」と改めて小さな声を紡いで立ち去ろうとしたけれど。
「――待て」
決して大きくはないのに、制止する声に抗えなかった。反射的に足が止まってしまったのだ。
バクバクと心臓が大きく速く鼓動を刻む。
「王太女殿下が護衛もつけずそのような格好で街中に一人とは、一体何をしているんだ?」
後ろから尋ねられて、シャーロットはぎゅっと胸の前でケープを握りしめた。
初めて王城を抜け出したその日に、まさかエセルバートに遭遇するなんて。どんな確率だろうか。なぜよりにもよって今日、この時間、彼が街を散策しているのか。理不尽な怒りをぶつけたい気持ちが僅かに湧くけれど、それが大きく膨らむほどの余裕はない。
「……なんの、ことでしょうか。王太女殿下? 私が?」
緊張が隠しきれない震えそうになる声で、なんとか言葉を返す。少し吃ってしまったけれど、シャーロットは自分を褒めた。
「――なるほど?」
しかしながら、暫しの沈黙が流れたあとに落とされたエセルバートのどこか挑発的に感じられる声に、シャーロットは逃げ場がなくなったような感覚になった。
「まず一つ、その服からサンダルまですべて私が揃えたものだということは忘れてないだろうな」
「……」
一歩、一歩、足音がする。
「それと、基礎中の基礎だが、魔術に多少なりとも興味があるらしい君はすでに知っているだろう。人間は誰しも多かれ少なかれ魔力をその身に宿している。非魔術師であってもな」
「…………」
足音が、近づく。
「血縁者であればその質が受け継がれるためよく似た魔力を持つが、まったく同じ魔力は存在しない。あくまで個人特有のものだ。私のように優秀な魔術師は、その違いを見抜くことができる」
「………………」
さらっと自信に満ち溢れた台詞が出てきたけれど、口調から嫌味は微塵も感じられない。説明のためにただ事実を口にしただけで、他の意図は何も含まれていなかった。
「それを踏まえてもう一度答えてみろ」
シャーロットの横を通り過ぎ、正面で立ち止まったエセルバートは、フードに指をかけて軽く引き上げた。
青紫の双眸と、視線が交わる。
「王太女が王城を抜け出して、こんなところで何をしている?」
誤魔化せるはずもない。わかっていたことだ。見つかった時点でシャーロットの『お忍び』は失敗に終わっていた。
ここまできて人違いで通すことなど不可能で、観念して息を吐く。
「……ジュリエットの真似事、ですわね」
そうして、適当に理由を紡いだ。
「わたくしも気ままに、自由に、好きなことをやってみたいのです」
「それが一人で街を歩くことか? 身の危険があると承知していながら」
「『遊びたい』と言ったところで許可は出ませんもの。わたくしが置かれている環境に理解を示してくださっている殿下なら、よくご存知でしょう?」
シャーロットが訊くと、エセルバートは眉根を寄せた。否定の言葉は放たれない。
「言ってくれれば私が連れ出した。その方が仕事の都合もつくだろう」
「何度かお誘いをいただきましたし、とてもありがたいですわ。けれど、たまには一人でのんびり過ごしたいとも思いまして」
エセルバートとはすでに三度目の『デート』を終えている。
「私とのデートはやはり気を遣ってしまうのか」
気を遣うから嫌なわけではない。けれど、本来ならそうあるべき間柄だ。
「お互いの立場を考えれば当然かと」
「友人なのにか?」
「友人であっても礼儀は大切ですわ。それに、わたくしには婚約者もおりますし。あまりにも特定の異性と時間を持つのはよろしくありませんもの」
「それは君の婚約者に言ってやれ」
婚約者がいながら特定の異性と過ごす時間があまりにも多すぎるのはクェンティンの方である、というのはもっともだ。
しかし、それは許容されていること。今更、改善も何もないだろう。もし婚約者や他の者たちの態度に変化があったとしても、シャーロットの方が彼らを許容できない。表面上はまだ取り繕われているだけで、とっくに関係性は破綻している。
「言ったところで無駄ですから」
「ならば君も文句を言われる筋合いはないだろう」
「あちらには将来義理の兄妹になるという大義名分がありますので」
「そんな白々しい言い訳をいつまで通用させるつもりだ」
「それを決める立場にわたくしはありませんので」
すらすら返す言葉が出てくる。
けれど、少し口調が淡々としていて、温度が感じられなかったのかもしれない。
「――随分、素っ気ないな」
こちらは笑顔を浮かべていたというのに、エセルバートはどこか寂しそうにそんな指摘をした。
「……気のせいではないでしょうか。わたくしはいつも通りですわ」
本当に、この男は鋭い。
シャーロットが目を逸らすと、頭上からため息の音が聞こえた。
「このまま見過ごすというのは難しい。一人で過ごしたいという君の思いを尊重できなくて申し訳ないが、護衛も兼ねて同行させてくれないか」
お願いの口調ではあるけれど、決定事項を伝えているかのような声音だった。拒否は許さないと目が語っている。
「ええ。もちろん」
諾、以外の選択肢はない。
告げ口をされないだけありがたいと思う。
(今回は新聞社の下見は諦めるしかなさそうね)
内心でため息を吐きつつ、『デート』に変わってしまったお忍びの行き先に思いを馳せていたシャーロットは、エセルバートから向けられる物言いたげな視線には気づかなかった。
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