40.第五章一話
先日、シャーロットの謹慎期間が終了し、エルムズ家の裁判も終わった頃、デクスターが息を引き取ったという連絡があった。その数日後に行われた葬儀にはシャーロットも参加できたし、特に問題も起きず、無事に終わった。親族だけでなく領民や他の貴族など、参列者はとても多く、規模も大きいものだった。
デクスターがどれほど慕われていたかよくわかる場だった。
デクスターが亡くなったことで解放されるはずだったトーマスは、喪失感やら何やらか、放心状態で侯爵家に身を置いているらしい。立ち直るには時間が必要なのだろう。
『――あんた、泣かないんだな』
葬儀で、トーマスにそう言われた。
シャーロットはデクスターが亡くなったという連絡をもらった時も、葬儀の最中もその後も、涙を流さなかった。昔はよくデクスターと交流があったのに薄情だと語っているトーマスの目を見ても、特に言い返すことはしなかった。
ただ、疑問には思った。泣くことだけが悲しみを証明するのか、と。
泣かなかったら――泣けなかったら、気持ちが小さいと判断されてしまうけれど、真にどれほどの気持ちを抱いているかなんて本人にしかわからないもので、時には本人でさえも自覚がなかったりするものだ。
「――殿下」
葬儀の光景を思い浮かべていたシャーロットだったけれど、クェンティンの声で現実に引き戻された。クェンティンの手で執務机に書類が置かれる。
「国民の収入や貧困に関する調査についての計画書です。それから、建設中の病院の進捗報告、新たな支援策についての修正案など――……」
書類の説明を終えたクェンティンは、シャーロットの手元の資料に視線を落とした。
「鉱山の調査報告書ですか?」
「ええ」
フレドリックが所有している鉱山の調査報告書には、地層、資源の埋蔵量の予測など、調査結果が詳細に記されている。特殊な鉱石の加工の仕方といったような国家機密もあるものだ。
「鉱山は陛下の管轄だけれど、わたくしも全部把握しておこうと思って。特殊な資源だし、興味が湧くじゃない」
リモア王国の天然資源の大部分を占めているのがこの鉱山資源である。この鉱山のおかげで今のリモアがあると言っても過言ではない。フレドリックの尽力だけで、リモアは荒れ果てた時代からこれほどまでに急速に発展することはなかったはずだ。
そんなことを考えていたところで、「ああ、そうだわ」とあることを思い出したシャーロットは、引き出しから取り出した書類を渡す。クェンティンが「これは?」と首を傾げた。
「学舎併設型の孤児院の案件と、教育機関の給食や生徒の家族の格安住宅、職業斡旋に関する案件。わたくしは今後、それらについては一切口出ししないわ。すべて貴方に任せるから頑張ってちょうだい」
「は……ですが、殿下」
「ジュリエットの相手をして遊び惚ける時間があるのだから、それくらい余裕でしょう」
「しかしそれは……」
他でもないジュリエットの望みなのだから仕方ないと反論したいはずだ。けれど途中で言葉を切ったのは、思うところがあるからだろう。
煮え切らない態度のクェンティンに、シャーロットはわざとらしくため息を吐く。
「貴方、仕事のスピードが落ちてるのは気づいてるわよね」
「!」
「大学の成績も伸び悩んでるらしいじゃない。いずれ王配となる人間がこの程度だなんて恥晒しもいいところよ。わたくしには謹慎なんてと文句を言っておきながら、貴方だって大概じゃない。王太女の婚約者の自覚が足りないにもほどがあるわ」
非難の眼差しを向けられたクェンティンがぐっと拳に力を入れる。本人としても己の仕事に影響があると認識があったからこそ、先程は言い淀んだのだ。
学生の身であり、年齢的にも経験が少ない。そこで仕事を疎かにしていれば、最低限のことすら慣れを忘れ、効率が落ちる。クェンティンは今まさにその状態に陥っている。
「王家やサージェント侯爵家の顔に泥を塗りたいなら今のまま堕落してくれて構わないけれど、貴方の立場には常に責任が付随していると理解しているなら、遊んでないでやるべきことをやりなさい」
「……承知、いたしました」
呟くように返事を紡いだクェンティンから目を逸らし、書類へと向ける。
クェンティンの仕事のスピードが落ちている原因の一つは、ジュリエットが初めて誰かに恋心を抱いたことだ。彼にとっては何よりも無視できない事項であり、心を乱す最大要因である。
(ジョージ・エルムズは縁談を断っているんだけれど、ジュリエットは諦めが悪いタイプだったみたいなのよね)
弟たちの裁判が終わって落ち着くと、フレドリックはジュリエットにせがまれてジョージに縁談を持ちかけたそうだ。しかし想いがないときっぱり断られ、それでもなお諦められないジュリエットは、彼の元に手紙を送ったり、時折商会へ買い物を言い訳に会いにも行ったりしているらしい。
ジュリエットがこれほど積極的に行動しているにもかかわらず、ジョージがジュリエットに靡く様子は意外なことにまったくないそうだ。
今や平民に成り果てた上、ジュリエットの想いに応える気配もないジョージ。彼への想いが冷めるどころか更に盛り上がっているようにすら見えるジュリエットに、フレドリックを含め周囲は頭を悩ませている。
ジョージには同情してしまう。弟たちのことで色々あったというのに、平民になっても王族に望まない形で付き纏われているのだから。
(……あ)
クェンティンが持ってきた書類をざっと確認していると、ある内容に目をとめた。王城で開かれる卒業パーティーのものだ。
学園が主催する卒業パーティーとは異なり、主催は国王。招待されるのは高官や序列上位の貴族、チェスター学園の高等部と大学部のその年の卒業生の中でも一定以上の成績を修めた優秀な者達と、その家族や婚約者などの関係者だ。
優秀な卒業生のほとんどが国の重要機関への就職が決まっていたり、何かしら交友を持つ立場になる予定だったりするので、事前に交流を深めておこう、というのが狙いらしい。また、稀に進路が決まっていない者もいるので、彼らの引き抜きなどの場にもなる。
招待者リストの中に、エセルバートの名前があった。
彼は大学部に所属していたとはいえ卒業生ではないけれど、留学過程を終えて帝国に帰ることになっている。何より帝国の皇弟ということもあり、今後のことを見越して関係性を深めるために招待するのだろう。
フレドリックは個人的に嫌われているという自覚はあると思うのだけれど、お互いの立場を考えるとお互いに取り繕わなければならないと考えているはずである。
正直なところ、エセルバートとはもうあまり顔を合わせたくない。あの優しさに必要以上に触れたくないのである。しかし、そのようなわがままも言っていられない立場だ。王太女として可能な範囲で役目を果たさなければ、また行動が制限される恐れがある。
エセルバートに会いたくないからと、パーティーを欠席することはできない。
(ジュリエットも、きっと参加するわよね)
公式の場で他国の皇族の前にジュリエットを出すのはリスクが大きいと、フレドリックも重々承知しているはずだ。エセルバートはフレドリックだけでなくジュリエットのことも良く思っていないのは明白なので尚更だろう。
けれど、今回は姉も主役のパーティーだ。ジュリエットが引き下がらないだろうし、愛娘に弱いフレドリックが折れるのは想像に難くない。
公的な場ではあれど、あくまで卒業生を労い、祝福し、そして歓迎するためのパーティー。主役は卒業生――学生や生徒の身分を持つ者たちだ。貴族出身が多数だけれど、まだまだ若い分、礼儀作法に多少の問題があることは想定されていて目溢しを貰える。奨学金を貰っている平民の学生もいたりするので、そういう問題を学ぶための場でもあるのだ。
卒業生の家族として参加するジュリエットも生徒であることに違いはないし、フレドリックは大丈夫だなどと甘く考えているのだろう。
表立ってその判断を批判できるのは、参加者ではエセルバートくらいのものだ。それも何か無礼を働かれた場合のみ。エセルバートとの接触を最小限にしてしまえば後は自由である。
憂鬱で仕方のないパーティーを頭の中から振り払い、シャーロットは次の書類に目を通し始めた。




