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シャーロット王女の死  作者: 和執ユラ
第四章 盲目に小さな綻びを
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39.第四章十三話



 翌日、エルムズ伯爵家の処遇についての裁判に備えて、シャーロット、フレドリック、クェンティン、カーティスは、捜査情報の整理のために話し合いの場を設けることになった。

 シャーロットとクェンティン、カーティスは、すでにフレドリックの執務室に揃っており、別件で席を外しているフレドリックの到着を待っている。


 室内には緊張に満ちた空気が流れていた。

 というのも、クェンティンとカーティスが、シャーロットとフレドリックの対峙に緊張しているためだ。当のシャーロットは至って平静で、気だるそうに書類を眺めている。

 昨日のあの一件から、シャーロットはフレドリックと一言も言葉を交わしていない。食事も別で摂っており、顔すら合わせていない。また衝突するのではないかと二人は危惧しているのだろう。

 書類仕事を進めつつその空気を感じ取ったシャーロットは、しかし二人への気遣いなど面倒なので、そのまま放っておいた。


 数分後、まったく穏やかではない空気感が薄れることのない執務室に、ようやく部屋の主人が到着した。


「お姉さま!」


 この話し合いの場に呼ばれていないはずのジュリエットを連れて。

 ジュリエットはソファーに腰掛けているシャーロットに抱きつくと、体を離してシャーロットの顔を覗き込む。


「まあ! こんな……っ」


 化粧で誤魔化されているものの赤く腫れている頬に、ジュリエットの華奢な指が触れる。ぴりっと走った痛みにシャーロットが眉根を寄せてジュリエットの手を払うと、「あっ、ごめんなさい、痛かったですよね……」とジュリエットは眉尻を下げた。

 人目のある場所で頬に平手打ちを受けたのだから、顔を合わせておらずともジュリエットの耳に入っても不思議ではない。


 ジュリエットは部屋に一歩入った場所から動かないフレドリックの元へ行き、手を引いてシャーロットの近くに連れてくる。


「さあ、お父さま」


 怒った様子でジュリエットが促すと、フレドリックは薄らと眉間に皺を作ったあと、シャーロットを見下ろした。


「……叩いてすまなかった」


 その言葉が耳に届いた瞬間、シャーロットは瞠目した。他でもないこの男がシャーロットに謝罪したことが信じられなかった。


「お父さまがお姉さまを叩いたと聞いてびっくりしました。けど、お父さまも悪気があったわけではないんです。わたしとお姉さまが危険な目にあって、ずっと不安だったからあんなことをしてしまっただけなんです。お父さまはいつだってわたしたちのことを考え、心配してくださっていますもの。お姉さまも知ってるでしょう?」


 的外れなフォローを入れたジュリエットは、シャーロットの手を両手で包み込む。


「これで仲直りですね!」


 朗らかに笑ったジュリエットの姿が、物語に出てくる悪魔を前にしたような感覚をシャーロットに与えた。

 こんな、たった一言の謝罪程度で許せるほど、シャーロットとフレドリックの関係性は気安くない。シャーロットだってフレドリックを思いっきり殴るくらいしないと、平手打ちとは釣り合わないものだ。

 ただ、本心ではそう思っていても、口に出せば面倒なことになる。


「ところでジュリエット殿下、どうしてこちらに?」


 シャーロットが無言でいることで微妙な空気感になりかけていたところを、カーティスが誤魔化すようにジュリエットに尋ねた。


「話を聞いて早くお父さまがお姉さまに謝れるようにってついてきたんですけど、他にもお願いがあって」

「お願いですか?」


 カーティスが不思議そうに促す。ジュリエットはシャーロットから手を離すとドレスを整えてソファーに座った。なぜわざわざ隣に居座るのか。

 フレドリックはシャーロットたちの正面に腰掛けた。どうせならジュリエットもそちらに座ればいいのに。


「あの、マルコム様と馬車を襲った人たち……死刑にはしないでほしいんです」


 その要望に、カーティスとクェンティンが驚愕を見せた。

 王族に危害を加えた者、もしくは危害を加えようとした者は、基本的に死刑が妥当だ。特に今回は違法魔術具が使用されていることも大きな問題で、死刑以外の道はないと思われていた。

 それを、覆してほしいと言っているのだ。襲われた本人が。


「王族に危害を加えた者よ。わかってるの?」

「わかってますけど、死者は出ていませんし、……馬車を襲った人たちについては、わたしにも悪い部分があったので」


 意外なことに、誰かがあの四人の襲撃犯の動機をジュリエットに教えていたらしい。徹底的にジュリエットの耳に入らないように統制すると思っていたけれど、さすがにそうはいかなかったようだ。

 シャーロットがその点に少し驚いているのをよそに、クェンティンが声を上げる。


「あれはただの逆恨みです! ジュリエット殿下が心を痛めることではありません!」

「でも、わたしがスリの犯人を逃したから……」


 ぎゅっと、ジュリエットはドレスを両手で握りしめた。顔色が悪くて、何かを怖がっているように見える。


(予想はできてたことね)


 要するに、自分が原因で行動を起こした彼らが死刑になるのは、ジュリエット自身が罪悪感に押し潰されそうになって耐えられない、ということなのだろう。


「マルコム様も……やったことは悪いことですけど、わたしへの好意からだと思うと、とても厳しい罰を受けてほしいとは思えなくて……」

「お前は本当に優しいな」


 フレドリックが穏やかな眼差しをジュリエットに向ける。

 死んでほしくないと願うのは純粋な優しさではない。これは、ジュリエットの自分可愛さゆえのお願いでしかない。


 魔術師でもない人間があのような危険な魔術具を使用して、魔術発動の回数制限以内で死者が出なかったのは偶然としか言えない。危険性は非常に高かった。だというのに。


「多少の減刑は考えよう。それでも、一生牢屋で暮らすか強制労働になるかもしれんが」


 その偶然が、ジュリエットに味方する。


「ありがとうございます、お父さま!」





 目的を達成したジュリエットが去った執務室で、シャーロットは正面のフレドリックに疑念の目を向けた。


「減刑するというのは本気ですか?」

「被害者であるジュリーの要望だ。何か問題があるのか?」


 被害者の要望は概ね判決に考慮される。それはこの国の法律でしっかり規定されている。

 それならば、意見を聞くべきはジュリエットだけではない。


「ジュリエットは結果的に怪我を負っていません。しかし、ジュリエットを守った近衛騎士には重傷者が出ています。彼らの要望こそ取り入れるべきでは?」


 クェンティンもマルコムが振るった魔術剣で頬を切ったけれど、これでも軽傷だ。四人の襲撃犯、マルコムによって、手から先を失った者、片目に傷を負い視力を失った者、一時的に瀕死状態に陥った者もいた。死者が出なかっただけで無傷ではない。


「近衛騎士は命を落とす覚悟を持って王族の護衛にあたっている。ジュリーが無傷で極刑を望んでいない以上、死者を出していない者を死刑とすることの方が珍しい」

「しかし被害者は複数人、職を失うどころか今後の人生さえも不自由と共に生きることを余儀なくされています」

「死が必ずしも償いになるとも限らない。犯人らに牢でダラダラと無為な時間を過ごさせるつもりもない。死刑以外で騎士らの要望は可能な限り通すつもりだし、十分な補償も行う」


 死が償いとは限らないという思想自体はシャーロットも同様の意見だけれど、やはり納得がいかない。必要な段階をフレドリックは飛ばしているからだ。

 マルコムに関していえば、攻撃を受けたのはシャーロットも同じ。王太女への殺人未遂を犯した。しかしフレドリックは、被害者の一人であるシャーロットの意見を取り入れるどころか確認するつもりもないのだろう。


 どこまでも、ジュリエットファースト。

 どこまでも、ぶれることがない。


「――ジュリエットのことが、本当に大切で仕方ないのですね」


 抑えるべきだと頭では理解していても、思わず不満をぶつけずにはいられなかった。怪訝な眼差しが三対、シャーロットに向けられる。


「わたくしへの謝罪も、ジュリエットに知られてしまって注意されたから、仕方なく口にしたにすぎないのでしょう。――だって、叩かれるのはもう何度目かもわかりませんけれど、謝罪を受けたのは初めてですもの」


 ふふ、と笑う。おもしろいわけでもないのに、笑みが勝手に零れてしまう。


「ジュリエットの失態には慰めを、わたくしの失態には罰を。それが陛下のやり方であり、『すまなかった』と思ってもいらっしゃらないのに、よっぽどジュリエットの機嫌を損ねたくなかったのですわね。名誉挽回のための演技そのものはそれなりに様になっていましたわ。陛下の口から謝罪の言葉を聞けるだなんて貴重ですもの。ですが、所詮はパフォーマンスに過ぎませんわね」

「……シャーロット」

「ああ、わたくしの感想語りなど無意味な時間でしたわ。本題を進めましょう、サージェント宰相」


 シャーロットが促すと、なんとも言えない空気感の中、伯爵家の処遇についての話し合いが進んだ。



  ◇◇◇



 エルムズ伯爵領での事件から二週間弱が経過し、シャーロットは前オールポート侯爵――デクスターの見舞いに訪れていた。

 ベッド傍の椅子に座り、用意されている紅茶に口をつけ、薄く息を吐く。


「またやつれてるわね」


 ベッドに横になっているデクスターはやせ細っている。まともに食事も摂れない体になっているので仕方ないだろう。

 彼は着実に、死へと向かっている。


「貴方が飲んだ毒の入手経路、判明したわ。同じ毒は回収したのだけれど、残念ながら解毒薬はなかったみたい。材料となる薬草もね」


 報告を受けると、デクスターの目元が和らいだ。満足のいく結果だったようだ。期待にきっちり応えることができて、シャーロットも嬉しい気持ちがある。

 デクスターが飲んだ特殊な毒は、この大陸では南部でしか手に入らない代物だ。というのも、毒の生成に必要な植物が大陸の南側にある別の大陸でしか育たないもので、そちらの国と取引関係にあるのが大陸南部の二カ国だけだからである。

 レックスが密輸した中に、例の毒があった。


「エルムズ商会は現在、事業全面停止中。伯爵の爵位は返上、次男と三男、密輸に関わった商会関係者は無期懲役が濃厚ね。商会はこの国の流通を占めている割合も大きくて完全解体は難しいという話になって、いくつかの事業を競売にかけて大筋の規模をかなり縮小し、名前も変えて長男が引き継ぐことになりそうよ」


 密輸された品物は運良くすべて回収できた。レックスは兄に罪を着せるつもりで密輸に手をつけていただけで、それ以外の思惑はなく、違法に入手したものを管理下に置いていたためだ。

 デクスターは商会の密輸に気づき、商会の関係者を脅して毒を入手したらしい。自分の命を終わらせる手段としても、毒の存在で密輸を示唆する手段としても、ちょうどいいと思ったのだろう。

 商会関係者が個人的に持ち出すなど、密輸品の流出が他にも何件かあったものの、それらも含めて無事に回収できている。


「本当は、解毒薬を入手する手段があるにはあるの」


 デクスターが口にした毒の解毒薬。転移を可能とするエセルバートに頼めば、きっと手に入っただろう。けれどシャーロットは、その選択をするつもりはない。


「あるのだけれど、貴方が望んでいないから、わたくしは貴方の意志を尊重するわ」


 毒の症状が進んでしまっている彼には、一方的に話すだけになってしまう。会話として成り立たないものの、今のシャーロットにはその方がありがたい。


「でも、残念ね。貴方にはこの国の行く末を見ていてほしかったと、少し思うの。あの男が苦しむ様を眺める機会なんてそうはないわよ」


 デクスターが僅かに目を見張り、はくはくと口を動かしている。ほとんど音にはなっておらず、ゆっくりとした唇の動きで「殿下」とシャーロットを呼んでいることだけは理解できた。


「貴方があの男に損害を与えたかったという気持ち、よくわかるわ。わたくしも切望しているもの」


 彼はもう、まともに話すことはできない。寝たきりで、文字を書くこともできない。だからシャーロットが何をしようとしているか察せても、他者に伝えるすべがない。


「このような状態なのに、穏やかではない話を最後に聞かせてしまって悪いわね」


 シャーロットには自由な時間が少ない。まして今は、ジュリエットを危険に晒した罰として謹慎中の身であり、基本的に外出が許されていない。元々自由に外出など許されない立場だったけれど、殊更難しくなってしまった。

 それでもなんとか許可を得て、ここにいられる時間をかなり無理に捻出した。

 直接フレドリックと交渉はしておらず、カーティスを通して外出申請をした。さすがのフレドリックも、デクスターが長くないことを考慮すると会わせてやった方がいいという気持ちが働いたのかもしれない。案外あっさり許可が出たのだ。


 次にデクスターに会えるのは彼の葬儀だろう。

 だから実質、これがシャーロットとデクスターの最後となる。


 もっと、思い出話に花を咲かせられたらよかった。根は周りと大きな違いはなかったかもしれないけれど、シャーロットに温かい優しさを教えてくれた数少ない人だから。――祖父のように、思っていた人だから。

 けれど彼は、そんな数少ない存在である彼を、己の意志でシャーロットから奪った。


(――本当は、貴方に生きていてほしかった)


 ゆえにこれは、一方的で身勝手な意趣返しに他ならない。


「『人による』と言ったわね、デクスター卿」


 ふわりと、シャーロットは優美に微笑を浮かべる。


「あの男はどうかしら」


 フレドリックによって新たに形成された歪な王家を深い絶望に落とす光景。それを彼に見せられないのは、本当に残念で仕方ない。



誤字報告ありがとうございます。

ありがたいのですが、ひらがな→漢字の報告や添削はおやめください。

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