38.第四章十二話
黙り込んで廊下を進むシャーロットのすぐ後ろに、カーティスが追いついてくる。身長に差があり、歩幅にも差があるのだから、追いつくのにそれほど苦労などなかっただろう。
カーティスの存在は気にせず、シャーロットはただ足を動かした。
――ジュリエットの庇護を、怠った。
フレドリックのその指摘は事実だ。
王女二人、クェンティン、騎士たち――多くの人間相手に魔術剣を振るったマルコムはあの時、正常な判断を見失っていた。
過去にも何度かあったのだ。ジュリエットと面識を持った者が豹変し、本来の性格からは想像もできないような暴走を起こし、ジュリエットを手に入れようと過激な手段に出たことが。それこそジュリエットに多少の危害を加えることさえも厭わず。
ここ数年はなかったので、すっかり油断してしまっていた。
それが頭にあったとしても、マルコムがそのタイプだと予見できるはずもないのだけれど。
今回に関しては、実際にマルコムが違法魔術具を隠し持っている可能性が僅かながらもあった以上、エセルバートかブランドンにマルコムの見張りを頼むべきだったことは間違いない。魔術具たった一つ相手でも、非魔術師十人にも満たない人数では敵わないものだ。
けれど、シャーロットはそうしなかった。
マルコムがあれほど大胆な行動を起こすとは思っていなかった見通しの甘さはあった。それだけではなく、完全に個人的な理由からそうしなかったのだ。
攻撃的な意図はなくとも、マルコムはジュリエットに接触しようとするだろうとシャーロットは推測していた。シャーロットが火事現場に向かったけれど心配ないとか、慰めることを口実にできたはずだ。ジュリエットはマルコムに助けられたため純粋に彼を信頼していたから、面会を断ることはないと踏んでいた。
それを、付き合いのあるクェンティンなら止められる。止められずとも、同室で二人の仲が深まることがないように妨害するだろう。クェンティンはジュリエットのことが好きだから、積極的に動くことは容易に想像できた。それがフレドリックの望みでもある。
その事実を建前に、クェンティンの役割として与えたのだ。
ジュリエットの面会の許可を止めることになろうとも、止められなくとも。『見張り』の役割を担った者は、マルコムの監視と共にジュリエットと接することになる。その立場に立つのがエセルバートやブランドンになるのが、シャーロットは単純に嫌だったのだ。とても利己的な理由でしかない。
ジュリエットと接する機会を重ねるごとに、人はなぜかジュリエットに惹かれていく。ほとんど例外はない。だから、エセルバートやブランドンに今のところはその兆候がなくとも、そうなってしまうのではないかとシャーロットは恐れている。
可能な限り、彼らとジュリエットの接触の機会を排除したい。それだけのことだった。
ゆえに、責められるのも仕方がない。シャーロットの意図を理解して叱責する者はいないだろうから、ただの判断ミスとして罰を受けること自体は覚悟していた。していたけれど……。
叩かれた頬に、そっと触れる。
熱と痛みは、引く気配がない。
早馬や先に到着したジュリエットや騎士によってどこまで詳細な情報が送られたか、シャーロットは知らない。
矛先を自身に向けるために相手を挑発したのだから、魔術具で攻撃されたのは自業自得だ。エセルバートたちが守ってくれると確信もあったからこそ実行した。
けれどやはり、想像を超えるものはあった。
迫ってくる鋭い突風は、ほんのり光を帯びているだけでほとんど透明に近いもの。直撃してしまえば、首が飛ぶことだってありえた。あの魔術剣はそれをあっさり可能としてしまう威力を持っていた。
「――殿下」
後ろから呼ばれ、歩みを止める。
振り返り、つい、と視線をカーティスに向けると、彼は戸惑いながらも口を開いた。
「陛下は馬車襲撃の報告からずっと第二王女殿下をご心配なさって気を張り詰めていて、また第二王女殿下が危機に瀕したと知り、冷静さを欠いていらっしゃいました。第二王女殿下のご無事を確認でき安堵なさっておりましたが、違法魔術具の件で気を緩めるわけにもいかず、心に余裕がない状態が続いておられました。決して王太女殿下のことを責めているだけでは――」
「サージェント宰相」
本人ではなく、カーティスが弁明している。この状況がおかしかったけれど、笑えるようなおかしさではない。
「陛下は、わたくしの心配はしないわ」
「……そのようなことは」
「ないっていうの?」
鼻で笑い、シャーロットは目を細める。
「貴方たちのその盲目さ、いっそ羨ましいわね」
「……!」
瞠目したカーティスを置いて、シャーロットは再び前を向いた。そんなシャーロットを引き止めるように「……殿下は」と声が届く。
「驚いておられませんでしたね。陛下が殿下を……」
その先は続かなかったけれど、言わんとすることは想像できた。
「最近はなかったけれど、初めてではないもの。ジュリエットは打たれたことなんてないでしょうね」
背を向けたままそう告げて、自室へと歩みを進める。
折檻を受けるのはずいぶん久しぶりだ。頬は相変わらず熱を持ち、じんじんと痛むけれど、大勢の人目がある場所で感情むき出しのフレドリックが暴力を振るったという事実は、シャーロットにはありがたい流れだった。
あの場で、衝撃的な現実に言葉を失っていたクェンティンや騎士たち。そして、英雄への絶対的な信頼の揺らぎが双眸に垣間見えたカーティス。
周囲の人間に、あの男に近しい者に――あの男への疑念を、少しずつでも。
◇◇◇
数十分後、フレドリックは平常通りの業務に戻っていた。
カーティスは複雑な思いでその場におり、報告書に目を通しているフレドリックの正面に立ち、息を吸う。
「陛下」
呼べば、フレドリックの目がこちらを捉え、先を促した。
「お忘れではないと思いますが……王太女殿下は剣術を修得なさっておられません」
「それがどうした」
「身をお守りする術が限られている中、第二王女殿下をお助けするために魔術具による攻撃の対象となったのです。その恐怖は他者には計り知れません」
攻撃を受けて恐怖を覚える。一般的な感情だ。
王太女という立場上、命の危険は常につきまとうものである。最低限の護身術は身につけておくべきだ。
フレドリックは剣術や体術、馬術など、あらゆるものをマスターしている。けれどシャーロットは、体術はある程度身につけているけれど、身を守るすべをあまり持っていない。
向いていなかったとか、投げ出したとか、そういうことではないけれど、王の後継者としても身を守る手段としても必要なそれらの修得に至ることはなかった。
その機会を、取り上げることになったためだ。
そして、女性だということで、周囲にも許容された。
そんな中で魔術具の攻撃を受ければ、本来であればただでは済まないことは火を見るより明らかである。今回はエセルバートとブランドンがついていてくれたおかげで事なきを得たけれど、運が良かったに過ぎない。
そもそも、剣術や体術とて、魔術の前ではほぼ意味をなさない。件の魔術具は剣を振ると風の刃を飛ばすものだったというのだから、剣で防げるはずもないような攻撃だ。恐怖心を抱かない方が珍しい。剣の腕前など、気休めにもならないだろう。
ジュリエットとシャーロットが感じた恐怖に、大小など関係ない。
「……身を挺して妹を守るくらい、姉であれば当然のことだ。シャーロットの判断ミスで起こったことなら尚更な」
断定的な言葉だ。いつもならこの素晴らしい君主の言うことに納得するのだけれど、今回ばかりはそうもいかなかった。カーティスの中に疑問が渦巻いている。
思い出されるのは、シャーロットがフレドリックに向けた、負の感情が凝縮されたような眼差し。そして――。
『陛下は、わたくしの心配はしないわ』
淡々と紡がれた、あの台詞。それらが強烈に脳裏に焼きついて、離れない。
父親としてフレドリックには及ばないと話した際の、シャーロットの返しも思い返される。
カーティスはフレドリックを敬愛している。王として立派な彼を、父親としても理想的だと認識していた。愛らしいジュリエットと過ごしている光景は、いつも幸福で溢れていたから。
けれど――今まで疑問にも思わなかった違和感が、形となりつつある。
ジュリエットといる時のフレドリックは、よく優しい表情をしていて、愛おしいという想いが溢れていて、父親としての愛情が漏れ出ていた。
では、シャーロットといる時も、そうだっただろうか。
シャーロットは王太女だ。多少は厳しく接することも必要だと理解している。しかし、シャーロットにフレドリックが優しく接している場面など、あっただろうか。
『……殿下は、驚いておられませんでしたね。陛下が殿下を……』
それ以上口にするのは憚られて、先程は続きを紡がなかった台詞。その後に続くはずだったのは、フレドリックの暴力についてだ。
『最近はなかったけれど、初めてではないもの。ジュリエットは打たれたことなんてないでしょうね』
あの時、シャーロットはどんな表情だったのだろうか。当然のこととして淡々と語っていたのだろうか。だとしたら――そんな風に語らせてしまったことは、『当然』としてあっていいことなのだろうか。
カーティスは、息子たちを叱る際に叩いたりといったことをしたことはない。体罰を加えることは簡単だけれど、それはただの暴力とそう区別はないとカーティスは考えているからだ。
犯罪者への刑罰ではないのだから、叱られるようなことをしたからといって、身体的な罰を与えることが正しいとは思えない。
なのに、尊敬している男が、それをしている。
一方の子供を可愛がり、傷ひとつつくことさえも過敏に反応する。もう一方の子供には折檻さえ躊躇しない。
それはまるで、この国の王家の歴史の中でも荒れに荒れていた、身勝手極まりない暴君――先代の王を彷彿とさせる。フレドリックが最も嫌悪していた者を。
そして、黒々しい空気を身に纏い、鋭い視線でフレドリックを射抜いていたシャーロットの姿が、かつて反乱を起こすことを決意した若かりし頃の友人と重なった。
◇◇◇




