36.第四章十話
「シャーロット王太女」
とても険しい表情のエセルバートが、シャーロットを見下ろしていた。今まで彼からは一度たりとも向けられたことのない顔だ。けれど、その瞳の奥に浮かぶのは――。
「なぜ、自身を囮にした?」
臆することなく、シャーロットは微かに笑みさえ浮かべて悠然と答える。
「帝国一と名高い魔術師であるエセルバート様とその従者であるブランドン卿がいらっしゃるのですから、少しでもマルコム・エルムズの気をそらせれば後はどうにかしてくださると信じておりました。悪く言ってしまえば丸投げですけれど、最速の解決方法だと踏みましたわ」
「……信じてもらえるのはありがたいが……それでも、君はもっと自分を大切にするべきだ。万が一ということもあるんだぞ」
エセルバートの纏う空気が一瞬緩み、体が不自然に硬直したけれど、すぐさま厳しい眼差しに戻った。子供を叱る親に近しいものを感じる。もちろん、フレドリックがシャーロットを叱責する際のそれは例外である。
「怒ってらっしゃいます?」
「そうではないように見えるか?」
「……丸投げしてしまったから?」
「本気でそう思っているのか?」
和ませようと的外れな返答をあえてしてみたものの、更にエセルバートの雰囲気も目も鋭さが増したため、シャーロットはさすがに大人気なかったかと反省した。
「申し訳ございません」
「何がだ。理解しているのかちゃんと言葉にして示せ」
「わたくし自身の安全を軽く見ていました」
「ああ。私がそう言った。そのまま返しただけではないだろうな」
「……これから、気をつけます」
「そうしてくれ」
なぜかエセルバートが自分のことのように苦しそうに表情を歪めている。青紫の綺麗な目には奥に隠れていた懇願のような色が広がっていて、見つめ続けるにはあまりにも真摯でまっすぐで、シャーロットは反射的に顔を俯かせる。
胸の内に広がるのは、罪悪感。
彼がシャーロットに向けているのは、心配だ。そして、自分自身を軽んじるシャーロットに対する苛立ち。
心の底から純粋にシャーロットを案じてくれている彼に――嘘を、ついてしまった。
その後、捜査は急速に進んだ。
エルムズ商会の南部との取引――違法なものを実際に取り扱っていたのは、長兄のジョージではなく末弟のレックスだったことが判明した。
動機は後継者の座を奪うため。エルムズ伯爵が後継者にレックスをと考えていたというのは、ジョージに跡を継がせたくなかった二人の虚言だったのだ。伯爵はジョージを溺愛していたので当然といえば当然である。南部との違法取引の罪を兄に着せるつもりだったらしい。
ジョージが責任者の倉庫に魔術具を運んで火をつけたのは、証拠隠滅、魔術具が焼け残ったとしてもジョージが所持していたと証拠を捏造するためのレックスの指示だったそうだ。商会の中にも娼婦の血を引くジョージに従うのをよく思わない者が多くいて、協力者には困らなかったという。
しかし、兄を陥れるためだけに、よくもまあ扱いなど心得てもいない違法魔術具の密輸など実行したものである。
また、伯爵の事故は本物の、誰かが仕組んだわけではない想定外のことだったけれど、元より伯爵をどうにかしようと考えていたレックスは、その状況をこれ幸いと利用した。南部との取引で手に入れた毒を伯爵に盛ったという。意識が戻らないようにする毒だ。その間に伯爵家と商会を掌握するつもりだったらしい。
伯爵を診察した医者は皆レックスが買収しており、そのために異常はないと診断が下されていたとのことである。
伯爵の事故に不審な点があったというのもレックスの虚言だった。ジョージに疑いを向けさせるためで、マルコムは事実確認もせずに弟の虚言を信じたようだ。
元々、伯爵――父親のことはよく思っていなかったのだろう。だから毒を盛ることにもレックスに罪悪感はなかったらしい。
密輸された中に解毒薬もあったので、改めて真っ当な医者に診てもらったところ、伯爵は数日で目を覚ますだろうと言われたと聞いた。
レックスは、奔放で伯爵家の人間としての役割を果たしていなかった次兄マルコムのことも疎んでいたそうだ。ジュリエットに一目惚れして急に商会で真面目に働くようになったのも、密かに伯爵家と商会の後継者となることを目論んでのことだと見抜いていたらしい。
だから、罠に嵌めることにしたという。
正体を隠した後ろ暗い取引の帰りに偶然立ち寄った店で、ジュリエットに恨みを持つあの四人組と遭遇し、ジュリエットを襲わせてマルコムが救うように誘導することを瞬時に計画したのだとか。
いもしない山賊の目撃情報を通報し、騎士による見回りの強化をさせ、第二王女襲撃の情報をマルコムに手紙で知らせ、面白いように上手く事が運んだそうだ。
レックスがシャーロットたちに、急に兄が商談の担当を代わったと報告したのは、マルコムはジュリエットとの接触を図った、そして魔術具のことを知っていた、という流れまでシャーロットたちの思考を持っていきたかったからだ。
そして、その意図が透けて見えていた。わざとらしかったのだ。
エセルバートとブランドンの介入は、レックスにとってもマルコムにとってもさぞかし想定外だっただろう。それによる焦りがあったのかもしれない。
「――では、レックス・エルムズが我々を誘導していると、殿下は気づいてらっしゃったのですか?」
「当然でしょう。むしろ最後まで気づかなかった貴方にびっくりよ。本当に、ジュリエットが絡むと笑えないレベルのポンコツになり下がるわね。情けない」
「ぐっ……」
反論の余地もなく、クェンティンは呻いた。
すべてが明らかになったものの、ケイティは息子二人が犯罪に加担した事実をそう簡単には受け入れられなかったようで、ジョージのせいだとずっと責めていた。お前のせいで私たちの人生が狂ったと、ひたすらジョージの行動、存在すべてを否定した。
ケイティは現在、邸の自室に軟禁されており、伯爵が意識を取り戻し次第、ジョージが共に処分を考えることにしているそうだ。息子二人の所業を考えると、これ幸いにと伯爵は離婚を切り出しそうなものだと推測できるけれど、まだ先のことなので実際にどうなるかはわからない。
ジョージは異母弟たちの思惑に薄々気づいていたらしい。それで、二人の行動を可能な限りで制限しようとしていた。更なる罪を防ごうと。
異母弟二人を大切に思っていたからというよりは、伯爵家や商会のダメージを少しでも抑えたかったのだそうだ。エルムズ伯爵家の三兄弟に、兄弟としての絆はほとんど芽生えていなかったのだろう。
「――貴方、ジュリエットのことはどう思っているのかしら」
数日かけて捜査がひとまず一段落つき、引き続き捜査にあたる騎士を残してシャーロットたちは王都に帰ることになった。
そこで見送りにいたジョージにそう訊いた途端、ジョージは僅かに瞠目し、緊張に体を固めた。シャーロットを捉えている目には怯えや恐怖に近い感情が宿っている。
どうやら彼は、王太女が愛しの妹を誑かした男を見定めている、と勘違いしているらしい。
「可愛らしい方だとは思いますが、私ではあまりにも分不相応で……」
困ったように控えめな笑みを浮かべて謙っているけれど、立場以上に現状では恋愛対象として意識していないということが見てとれた。
ジュリエットには先に近衛騎士の護衛をつけて王都に戻ってもらった。被害者ではあるけれど、ここにいても捜査の役には立たないし、何よりフレドリックが一刻も早くジュリエットを王都に帰すよう命じるのが目に見えていたからである。
「傷がついた伯爵家の者であっても、ジュリエットが希望するなら結婚相手の候補としてあがるわ。陛下はジュリエットに甘いから。身分は高位の貴族に養子入りさせれば解決だもの」
「……そうなんですか」
嫌そうな顔をしている。ようやく恋をしたジュリエットが相手からまったく望まれていないなんて、シャーロットにとっては愉快な展開だ。
「でも、安心しなさい。もし陛下から縁談の話がきても、素直に貴方の気持ちに従って返事をすればいいの。陛下が最優先するのはジュリエットの幸福。ジュリエットを愛していない人と権力を行使して問答無用で婚姻を結ばせる、なんてことはしないはずよ」
ジュリエットが一方通行に愛するだけで愛されないような結婚生活を、フレドリックが許すことなど絶対にない。
「下手に気を遣って可能性があると思わせる方があの子を傷つけて、陛下から目をつけられるわ。とっても悪い意味でね」
「……承知いたしました。心に刻みます」
ジョージはごくりと唾を飲み込んで、緊張した面持ちで頭を下げた。シャーロットの忠告に対する感謝の意が込められているのだろう。
(まあ、彼の気が変わる可能性が高いのだけれど)
ジュリエットが帰るまでに控えめに行っていたアプローチに戸惑いつつ、ジョージは当たり障りのない対応をしており、靡く様子はなかった。けれど、今後どう転ぶか。
最初はジュリエットに小さな好感しか抱いていない程度の人でも、不思議なことに時間が経つとジュリエットに惹かれていくから。
彼が心変わりしないことを祈るばかりだけれど、ジュリエットの魅力に抗えずに惹かれ、婚約したとして、それはそれで問題はない。
どうせ、ジュリエットの幸福は粉々に壊してやる予定なのだから。
◇◇◇




