35.第四章九話
「さっさと馬車を用意しろ!」
「マルコム、落ち着いて!」
エルムズ伯爵邸に戻ると、庭に早速ただならぬ光景が広がっていた。
ジュリエットの馬車を襲った四人組が持っていたあの剣の魔術具をマルコムが持っており、ジュリエットの首の前に掲げている。ケイティが説得しており、使用人たちも固唾を呑んでじっとしていた。
騎士の報告通り、マルコムがジュリエットを拉致しようとしている。
この豹変っぷりは、既視感がある。
(――忘れてたわ)
いや、忘れてはいなかったけれど、暫くこんな事態がなかったために、ある意味平和ボケしていたというのが正しいかもしれない。
マルコムの性質上、このような行動に出るのはまったくもって想定外である。言い逃れもできないような強硬手段をとる精神的な強さなどないと見ていた。
「おねえ、さま……っ」
怯えきったジュリエットがシャーロットに気づき、縋るように呼ぶ。さぞかし怖い思いをしていることだろう。
ジュリエットが反応したことで、マルコムもシャーロットたちの存在に気づいて目を見張った後、こちらを睥睨した。
「マルコム・エルムズ。自分が何をしているかわかってるの? ジュリエットを離しなさい」
「うるさい、ジュリエット様は俺のものだ! 穢れた血を引く穢らわしいジョージには渡さない!」
「え……」
ここで名前が出されたジョージが目を丸くする。シャーロットたちも予想外できょとんとしてしまった。
マルコムは親の仇でも前にしているかのごとき――いや、恋敵に向ける鋭さを帯びた目つきで、確かにジョージを捉えている。
「母親に似て異性を誑かす手腕は見事なものだな! 卑怯な手を使ってジュリエット様の気を引けたようだが、これ以上は好きにさせない。誰にも俺たちの邪魔はさせない!」
「……勘違いじゃないの?」
ジュリエットはこの十七年、あれほど周りに優しくしてくれる人間がいたというのに、誰にも惹かれることはなかった。だから真っ先に疑問が浮かんだ。
その疑問に答えてくれたのはケイティだった。
「本当ですわ! 第二王女殿下はそこの穢らわしい寄生虫に惑わされて、婚約者や恋人はいないかと私に確認してきましたもの! マルコムの好きな娘を誘惑するなんて、さすがは娼婦の血筋だわ! あんたのせいでマルコムがおかしくなってしまったじゃない! どうしてくれるのよ!」
ケイティがむちゃくちゃなこじつけでジョージを非難する。
寄生虫と呼ばれているジョージにも、勝手に好きな人を暴露されたジュリエットにも同情するけれど、今はそんな場合ではない。
シャーロットは隣にいるジョージに視線を投げる。
「貴方、ジュリエットと何か話したのかしら」
「い、一応、王太女殿下方と挨拶を終えて様子を見に……廊下で正面からぶつかってしまい、転びかけた第二王女殿下を支えて少し会話をしたくらいで……」
あの蔑称には慣れているのか特に気にしている様子のないジョージは、しかしこの状況に戸惑いつつも説明してくれる。
伯爵家の代表として第二王女に挨拶をするくらいであれば当然だ。その出会いは少しだけ、ジュリエットにとっては通常のものよりインパクトがあったらしい。
というか、なぜ部屋で休んでいたはずのジュリエットが廊下にいたのだろう。じっとしていることに耐えられなくなったのだろうか。
「つまり、ジュリエットはそれだけでジョージ卿に恋愛的な意味で興味を持ったということ?」
「命を助けたように見えるはずのマルコム・エルムズではなくただ転びそうなところを助けた長男の方に惹かれるとは、一体どんな理屈だ?」
「顔が好みだったのではないですか?」
「……それはどうしようもないな」
「ええ。どうしようもありせんわ」
シャーロットに続いてエセルバートも疑問を重ね、そんな結論に達する。
それ以外の理由が思い浮かばない。思わぬところでジュリエットの好みが判明してしまった。
タイプとしてはジョージの顔立ちや雰囲気はクェンティンに似ているような気がしなくもないけれど、クェンティンは幼い頃からそばにいることでやはり兄のような存在という認識が強く、恋愛対象にはならないのだろうか。
そのクェンティンや騎士たちは最初にマルコムの攻撃を受けたらしいけれど、まだ意識を失っているのか。だからここにいないのか。
そう思ったところで、邸からふらふらと足元がおぼつかない様子のクェンティンが出てきた。頬には薄らと鋭い刃物で切られたような傷がつき、血が流れている。
「マルコム・エルムズ……! ジュリエット殿下を、離せ……ッ!」
必死に声を絞り出してクェンティンが命令をするも、今この場で主導権を握っているのは、ジュリエットを人質にとっているマルコムだ。
「全員動くな! 皇弟とその従者も魔術を発動させるな!」
「ひっ……」
剣が少し動いてジュリエットが小さな悲鳴を上げ、ぎりっとクェンティンが奥歯を噛み締める。
「どうするつもりです」
「このまま二人で馬車に乗って国を出る。どこか邪魔の入らない国で、俺とジュリエット様は幸せに暮らすんだ!」
突飛で愚かしい幻想ではあるけれど、本気で実行するつもりなのだろう。ジュリエットが連れ去られたら一大事である。それどころか、傷でも負わせようものなら……。
頭に浮かぶのは、この世で最も嫌いな男の顔。
かすり傷一つでさえも、叱責どころでは済まないはずだ。謹慎は確定として、一発くらいは殴られるかもしれない。ジュリエットの恐怖や痛みを少しでも思い知れ、とかなんとか理由をつけて。
更に、ただでさえほとんどない休憩時間も返上前提のスケジュールが組まれ、部屋の中で仕事漬けの日々が一月ほどは続くだろう。そうなると計画に支障が出てしまうこともありえる。
危険な状況に陥った。そこで踏みとどまり、越えさせないようにしなければ。
そう冷静に思考を巡らせながら、自身の薄情さに心中で笑ってしまった。シャーロットは妹の心配ではなく、計画への影響を危惧している。
(確かにわたくしは、あの男の血縁だわ)
ジュリエットのためだけを思いシャーロットのことなど気にもとめないフレドリックと、計画重視でジュリエットの危険そのものはざまあみろとさえ感じるシャーロット。容姿だけでなく性質も受け継いでいる。
おかしくて、笑みが零れてしまいそうだ。それを堪えるように手で口元を隠す。
とにかく、早くジュリエットを助け出さなければ。
「エセルバート様、ジュリエットは無傷であの男を捕らえることは可能ですか?」
〈あの距離で剣を突きつけられていると絶対とは言い切れないな。捕縛は可能だが、少しくらいは第二王女の肌が切れてしまう可能性が高い。確実に無傷でとなると、一瞬でも剣を他に向けさせる必要がある〉
返答の声は頭に直接響いた。シャーロットが口元を隠しているため、会話を悟られないようにしているとエセルバートは判断したらしい。
シャーロットはマルコムを見据える。
剣を持つマルコムの手は震えている。目にも、恐怖が宿っている。
衝動的な行動を取ってはいけるけれど、理性も多少は残っているはずだ。
(剣の標的……彼の意識を、他のことに……)
ジュリエットは恐怖で動ける気配はない。それはつまり、余計なこと、予測できないことをする余裕がないということで、都合がいい。
シャーロットは息を吐くと、一歩、足を踏み出した。
〈シャーロット王太女?〉
エセルバートの声がまた届く。視線が集まる。
「動くなって言ってるだろ!」
マルコムも気づいた。
「マルコム・エルムズ」
名前を口にすると、マルコムは更に剣の刃をジュリエットの首に近づける。ジュリエットが息を呑み、クェンティンが「ジュリエット殿下!」と悲壮感漂う声音で叫んだ。
それにも構わず、シャーロットはゆっくりと歩みを進める。
「ジュリエットはね、両親のように愛し愛される結婚に憧れているの。一途に、お互いだけを愛し合う関係に」
冷静さを欠いているマルコムを刺激するのは容易い。ジュリエットのことであっさり理性を失うと、もうすでに彼が証明している。そこをつけばいいのだ。
「複数人と同時に関係を持つような人間は、ジュリエットが最も軽蔑する類いよ。だから――」
歩みを止めて、挑発的な笑みを見せる。
(大丈夫)
この男は、根は意気地なし。人の本質はそう簡単には変わらないものだと、シャーロットは何度も目にしてきた。
どれほど取り乱したって、我を忘れたって――彼は、好きな女性を傷つけることなどできない。
「穢れている貴方を好きになることは、絶対にないわ」
「黙れえええ!!」
叫んだマルコムが剣を振り下ろす。淡く光を帯びた風の刃がシャーロット目掛けて飛んできた。
「っブランドン!」
「は!」
エセルバートとブランドンの声が聞こえた後、シャーロットの前に薄い膜のような障壁が現れて、迫ってきた風の刃を防ぐ。マルコムには足下から出現した光る鎖が巻きつき、自由を奪っていた。
「きゃあ!」
ジュリエットの体にも光る鎖が巻きつき、それによってマルコムから距離を取るべくこちらに持ち運ばれてくる。得体の知れない鎖と宙に浮かんでいるのが恐怖を煽るのか、救出されているというのにジュリエットは未だ青い顔だ。
「ジュリエット様っ……! クソッ、離せ!」
己の手中から奪われたジュリエットを認識すると暴れようとしていたマルコムだけれど、光る鎖がきつく締め上げているのかほとんど動けていない。手首を捕らえる鎖が更に締まったようで、「ぐあっ」と呻いた。手から剣が滑り落ち、地面に突き刺さる。
「暫く寝ていろ」
エセルバートが言葉にした直後、鎖を伝ってバチバチ電気が流れ、「うわぁぁ!!」と声を上げたマルコムは青白い電気に包まれていた。その電気が落ち着くと、どさりと地面に倒れる。気絶したらしい。
鎖の方はエセルバートの魔術だったようだ。つまり、シャーロットを守った半透明の障壁はブランドンが作り出したものなのだろう。
鎖で運ばれてきたジュリエットはシャーロットたちの近くに降ろされ、足が地面につくと、へなへなと座り込んだ。「ジュリエット殿下!」とすぐにクェンティンが駆け寄る。あんなにふらふらだったのに、どこにその力があったのか不思議なほどの速度で。
「怪我はございませんか?」
こくこくと頷いてクェンティンに抱きつき、ジュリエットは「うわぁぁん!」と小さな子供のように泣き叫ぶ。ジュリエットが無事だったことに、シャーロットはひとまずほっと息をついた。




