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シャーロット王女の死  作者: 和執ユラ
第四章 盲目に小さな綻びを
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33.第四章七話



 火事現場にすぐに駆けつけるならエセルバートの転移の魔術が一番早いけれど、そうやすやすと使ってほしいと強請れるような魔術ではない。転移の魔術は術式や使用可能な人物の情報さえ基本的には国家機密なのだ。彼はシャーロットにあっさり暴露してしまっているけれど。


「少し距離があるので馬車だと時間を食います。馬での移動が良いでしょう」


 邸の外に出ると、先に準備を進めて馬を連れていたジョージが提案した。予想できていたことではあるけれど、シャーロットは思わず苦い顔になってしまいそうになるのを堪えた。

 護衛としてついていく近衛騎士たちがてきぱきと馬の準備をしていく。

 それを眺めていると、自身の黒馬の手綱を引いていたエセルバートがシャーロットの様子が普段と違うことに気づいたようで、首を傾げていた。


「どうかしたか?」

「……わたくし、馬を操ることはできません」


 そう伝えると、エセルバートは意外そうに目を丸めた。

 落胆されただろうか。王太女ともあろう者が、馬には文字通り背に乗ることしかできないなんて、と。

 シャーロットが自身の情けなさに視線を落としていると、エセルバートがシャーロットの前で立ち止まる。


「そうか。なら、私の馬に乗れ」


 優しい声が耳に届いて顔を上げると、エセルバートは馬に跨がり、こちらに手を差し出した。表情に見下しているような要素はまったく感じられない。

 当然、近衛騎士の誰かの馬に乗せてもらうつもりだったので、エセルバートの申し出に瞬きをしながら、シャーロットは恐る恐る手を重ねる。


「失望なさるかと」

「いいや? まったく」


 引っ張り上げられたシャーロットが前に座ると、エセルバートは後ろから耳元に唇を寄せた。


「むしろ、役得で気分がいい」


 吐息がかかる距離で囁かれて、シャーロットの心臓が大きく脈を打ち、なんとも言えないくすぐったさに肩をすくめる。すると、ふ、とエセルバートが微かに笑った気配がした。

 シャーロットの気を軽くするための冗談だろうか。単純にからかって楽しんでいる気もする。やはりこの皇弟は質が悪い。


「このような状況で不謹慎ですよ、殿下」

「反論のしようもないな」


 従者から注意を受けて、エセルバートは顔を離す。それでも、すぐ後ろにエセルバートが座っているのは変わらぬ事実で、その温もりを背に感じる。

 誰かと一緒に馬に乗るという経験がほとんどないのでどうも落ち着かない。慣れない状況に居心地が悪いといった方向の意味ではなく。


「私の愛馬は体格が大きく力も強い。安心して身を委ねてくれ」


 この馬は正真正銘エセルバートの愛馬で、帝国から連れてきたらしい。王都から伯爵領に来るまでのエセルバートの移動手段はシャーロットと同じ馬車だったので、黒馬にはブランドンが乗っていた。筋骨隆々な黒馬が心なしか気位が高そうなすまし顔をしているように感じられてしまうのだから、なんとも不思議である。

 そのブランドンは伯爵家の馬に乗ることになったため、ジョージから与えられた馬の首を撫でてコミュニケーションを取っている。


「本当は後ろに乗せた方が私にしがみつけて安心できるだろうが、後ろの方が揺れが大きいからな。魔術で固定しておくから落ちる心配はない」

「はい……」


 エセルバートの優しい声が、吐息と共に耳に届く。この距離感だとどうしても息遣いは感じられるので、妙な緊張は解れない。

 シャーロットの体に、熱が広がっていた。





 ジョージが先導して現場に到着すると、野次馬が遠巻きに眺めている建物は赤い炎を纏っており、空に黒い煙が上がっていた。

 伯爵家の騎士や商会の人間らしき者たちに加え、住民も協力してバケツに水を汲んで消火作業にあたっているけれど、炎の勢いにとても追いつけていない。あれではいつ消火できるか。


「避難状況は?」

「常駐している職員五名は全員、外に逃げ出していることは確認できています」


 ジョージが避難状況を騎士に確認するのを尻目に、シャーロットはエセルバートの手を借りて馬から降りた。話には聞き耳を立てている。

 倉庫として扱っている建物だということで、人数はそれほど置いていないそうだ。


「では消火だけだな」


 エセルバートが数歩前に出た。


「シャーロット王太女。緊急事態だ、魔術の使用許可を」

「お願いいたします」


 許可を得ると、エセルバートは指を鳴らした。

 ふわりと風が吹き、強くなった風にエセルバートの髪や衣服がぱたぱたと煽られる。淡く光を帯びた魔術陣が出現すると、商会の建物の上に雨雲のようなものがもくもくと作り出され、まるで本物の雨が降るように雫が次々と落ち始めた。

 そして、建物の開け放たれている扉からも、エセルバートは新たに魔術で作り出した水を建物の中へと放った。

 炎が消えていき、野次馬から「うおおお!」と歓声が湧き上がる。


「魔術だ……」

「すごい」

「あの方は……まさか隣国の皇弟殿下か!?」

「王都の学園に留学してるっていう?」


 正体に気づかれ、野次馬たちの話題の中心がショッキングな火事よりも華麗に消火を終えたエセルバートになり始めた。


「ジョージ殿」

「は、はい」


 エセルバートに名前を呼ばれたジョージは、一瞬で緊張に身を強ばらせる。


「建物の中を調べる。天井が剥がれたり崩れたり、物が落ちてくる可能性もあるから、魔術で身を守りながらな。私、シャーロット王太女と私の従者、騎士数人でだ。悪いがジョージ殿を含めて伯爵家や商会の人間は外で待機していてくれ」

「承知いたしました」


 ここでジョージに拒否権はない。

 この火事が人為的なものであった場合、怪しまれることなく自由に出入りできる商会の人間が疑わしく、中に入れて証拠を消そうとする可能性を否定できないからだ。


「ではシャーロット王太女、建物が崩れて落ちてきても大丈夫なように周囲に結界を張っていいか?」

「……捜査の間は毎回わたくしに魔術の使用許可を仰がずとも、必要だと判断したのであれば遠慮なくお使いください。ブランドン卿も」

「そうか? 会話が減って残念だな」


 こんな時にまで飄々としているのだから、エセルバートという男はどうにも読めない。


 騎士数人を連れ、周囲に張られたエセルバートの結界を頼りに、足場の悪い建物の中を進んでいく。ここでもエセルバートの気遣いは健在で、シャーロットの手を取って誘導してくれた。

 そんな中、建物内の焦げ跡から火元と見られる木箱の残骸を見つけた。何かが埋もれている。


「魔術具だな」

「ですね」


 エセルバートとブランドンは、シャーロットにはわからない反応を感じ取ったようだ。

 エセルバートが魔術を使うと、残骸の中から何かが出てきた。宙に浮いたそれはゆっくりエセルバートの前に移動してくる。

 煤で汚れているけれど、見覚えのある剣だ。


「あの剣ですわね」

「ああ」


 火元に、違法魔術具である魔術剣。


「火事は偶然でしょうか」

「どうだろうな。違法魔術具は基本的に出来が悪い。不備による発火現象も考えられなくはないが……」


 火事そのものは事故か、事件か。その判断を下すには詳しく調べる必要がある。


「証拠隠滅を図ったのかしら……」

「ありえるな。私が捜査に協力することになったと知り、魔術ですぐに証拠品が探られることを恐れたのかもしれない」


 シャーロットの呟きにエセルバートが賛同する。


「そうだとすると、随分お粗末だがな」


 その通りである。

 魔術具は燃え尽きていない。つまり証拠を隠滅できていないのだ。他に目的があるのかは現段階では判然としない。


「とりあえず、こうして魔術具が発見できたので、エルムズ商会所有の建物や商会と取引関係のある場所を徹底的に捜査させましょう」


 建物の外に出ると、ジョージが「どうでした?」と尋ね、ブランドンが説明のために口を開く。


「中で違法魔術具が発見されました。火元はそれが入っていた木箱のようです」

「!」

「この倉庫は普段、職員のみが管理を?」

「……基本は職員ですが、指示は私が」


 どうやらジョージ名義の建物らしい。

 シャーロットは騎士たちに必要な指示を出し、ジョージを見据える。


「エルムズ家、そして商会の人間は重要参考人よ。勝手な行動は謹んでもらうわ」

「……かしこまりました」


 ジョージは動揺を隠せない様子ながらも、気丈に振る舞おうという姿勢を見せていた。「協力を惜しみません」という態度だ。


「とりあえず、騎士に従って――」

「王太女、殿下!」


 馬の走る足音が微かに聞こえたと思ったら、馬に乗った近衛騎士が現れた。伯爵邸でクェンティンと共にマルコムの見張りにつけていたはずの騎士だ。腕から血を流してそこにいる。


「第二王女殿下が……っ」


 それは、緊急事態が起こったことを示していた。



  ◇◇◇



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