32.第四章六話
「お姉さまが直接?」
エルムズ伯爵夫人ケイティは、ジュリエットの話し相手としての役割を遂行中だった。放蕩息子だったマルコムが彼女に入れ揚げていると知り、息子の恋が叶うだけでなく王家との繋がりを得るチャンスだと、息子を売り込むべくあれこれ美談を語っていたのである。
伯爵家は王家と縁を結ぶとなると身分が低い。しかしケイティは元々、侯爵家の出身だ。
それに、フレドリックは娘を溺愛している。ジュリエットもマルコムに恋心を抱き、結婚したいとせがめば、きっと断れないはずである。
ジュリエットの心を掴んでしまえばこちらのもの。命の恩人でもあるし、マルコムは見目がいい。数々の浮名を流してきたのもその容姿があったからこそ。ロマンチックな色恋に憧れる年頃の少女が惹かれないはずはない。ケイティはそう確信していた。
そのため、あれこれと話を盛ったりもしたけれど、すべてはマルコムの、そしてこの伯爵家のためである。
しかし思っていたほどの食いつきがなく、ジュリエットが姉は今何をしているのか気になると言うので、ケイティが「取り調べ中ではないでしょうか」と答えると返ってきたのが今の台詞だ。
「そのために王太女殿下がいらっしゃっていますから……」
「そんな……ダメだわ。あの人たちは怖い人たちだもの。お姉さまにきっと酷いことを言うに決まってる」
バッと、ジュリエットが立ち上がる。
「ジュリエット殿下?」
「わたし、止めてきます! お姉さまが傷ついてしまうもの!」
「ええ!?」
予想外のことに、ケイティはぎょっと瞠目した。
あんなにほわほわした少女なのに、一度こうと決めたら止まらないようで、動きも意外にも俊敏だ。ジュリエットは止める間もなく部屋を飛び出した。
「殿下! お待ちください!」
ケイティも慌てて廊下に出て、ジュリエットの後ろ姿に声をかける。今は部屋から出てほしくない。
もう一度「殿下!」と呼び止めようとしたところで、ジュリエットが曲がり角の直前でそこから現れた影とぶつかった。
「きゃっ」
「おっと」
倒れそうになったジュリエットを、角から現れた青年が反射的に手を伸ばして支える。
「申し訳ございません、殿下っ。お怪我はございませんか?」
不快な姿と声だ。
青年を認識した途端、ケイティは表情が歪んでしまった。
「だ、大丈夫です……」
青年の顔を見上げたジュリエットが、不自然に固まった。頬を染め、青年から目が離せないと言わんばかりに――見惚れていたのだ。
その光景に、頭を鈍器で殴られたような衝撃がケイティに走る。
嫌な予感に、これでもかと目を見開いた。
熱心に見つめているジュリエットに、青年は戸惑いがちに尋ねる。
「えっと、本当に大丈夫ですか?」
「はい! あの、こちらこそ、前を見ていなかったものですから……ぶつかってしまってごめんなさい」
「お怪我がないのでしたら何よりです」
そう微笑んで、青年――ジョージは、ジュリエットの手を取るとその甲に唇を寄せ、キスをするふりをする。この国での紳士の女性に対する挨拶だ。
「挨拶が遅れました。お初にお目にかかり光栄でございます。私はジョージ・エルムズ。この家の長男です」
「あ……ジュリエット・カリスタ・リーヴズモアです」
恥ずかしそうにしながら、ジュリエットも自己紹介をした。
「この度は我が領地で殿下の御身を危険に晒してしまい、大変申し訳ございません」
「あ、謝らないでください! 悪いのはわたしを襲った人たちなんですから……!」
深々と頭を下げて謝意を示すジョージに、ジュリエットは首と手を横に振る。
「そのように仰っていただいてありがとうございます。王太女殿下方とともに全身全霊で早期解決に向けた捜査にあたりますので、殿下はどうぞごゆっくりお過ごしください。馬車も早急に修理いたしますので、完了しましたらお知らせいたします」
「はい、ありがとうございます」
「ところで、慌てておられたようですがどちらに? まだ安静にしておいた方がよろしいかと」
「その、お姉さまがわたしを襲った人たちを取り調べていると聞いて……きっと酷い言葉を向けられているはずです。お姉さまが傷ついてしまいます。だから、他の人にお願いするべきだと言いに……」
ジュリエットの説明を聞いて、「なるほど」とジョージは頷く。
「王太女殿下は第二王女殿下が危険な目に遭ったからこそ、解決しようと奮闘なさっておられるのです。賊の取り調べを直接行っておられるのも第二王女殿下のためです。信じてお任せしましょう」
柔和な笑みを浮かべて諭すようにジョージが言うと、ジュリエットは少し考えた後にこくりと小さく首を縦に振った。
「さあ、お部屋にお戻りを」
「はい……」
ジョージに促され、ジュリエットは差し出された手を取った。ジョージは部屋の前までジュリエットを誘導する。
「では継母上、第二王女殿下を引き続きよろしくお願いいたします」
黙って眺めるしかなかったケイティに、ジョージがジュリエットを託す。
ジュリエットの前だから、怒鳴りつけたい衝動を必死に抑え込んだ。ジョージも理解しているようで、ふっと笑って踵を返していく。
ケイティはすぐさま、ジュリエットを部屋に戻した。
ジュリエットはソファーに座り、そわそわしている。
「殿下、少々お腹が空いておりませんか? 何かお菓子を用意させますわ」
「はい……」
あのいけ好かない青年から気を逸らそうと、ケイティはそう提案したけれど、やがてジュリエットは「あの」とケイティに尋ねる。
「ジョージさまには恋人や婚約者はいらっしゃるのでしょうか……?」
ほんのりとジュリエットの頬が朱を帯びている。照れているとしか言いようがなく、それはまさに、恋する乙女そのものの表情だった。
これはもう、確定だ。
持っている扇子がキシッと音を立てるほど、ケイティの手に力が入った。
◇◇◇
応接室にて、シャーロットたちは取り調べの結果を確認しにきたマルコムと相対していた。
「取り調べはどうでしたか?」
「面白い話が聞けたわ」
四人組が犯行に及んだ経緯を、クェンティンがマルコムに説明する。
「なるほど……つまり、彼らを唆し、魔術具を与えた人物がいたというわけですね」
「そうなります」
クェンティンはまだ、その人物の正体に心当たりがない。とにかくマルコムの協力者だろうという考えにしか至っておらず、やきもきしている。
名ばかりの婚約者が苦悩している様に溜飲を下げていると、シャーロットはエセルバートとぱちりと視線が交わった。
「さて、王太女。どうする? 私は魔術師として協力を仰がれたわけだが、この国の人間ではないからな。自己防衛以外で大規模な魔術を使うには、この場所では王太女殿の許可を得なければ国家間の問題になり得る」
許可なく目の前で魔術を使っていたのはどこの誰だったか。
彼は魔術師だ。魔術も生活の一部。そのため多少なら目を瞑ることになっているけれど、それは基本的に学園や迎賓館の中での話である。以前使われた転移の魔術、そして事前の説明なくシャーロットの髪や瞳の色の変化などの他者へ影響を与える魔術の使用については、本来であれば苦言を呈すべきだった。
そうしなかったのは、シャーロットの魔術への好奇心、そしてエセルバートに対する妙に確固たる信頼ゆえだ。
「陛下に、さっさと解決してジュリエットを連れて帰ってこいと命じられています。なので、なるべく最速の手段をとりたいところです」
フレドリックの望みを叶えるのはとても癪だけれど、仕事もまだまだ残っているので、少しでも睡眠時間を確保するために一刻も早く終わらせたい。
「まず、エルムズ商会が大陸南部の国々との密輸を手引きしている可能性が浮上していることから、もしそれが事実であった場合、密輸された魔術具が他にもあると考えられます」
「ああ、だろうな」
「恐らくどこかに保管しているはず……エセルバート様、その場所を探していただくことは可能でしょうか?」
「そうだな、数秒ほどで」
「!」
こともなげに言ってのけたエセルバートに、シャーロットもクェンティンも驚いた。
「一度どのようなものか見たからな。伯爵領全体を対象にして似た反応を探るのは容易い。この国は魔術具がほとんど普及していないため、他の反応に惑わされることもないだろう」
魔術具がありふれた場所だとかなり難易度が上がるらしい。それでも私ならば可能だと、エセルバートは自信満々に宣言した。見栄っ張りなどではなく事実だろう。
エセルバートの言葉にだんだん青褪めていくマルコムをちらりと一瞥したところで、ノックの音が聞こえた。
「マルコム様、至急お伝えしたいことが」
「あ、ああ……」
外の使用人に応えてマルコムが扉に近づいて開けると、使用人がこそこそと彼に耳打ちする。途端、「なんだと!?」とマルコムは驚愕の声を上げた。
「どうかしたのか?」
「我が商会が所持している建物で火事が発生したそうです。急いでそちらに向かい、状況を把握しなければ……」
動揺が重なり、マルコムの顔色はますます悪くなっていた。
そこで、新たな訪問者が現れる。
「もう話が行ってしまったのか」
そう声がすると、ドアが大きく開かれた。ジョージが入室し、シャーロットたちに礼をとる。そばに立っているマルコムは彼を忌々しいと言わんばかりに睨みつけた。
「なんの用だ」
「火事の件でな。私が行く。マルコム、君は残っているんだ」
「なんでだよ?」
「いいから、邸から出るな」
ジョージの指示に不満そうなマルコムだったけれど、更に「命令だ」と続けられるとカッと目を見開いた。
「お前に命令される筋合いはない!」
怒鳴ったマルコムがジョージのシャツの胸元を掴む。表情は怒りに歪み、軽蔑の色彩を帯びていた。
「穢れた娼婦の子のくせに……っ」
「落ち着けマルコム。――殿下方の御前だ」
ジョージが声を潜めて告げると、マルコムはハッとした後、顔を背けながら「失礼致します」とシャーロットたちに挨拶をし、この場を後にした。ジョージと一緒に来ていた使用人が後を追ったので、邸から出さないように見張りとして向かったのだろう。マルコムに火事の件を伝えにきた使用人は、ジョージの指示で下がった。
「兄弟仲は良くないようね」
「私だけ母親が違いますから……お恥ずかしい限りです。申し訳ございません。お目汚しを」
苦笑したジョージに、シャーロットは「気にしないで」と声をかける。
伯爵の前妻は娼婦の出だった。身分差の恋愛結婚だ。
しかし、長男――ジョージを産んでほどなく、前妻は亡くなってしまった。そして親戚から今度こそ身分に相応しい相手をと強引に進められた縁談の相手がケイティだったのだ。
ケイティは元々、以前から伯爵の婚約者候補として名が挙がっていたようで、けれど婚約が整う前に伯爵と前妻が結婚してしまったらしい。前妻とその息子であるジョージを嫌っていても不思議ではない。上流階級では珍しくないことだ。
恐らく継母からは執拗に冷遇されているだろうに、ジョージはまったく気にしている素振りもなく平然としている。卑屈にでも育ちそうな環境で、こうも堂々と余裕を持った青年になるとは。
(まあ、伯爵は彼を可愛がっていたものね)
シャーロットは伯爵とは以前から面識がある。息子の話も聞いたことがあった。長男がやはり一番大事だと、彼はよく語っていたものだ。
愛した女性との間に生まれた息子なのだから、愛情を抱くのが一般的な感覚だろう。
(子供たちの扱いに差が出ていたことは想像にかたくない)
伯爵と、夫人のケイティ。それぞれがそれぞれに愛する息子たちに愛情を注いだのだろう。兄弟仲の悪さはその順当な結果と言える。
子供はいつだって、親に振り回される。そういうものだとシャーロットは常々実感させられている。
「火事の現場にはわたくしたちも向かうわ」
「殿下方もですか?」
「ええ。確認したいことがあるから」
「……承知いたしました」
ジョージは「先に準備を進めてまいります」と一度席を外した。シャーロットはソファーの背もたれに深く体重を預け、「クェンティン」と口を開く。
「騎士を数人つけるから、貴方はここに残ってマルコム・エルムズを見張ってなさい」
「しかし」
「彼がジュリエットに必要以上に近づかないよう、妨害しなくていいの?」
こう言ってしまえば簡単だ。
「かしこまりました」
責任感に溢れたキリッとした顔つきで、クェンティンは躊躇いもなく承諾した。




