28.第四章二話
準備を済ませたシャーロットは馬車に乗り、迎賓館を訪れた。
急な要請だったというのに、エセルバートはすぐに対応してくれ、シャーロットたちが到着する頃には事前の知らせのとおり準備もとっくに終えていた。「男は女性ほど準備に時間は取られないからな」と笑っていた。
シャーロットが馬車での移動だと知ると、エセルバートは同乗を希望した。そのため、馬車の中はシャーロットとエセルバートの二人きりとなる。クェンティンとブランドンは護衛の騎士たちと同じく馬に乗っての移動だ。
「改めて、この度はご多忙の中、協力していただきありがとうございます」
シャーロットが頭を下げると、「気にするな」とエセルバートが口角を上げる。
「魔術師が生まれないこの国では適切な対処も難しいだろうからな。例の違法魔術具かもしれないし、取り締まりは魔術師の一人として果たすべき役割だろう」
エセルバート側の護衛は従者のブランドンだけだった。学園の中でもない限りありえない状態だ。
魔術の研究資料があるエセルバートの部屋の見張りや、他にもエセルバートの魔術関係の仕事があるとかで、本来は護衛の役割を持つ騎士をそちらに充てているらしい。
そんなに忙しい中、協力要請に応じてくれたのだ。
「私の身に何かあってもそちらに責任を追及するつもりはないしさせないから安心しろ」と言ってくれた。
「『このお礼は必ずする』と、陛下から言伝を預かっております」
「そうか。ではまた君とのデートで手を打とう」
楽しそうに、からかうように告げられた言葉に、シャーロットは目を瞬かせる。それから思わず笑みを零した。
「そのように伝えておきます」
「ああ。頼む」
表向きはお茶会となっているエセルバートとのデートは、時間にして数時間だ。フレドリックとしてはその分シャーロットに仕事を割り振ることができず不服なのが、周囲の人間が見て取れるほどに透けている。
シャーロットからすると楽しく過ごせて、フレドリックにも意趣返しになる、絶好の時間である。
「そういえば、学園を休んでいたそうだな」
「ええ」
「体調不良か?」
「ご存じなのでは?」
シャーロットが笑顔でそう返すと、エセルバートは息を吐いた。それからじいっとシャーロットを見つめる。
「少し、雰囲気が変わったか」
「そうでしょうか?」
惚けて聞き返すものの、シャーロット自身、変化があったことは自覚している。けれど誤魔化さなければ、下手につつかれると彼にはうっかり色々と話してしまいそうで怖い。
せっかく覚悟を決めたのだから、ここで失敗はしたくないのだ。
密かに改めて意思を固めていると、エセルバートが腰を上げ、シャーロットの隣に移動してきた。そして、シャーロットの左手をそっと優しく取る。とても気遣いが感じられる触れ方だ。
「エセルバート様?」
彼の行動の意図を測りかねて呼んでみても反応はない。エセルバートがすり、とシャーロットの手の甲に親指を滑らせ、その指がブレスレットに軽く触れた。
そこで、気づいた。エセルバートが真剣な目で、ブレスレット――彼がプレゼントしてくれた魔術具を凝視していることに。
(もしかして、気づかれた?)
一瞬でシャーロットの体に緊張が走る。
デートの時に使えと渡されたこの魔術具を勝手に別の場面で使用したことに気づかれてしまったのだろうか。魔術具がそのような仕様だったりするのか、それとも魔術師はそういうことまでわかってしまったりするのだろうか。
謹慎を受けたことは国民や貴族の失望を招くからと箝口令がしかれているため広まってはいないけれど、彼は恐らく知っている。
他国に間諜を置くのは常套手段。シンプルで効果が高い。魔術大国の間諜ともなれば、魔術で上手くこなしているだろう。そうでなくとも、彼自身が魔術で情報を収集することも容易いはずだ。
孤児院訪問の日、シャーロットが馬車から抜け出したというインパクトが強く、騎士たちやフレドリックはシャーロットの服装にまでそれほど意識を向けていない。つまり、シャーロットはあのドレスのまま抜け出したと思われており、このブレスレットで着替えができることは知られていないのだ。
けれど、これを贈ってくれた本人であるエセルバートは知っている。そして、ブレスレットが魔術具であることをシャーロットが周りに伝えていないことも、恐らく気づいている。
その事実は彼に対して、今後もあの格好で、一人で抜け出す可能性を示唆してしまうことになる。
「どうか、されましたか?」
「……いや」
早鐘を打つ心臓は思うように落ち着かない。むしろ鼓動を刻む速度は増していく。
それでもどうにか質問を絞り出すと、エセルバートからの詰問はなく、彼は表情を和らげた。
「デートではない日も身につけてくれているんだな」
「あ、はい……。その、お守りみたいなもので」
「そうか」
エセルバートが懐から何かを取り出した。青いそれは見覚えがある。
「そのリボン……」
「魔術具に上手くセットできていなかったらしい。悪いな」
知っている。けれど、それを口にして墓穴を掘るわけにはいかない。
「そうだったのですか? エセルバート様でも失敗なさるんですね」
「ああ。君と楽しい時間を過ごせたから、浮かれていたんだろう」
さらりと流れるように放たれた言葉にぱちぱちと瞬きをして、それから目を伏せる。
(――わたくしも)
楽しい時間を過ごし、浮かれる。シャーロットもそうだった。
彼と同じ気持ちを共有できていたことが嬉しい。そして、なんだかこそばゆい。
(ああ……この感覚は、ダメだわ)
この、温かい優しさに溺れてはいけない。
気持ちを引き締めようとシャーロットが心を落ち着かせていると、エセルバートがブレスレットの宝石を撫でた。彼の手にあるリボンが反応して光を纏い、粒子となってブレスレットに吸収された。不思議で幻想的な光景だ。
(この人からいただいたものを悪いことに使うのは、気が引けるわね)
そうは思うけれど、やめるつもりもない。この魔術具はシャーロットの計画に必要だ。
だからせめて何かを返したいとは考えている。しかし、シャーロットに何ができるだろうか。魔術師である彼の役に立つ何かを与えるのは難しい。
考えても、答えは出ない。
「エルムズ伯爵が第二子、マルコム・エルムズがご挨拶申し上げます。隣にいるのは弟のレックスです。父は臥せっており、代理をしている兄も視察で邸にいないため、私どもの挨拶でご容赦ください」
エルムズ伯爵邸に到着すると、伯爵の子息であるマルコムとレックスが出迎えに現れた。
シャーロットとクェンティン、騎士に加え、エセルバートとブランドンの訪問も事前に早馬で知らせはしたけれど、その知らせもせいぜい数時間ほど前についたはずだ。
エセルバートの登場に、エルムズ兄弟や伯爵邸の使用人たちは緊張を隠せていない。
「ジュリエット殿下はどちらに?」
お互いの挨拶を早々に済ませるとクェンティンがそう切り出した。怪我はないと話では聞いていてもジュリエットの安否をその目で確かめることは、クェンティンにとっては最も重要なことだ。自然と厳しい表情になっている。
その表情は、ジュリエットの安否だけが原因ではないけれど。
「客室にてお休み中でございます。ご案内いたします」
マルコムの案内に従い、邸への歩みを進める。
マルコムとレックス、シャーロット、エセルバート、ブランドン、クェンティンと続いており、真ん中の三人は最後尾のクェンティンから漏れ出る殺気に近い敵意を感じていた。
ジュリエットが心配だという不安だけでなく、明確な悪意が前方――マルコムに向けられているのだ。
エセルバートはシャーロットとの距離を縮めると、少し身を屈めてシャーロットに顔を寄せ、小さく声を落とす。
「第二王女の恩人だというのに、君の婚約者はずいぶん彼を目の敵にしているようだな」
「遊び人で自由奔放だったマルコム・エルムズが異性関係を清算しているという話が一部では有名なのです。本命ができたらしい、と」
「ああ、なるほど」
エセルバートが納得した様子を見せる。
そう。本命とはジュリエットのことだ。
ジュリエットがチェスター学園に入学した年――つまり昨年、マルコムは大学部の四年生だった。学園に通っている期間が一年被っており、偶然にもジュリエットを目にして一目惚れした、と友人に零していたそうだ。
だからクェンティンはマルコムが気に食わないのだろう。恩人であっても、好きな女性に近づく悪い虫と認識している。
いや。恩人だからこそ、恩着せがましくジュリエットとの仲を深める機会を得たと喜んでいるかもしれないのだ。油断ならないのだろう。
フレドリックも異性関係が派手だったマルコムを警戒しており、ジュリエットには近づけたくないと考えている。それゆえにシャーロットたちをこの伯爵家へと素直に送り込んだのだ。エセルバートの要望、賊や魔術具のことを調査するのはもちろん、ジュリエットにつきまとう害虫を注意深く監視して排除しろ、という言外の命令である。今回助けられたことでジュリエットが彼に良い感情を抱かないように。
色々と不満点はあるけれど、シャーロットとしても魔術具が関わっているとなると興味がひかれるので、一応気合いは入っている。




