00.間章前編
三年ほど前。
ファレルデイン帝国とリモア王国、両方の国と接する国の王が主催する大規模なパーティー。各国の要人が参加しているその場に、エセルバートは皇帝の代理として渋々ながら出席していた。
「踊らないんですか? 殿下。ご令嬢方から熱い視線がいくつも送られていますが」
ブランドンが愉快そうに訊く。
高位の貴族令嬢や王女たちの煩わしい視線には気づいているけれど、エセルバートはダンスの輪に交ざるつもりは毛頭ない。ブランドンはそれを承知していながらわざとそんな質問をしているのだ。からかう以外の意図などそこに存在しない。
「この場にいるだけでも褒めてもらいたいものだからな。それ以上を求めるな」
身重の兄嫁――皇后がいつ産気づいてもおかしくない時期で、皇帝が「絶対に離れん!」と駄々をこねたため、研究費の増加と引き換えにエセルバートがこのパーティーに出席するはめになった。魔術の研究の時間を削っているのだ。苦痛の時間を増やしたくはない。
「両陛下が残念がられますよ。魔術師として有名な他国の王女殿下もいらっしゃいますし、知見を広げるためにもいかがです?」
ちょうどその王女も熱烈な眼差しでエセルバートを見つめている。
「その王女が私にない魔術の知識を有していると思うか?」
「可能性は限りなくゼロですね」
薦めておきながら、ブランドンはしれっとそこは本音を晒してきた。
魔術大国ファレルデイン帝国の皇弟エセルバート。魔術研究においては最も恵まれた地位にあるのだ。いくら他国で有名な魔術師の王女であっても、ファレルデインの一介の魔術師に劣っていることだってあり得る。そんな相手に時間を割くのはもったいない。
「本当に優秀なら、いずれ相対するだろう」
実力が本物なら出会う場はいくらでもある。エセルバートが所属する学会では件の王女の名が出ていないので、つまりはそういうことだ。
「エセルバート殿」
ワイングラスを手にブランドンと話してばかりで周囲に近づくなオーラを放っていたエセルバートだったけれど、隣国の王の登場はさすがに無視できなかった。
暴政に終止符を打った隣国の英雄、フレドリック王。ファレルデイン帝国とリモア王国の関係性は改善に向かってはいるもののなんとも微妙と表さざるを得ず、扱いが難しい。
個人的には、フレドリックに興味はある。あの環境で育ちながら国民に寄り添う王となり、次々と見事な政策を打ち出す彼の手腕に。
「お久しぶりです、フレドリック王」
「ああ。貴殿がこのような場にいるのは珍しいな」
「兄の代理です。義姉がそろそろ予定日なので」
「なるほど。無事に新たな帝国の星が誕生することを祈ろう」
「ありがとうございます」
形式的な会話を終え、エセルバートの視線はフレドリックの隣へと向けられる。
フレドリックとよく似た色を宿す少女だ。品があり嫌味のない豪奢なドレスを身に纏い、洗練された佇まいでそこにいる。
何よりエセルバートの目を引いたのは、その人間離れした美しい顔だった。
「紹介しようと連れてきた。我が国の王太女だ」
「お初にお目にかかります、シャーロット・カリスタ・リーヴズモアと申します」
重心がぶれる気配もなく、少女は優雅に礼をとる。
王太女、つまりフレドリックの第一子だ。あらゆる意味でフレドリックに似ていると聞いていたけれど、確かに酷似している。ただ女性でまだ若さもあるからか、フレドリックよりは雰囲気が柔らかい。
「このように他国のパーティーに出席するのは初めてで緊張しておりますので、無礼がありましたら申し訳ございません」
「いや。所作がとても美しく、欠点のつけようなどない」
お世辞ではない。彼女の作法は完璧だ。とてもこれが国際パーティーデビューとは思えないほど。
「ファレルデイン帝国皇弟エセルバート・サディアス・ファレルデインだ。王太女殿とは今後も似たような場で会う機会があるだろう。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
シャーロットの手を取り、甲に唇を寄せてキスをするふりをする。
普段はマナーだと理解していてもここまでしないけれど、わかりやすく男の性に負けた。要するに眼前の少女の顔がタイプど真ん中だったのだ。
フレドリックとシャーロットが挨拶回りに戻って行き、エセルバートは空になったグラスを給仕に渡す。
「確か十五歳だったか、見えないな。落ち着いていたし、ものすごく美人だ」
「殿下が純粋に容姿をお褒めになられるとは……」
「なんだその顔は」
明日は槍でも降るんですかね? とでも言いたげな表情のブランドンを睨めつけ、エセルバートは新しいワインを手にして歩みを進める。
「殿下?」
「休む」
「サボりですね、承知いたしました」
エセルバートは眉がひくついた自覚があった。しかし何も言わず、無言でバルコニーへと向かう。
フレドリックが声をかけたことで、それに便乗してくる者が現れる可能性は高い。というか、確実だ。だからこれは心身を守るための避難である。
ブランドンがバルコニーの前で人が入らないよう見張るために待機し、エセルバートは気だるげに足を踏み出した。
バルコニーに出ると、冷えた夜風がエセルバートの肌を撫でる。
適当に時間を潰して、その後はさっさと部屋に戻ろう。そう決定し、魔術のことに思考を巡らせていた。
そうしてどれほど経った頃だろうか、バルコニーから見下ろせる庭園に少女が一人で出てきた。
(シャーロット王太女……)
パーティー会場から漏れ出る光と月明かりで、シャーロットだと気づけた。
夜の庭園に、華やかなドレスを身に纏い淡い光に照らされる優雅な美少女。まるでおとぎ話で描かれている妖精かのごとく幻想的な姿だ。
しかし、一人とは不用心である。
そう思っていたところに、複数の若い男たちが現れた。
(あれは)
ファレルデインとは二つほど国を挟んだ土地にある小国の王子と、王子の従兄弟の公爵令息だ。
王子と公爵令息はまっすぐシャーロットのもとへと向かって歩みを進めている。最初から彼女が目的で出てきたのだろう。
シャーロットも二人に気づき、悠然と振り返った。余裕がある。
「先程は挨拶だけで終わってしまったので気になりましてね。お一人で外は危ないですよ、王太女殿下」
「ああ、それとも、誰かと待ち合わせでもなさっておられるのですか? さすが、リモアの先王の血を引いているだけある」
意地悪く、王子たちは笑っている。小馬鹿にした態度を隠そうともしていない。
ここで先王の名を出したのは、色ぼけの暴君と同様、お前も男を誘っていやらしいことにでも及ぶつもりだったんだろうと侮辱しているのだ。
「先王までの代でさんざん周辺諸国に迷惑をかけておきながら、次の王がこうも浅慮で欲に忠実とはな! 人目のない庭園で何をするつもりだったのか」
(幼稚すぎる)
せっかく関係が修復されつつあるのに、それをわざわざ壊そうとするとは。――国同士の関係性が崩壊して痛手を負うのはリモア王国ではないというのに。
「殿下」
ブランドンがバルコニーに出てきた。
「何やら声が聞こえましたが」
「ああ。あれだ」
エセルバートの視線を追って、ブランドンも庭園を見下ろす。瞬時に状況を察せたようで、「おやおや」と目を眇めた。
「助けに入りますか?」
「いや……」
エセルバートもそうした方がいいのかと観察していたけれど、シャーロットに怯えや恐怖、戸惑いといった感情は見受けられない。己に敵意を持った年上の男たちを、静かに冷静に見据えている。
そして、ゆっくり口を開いた。




