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シャーロット王女の死  作者: 和執ユラ
第三章 罪に気づけない者たち
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26.第三章十一話



 夕方に王城に到着してすぐに処分が言い渡され、早めの湯浴みを終え、ベッドの上に仰向けに寝て、シャーロットはただひたすらぼうっとしていた。それだけのことが幸せだった。何も考えず、体の力を抜き、誰の目もなくゆっくりできる時間が。

 謹慎だから夕食も一人、この部屋で済ませることになる。なんて素晴らしいのだろうか。


 天国のような時間にノックの音が響く。外で警備にあたっている騎士からクェンティンの来訪が告げられた。彼も視察から戻ってきたようだ。

 それにしても、こんな時間にシャーロットの私室に彼が来るとは珍しい。シャーロットに謹慎が命じられたことはもう耳に入っているはずだから、その件だろう。


 ネグリジェの上にガウンを着て「どうぞ」と許可を出すと、クェンティンが入室してきた。

 一応は婚約者なので、この格好で迎えても失礼にはならない。クェンティンもまったく意識していない様子だ。

 そして、シャーロットが自身の服装よりも気にかかるのは、クェンティンが抱えている紙の束である。


「……それは?」


 予想はできたけれど、確認のために訊いた。


「王太女殿下は部屋で謹慎とのことですので、執務室から仕事の書類を持って参りました」

「しごと……」


 思わず復唱してしまった。


「――ふ、っはは、あはは! ふふ……ああ、そう。そうよね。ふ、ふふっ」


 笑いが止まない。こんなに思いっきり笑うのは初めてかもしれないと、シャーロットは頭の中の冷静な部分で考える。

 謹慎中であっても、それはあくまで部屋から出ることが許されていないだけ。仕事がなくなるわけではないのだから、こうして運び込まれるのは当然だ。以前謹慎を言い渡されたのはもう何年も前のことだけれど、その時だってそうだった。すっかり失念していた。

 何年ぶりになるかもわからない休日を、期待していた。なんて滑稽なのだろうか。自嘲混じりに爆笑してしまうくらいには面白い。


「殿下?」


 クェンティンから怪訝そうな声をかけられて、シャーロットは依然として込み上げてくる笑いをなんとか堪える。


「ふ……っ、……はあ。ごめんなさい。もう落ち着いたわ」


 それでも口元はまだ緩んでいて、何やら機嫌が良いことが窺える。

 そんな姿が神経を逆撫でしたのか、クェンティンは眼差しを鋭くした。


「王太女でありながら謹慎などという処罰を受けるような恥と言わざるを得ない真似をして、よく笑っていられますね」

「そうね」


 相変わらず敵の位置にいる口うるさい婚約者だ。シャーロットの謹慎理由が視察先での問題行動に加えてジュリエットに対する侮辱なので、元から気が立っていたのだろう。

 普段であればこのような態度をとられると、表では取り繕って内心は彼への軽蔑に拍車がかかるところなのだけれど、シャーロットの今の精神状態だと、よほどのことがない限り怒る気にはなれないと思われた。ジュリエット相手であっても心の底から優しく接することができそうだ。


「染まらないと言い聞かせてきたのに、案外侵食されてたのよ。たぶん王妃陛下が亡くなってから十年以上かけて、知らないうちにゆっくり心の奥に浸透してしまっていたのね。それがなんだかおかしくて」


 ずっと不満を抱えていた。理不尽だという意見は幼い頃から抹殺されてきたから、仕方なく心の中でだけ思うようにしていた。シャーロットだけが心中で争っていたから――一部分だけ、毒されてしまっていたのだろう。彼らの「当然」という枠組みが、じわじわと心を侵していた。


 シャーロットが女王となるまで耐える必要がどこにあるというのか。自分にはフレドリックの後継者の道しかないと、なぜそう思い込んでいたのか。

 シャーロットには地獄であり、彼らには幸福な世界。それを壊すのは、決して不可能ではない。

 捨てるのは、存外簡単なことだ。その事実にようやく目を向けることができた。


「今回の件で、わたくしは間違っていたと気づいたわ。これでも本当に反省も後悔もしているのよ?」


 朗らかに微笑むシャーロットに対して、やはりクェンティンは怪訝な表情だった。しかし仕事の内容へと会話を移り変え、シャーロットも素直に従った。

 実際のところはまだではあるけれど、心だけでも少しだけ呪縛から解放されたようで気分がいい。体が軽くなったような気がする。病は気からと言うけれど、まさにそれを体現したような現象だ。心のつっかえが一つ取れて、身体にも影響を与えている。頭がすっきりした。


(ずっと我慢していたのが本当に馬鹿みたいね)


 きっと、恵まれてはいるのだ。

 衣食住に困ることは決してない。高級な素材で作られた調度品、小さな宝石が散りばめられたドレス、大きな宝石のアクセサリー、貴重な食材が使用された一流シェフの料理、煌びやかで広い城、身の回りの世話をしてくれる使用人、国でも上位の実力を誇る騎士の護衛、家庭教師や学園での高度な教育、王族としての権力――。挙げればキリがないほど贅沢な暮らしを、国民の税金でしている。

 けれどそこに、シャーロットの意思は存在しない。

 好きなドレスや宝飾品を選ぶことも、好きな料理を頼むこともできないし、一挙手一投足発言すべてに責任が伴う重圧に晒されている中、周囲の人間が――一般的には家族と呼ばれる血の繋がりある父や妹でさえも、精神的な支えになることはない。


 不満を持つなんてわがままなのだろう。それでもシャーロットは自分の人生が幸福だとは思えないし、自由だと感じたこともない。がんじがらめに、まるで鎖を幾重にも巻かれて拘束されているかのようで、すべてジュリエットが優先で我慢を強いられる。

 ジュリエットのことが好きならフレドリック達のように本望だと、当然のことだと思えるけれど、生憎シャーロットは妹のことがどうしたって好きにはなれない。むしろ憎悪ばかりが際限なく膨らんでいく。


 シャーロットが何も尊重されない、ただ犠牲になるだけの時間をずっと過ごしてきた。それは死んでいるのと変わらないのではないか。

 ――死んでいる方が、苦痛など感じないのだから、幸せなのではないか。


 幸せの定義は人それぞれ異なる。しかし大多数の人は、「愛されること」が条件の一つに組み込まれているはずだ。特に子供の頃は自制があまり利かず、感情のままに行動を起こす。承認欲求が強く、親の愛情を求めるだろう。大人になれば、誰かと生涯を共にしたいと考える者が多いだろう。――誰かを愛することを、覚えるだろう。愛されたいと願うだろう。

 シャーロットの記憶に、愛されていると実感できる経験はない。妹は一応、シャーロットのことを好いてはいるけれど、あれは歪だ。父は後継者としてのシャーロットを必要とはしているけれど、愛しているのとは違う。婚約者だって、生涯を共にする相手として政略的に定められているだけで、そこに愛など存在しない。


 亡くなった王妃はきっと、シャーロットをちゃんと愛してくれていた。明確な根拠はないけれど、たぶん愛されていた。

 ただ、結局はほとんど覚えていない、肖像画や人の話でしか知らない人だから、他人という感覚が強くて嬉しさとか明るい感情は湧かない。


(私は、ただ認めてもらいたいだけだったのか、それとも……)


 誰かに、愛してほしいのか。自分が思う幸福とはなんなのか、シャーロットにもよくわからなかった。

 どちらにしろ、もうどうでもいいことだ。

 睡眠時間を削って、眠れない日も珍しくはなくて、不休で働いてきた。そんな努力が認められることはない。王太女ならできて当然だと片づけられる。国では労働環境を改善する動きにあるはずなのに、体制が整えば整っていくほど、シャーロットの生活は過酷さを増していくだけ。

 もっとも、王太女とは法的に言えば労働者とは異なるので、最初からその恩恵にあずかれるはずがないのだ。


 世の中にはたくさんの人がいるのに、王の直系はシャーロットだけではないのに、一人で多大な仕事と責任を背負わされる。フレドリックがそれを容易に可能としているから。

 それはつまり、フレドリック一人に何かあれば、国の仕事が回らず重大な危機に陥ることになるということなのだけれど――かもしれないというだけの未来に、誰も目を向けようとしない。能力があるからと一人に偏って背負わせることのあらゆる危険性を理解していない。フレドリック自身でさえ、そこを指摘したことがなかった。

 恐らくフレドリックは気づいている。その危険に思考が及ばないような男ではない。けれど、心配ないだろうと判断している。優秀な宰相と、そして己によく似た後継者がいるから、大丈夫だという漠然とした希望的観測を抱いているのだ。フレドリックにしては確実性を欠いている判断だと言えるのは、やはりジュリエットに負担をかけたくないという父親としての強い思いが、フレドリックの思考を鈍らせているのだろうと推測できる。


 シャーロットは後継者として、恐らく世界的に見ても十分にトップクラスのレベルだ。重責に見合った仕事をこなしてきた自負はある。

 十八歳を過ぎるまで、シャーロットなりに頑張った。生まれ持った才能は平凡というには優れすぎていて、けれど天才と呼べるほど傑出してはいなかった。それでも、フレドリックほどの能力はなくとも、フレドリックのせいで膨れ上がった期待値を背負い、及第点は取ってきた。だから――。


(もう、十分でしょう)


 十分犠牲になった。だから今度は――シャーロットを苦しめた彼らが、苦しむ番だ。



◇簡単な主要人物紹介◇


◇シャーロット・カリスタ・リーヴズモア

 18歳。金髪に翡翠色の瞳。

 リモア王国王太女。

 チェスター学園高等部第三学年に在学中。

 王太女となって十数年、とうとう闇堕ちしました。


◇エセルバート・サディアス・ファレルデイン

 21歳。銀髪に青紫色の瞳。

 ファレルデイン帝国皇弟。天才と名高い魔術師。

 チェスター学園大学部第三学年に半年間の留学中。

 シャーロットにいろんな意味で興味津々。


◇ブランドン

 25歳。

 エセルバートの従者、お目付役。魔術師。


◇ジュリエット・カリスタ・リーヴズモア

 17歳。桃色の髪に空色の瞳。

 リモア王国第二王女。シャーロットの妹。

 チェスター学園高等部第二学年に在学中。


◇フレドリック・チェスター・リーヴズモア

 金髪に翡翠色の瞳。

 リモア王国国王。シャーロットとジュリエットの父。


◇クェンティン・サージェント

 20歳。

 サージェント侯爵令息。第三子。シャーロットの婚約者。

 チェスター学園大学部第二学年に在学中。

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