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シャーロット王女の死  作者: 和執ユラ
第三章 罪に気づけない者たち
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24.第三章九話



 デクスターの件は、ジュリエットには真実が伏せられた。表向きの発表と同じく病を抱えたと教えられ、それを信じている。

 東部の不作がスターキー伯爵夫妻の仕業ということは公表されておりジュリエットの耳にも入っているので、「なんて酷いことを!」と暫く大層怒りを露わにしていた。

 本日、シャーロットはそんなジュリエットと二人、馬車に揺られていた。


「本当によかったです、工事が早まって。床はギシギシなるし、ドアもギィギィなるし、雨が降ると雨漏りもあるらしくて……子供たちに快適な生活環境を提供するためにも、まずは住む場所を綺麗にしたいですよね。わたしは前に行ったことがあるんですけど、お姉さまは初めてですよね、あの孤児院。子供たちがすごく元気で可愛くて、人懐っこくて――」

「ジュリエット」


 楽しそうに次々と言葉を発するジュリエットを、シャーロットは顔を上げて冷たく見据える。


「邪魔をしない、という約束で同乗を許可したのだけれど、もう忘れたのかしら」

「ごめんなさい……お姉さまと一緒なのが嬉しくて……」


 しゅん、とジュリエットが落ち込む。この程度のことで涙が浮かぶのは最早癖になってしまっているのだろうか。尋常ではない打たれ弱さが益々シャーロットの不快感を煽る。

 シャーロットは無言で、先程まで目を通していた手元の書類に視線を落とした。向かいからこちらを窺う気配が感じられるけれど言葉はかけない。


 シャーロットとジュリエットは、建て替えが決定した孤児院へと向かっている最中だ。会議の日、フレドリックより指示があった例の孤児院である。

 基本的な方針が決まったので一度現地を訪問することになったシャーロットに、ジュリエットが同行すると言い出したのは前日のこと。もちろん周囲が却下するはずもなく許可が下り、更には馬車に同乗したいというわがままも通ってしまった。移動中もシャーロットは書類仕事を裁かなければいけないので、その邪魔をしないという条件をなんとかつけ、姉妹水入らずの数時間にも及ぶ移動中の会話を回避したのだけれど。


(だめだわ。進まない……)


 シャーロットの眉間に薄らと皺が浮かぶ。

 寝不足と疲労でズキズキと痛む頭に馬車の振動が響き、存在そのものが集中力を妨げるジュリエットまで付属している空間。気が散って仕方がない。せっかくなら睡眠にでも充てたい時間だ。

 それでも、少しずつしか進まなくとも、放棄はできない。放棄なんてしたら現状よりも過酷なジュリエットの話し相手という地獄の時間を過ごすはめになるのだから。

 クェンティンでもいれば話し相手を任せてシャーロットは別の馬車で移動も可能だったかもしれないのに、こんな時に限ってクェンティンは別の視察で国の南部の方にいる。肝心なところで役に立たない。いや、役に立たないのはむしろ正常とも言えるのか。


 馬車で移動すること三時間。ようやく目的地についた。

 反乱前の罪に関する処罰が見送られ、最近粛清された貴族が領主だった土地。後継者がおらず、現在は王家管理しているけれど、功績を上げた者が近々叙爵し、この土地の領主となることが決定している。その前に工事の着手まで進め、費用は国が負担するという方針だ。

 予算を抑えるために、元々建設予定だった学舎と併設することにした。現在老朽化している孤児院の子供たちを含め、新たに別の孤児院の子供も受け入れるため、大きな建物となる予定だ。子供たちの人数、新たに雇う教員、工事の費用――考慮すべきことは山積みである。


「ようこそお越しくださいました、王太女殿下、第二王女殿下」


 孤児院の院長を任されている女性がまずは丁寧に挨拶をする。彼女の後ろに控えている職員たちも続いて一礼するけれど、揃って緊張した面持ちで、所作も硬さが窺える。一度面識があり良くも悪くも王族らしい威厳がないジュリエットはともかく、王太女シャーロットまで前にしては平然としろというのも無理な話だ。


「お久しぶりです、院長」

「また訪問していただき光栄です」


 ジュリエットが親しげに声をかけると、院長は少し硬さが和らぎ、ほっとした様子だった。相変わらずジュリエットの人の懐に簡単に入ることができる長所が活かされているようだ。


 二人は中へと案内された。

 ジュリエットは建物の中を見て憐憫をその瞳に宿していた。そういう感覚は正常だし、素晴らしいとも思う。シャーロットとて何も感じないわけではない。


(古いし、ボロボロだし、質素……。報告通りね)


 専門家でなくとも一目で判別は可能だ。歩くたびに床板はギシギシと音を立てて体重で凹む。壁は薄くて外の音がよく聞こえる。天井には雨漏りのシミがちらほらと。

 比較するまでもなく、王城とはまるで異なる。酷い惨状だと理解はしている。

 けれど、家がなく路上で生活している人々がいることを知っている。残飯を漁ってようやく口に入れられるものを見つけている人々の存在を知っている。ゴミ山からボロボロでも着用できそうな衣服を回収し、身につけている者たちを知っている。

 この国が暴政から解放されて二十年以上経った。シャーロットが実際に目にしたわけではない暗黒の時代。フレドリックの治世で改善されつつあるけれど、どうしたって時間がかかってしまうため、未だ昔の面影を残す部分は少なくない。

 そちらを優先しない理由が、シャーロットにはわからないのだ。為政者が公平に物事を見て判断するのではなく感情論だけであれこれ決めることを、責任を果たしているとは思えない。


(王族は恵まれている……)


 恵まれているから、憐れむ余裕がある。


「――あ! ジュリエットさま!」


 廊下を進んでいると、小さな子供たちと職員らしき者に出会した。この孤児院で暮らしている孤児たちだろう。

 子供たちは職員が止める間もなく、嬉しそうにジュリエットに駆け寄る。


「ジュリエットさまがここをかいぜんするように言ってくれたんですよね!」

「ありがとうございます!」

「え? えっと……」

「やっぱり王女さまはやさしいね!」


 子供たちの期待と歓喜に輝く眼差し、弾んだ声。無知ゆえの、無邪気さ。

 院長、職員たちが息を呑んだことにすら、子供たちは気づかない。


「孤児院を良くするためにたくさん考えてくれたのはわたしのお姉さまなのよ」


 膝を折ってかがみ子供たちに目線を合わせたジュリエットが、困ったように教える。子供はこてんと首を傾げた。


「でも、ジュリエットさまがここが古いって話してくれたおかげで工事が早まったんでしょ?」

「シャーロットさまならもっと早く手が回ったはずなのに、他のことをゆうせんしたからこじいんを建てるのがおそくなったって聞いたもん」


 言い終わったのと同時に、固まっていた院長がはっとして頭を下げる。


「申し訳ございません、王太女殿下! まだ物事をよく知らない子供です、王太女殿下のご尽力をよく理解できない年齢なのです……! どうかっ」


 ぶるぶると、震えている。肩も声も。

 王太女に対する無礼だ。世が世なら、場が場なら、子供だからでは済まされない。子供たちに下されるかもしれない処罰と監督不行き届きの自身たちの今後を想像し、最悪を思い描き、恐怖を感じるのはなんら不思議ではない。


「いいわよ。貴女の言う通り子供なのだから」

「寛大な御心に感謝いたします……!」

「わたくしがこの孤児院を後回しにしていたのは事実だもの。本当のことを言われて怒る必要はないわ」


 無表情でシャーロットが言い放った。

 空気がまた、急激に冷えていく。


「だって他に優先すべきものがたくさんあったから、わたくしはそれを間違っていたとは思わない」


 シャーロットの目が据わっていく。


「ここより老朽化が進んでいる倒壊危険性の高い建物はいくつもあるの。その中には周辺に多数の家が存在し、倒壊すれば多くの者の家が失われてしまうところもあるのよ。そもそも住む家がない者たちだっている。そういう緊急性の高い案件から処理していくべきだとわたくしは判断したわ」


 ジュリエットはおろおろしていて、――自身が非難されているとは、まだ理解できていない。


「けれど、ジュリエットは違った。たまたま貴女たちの孤児院を訪れ、直接その建物の老朽具合を目にしたから、専門家でもないのに優先すべきだと訴えた。おかげで元々予定されていた別の工事の予定は狂い、日程を調整し直し、予算を組み直し、無理矢理この孤児院の建設を差し込むことになったわ。それも予定の調整にジュリエットは関わらず、山ほどスケジュールが詰め込まれているわたくしが一からすべて任されるはめになった」


 子供の言動がきっかけで機嫌を損ねるなんて、シャーロットも大概、中身は子供だろう。自覚はしている。

 けれど、いつも我慢しているからだろうか。少し溢れると、止まらない。


「ジュリエットはただ工事を早めるように進言しただけ。それ以外はまったく何もしていなくてわたくしや関係者に丸投げしたわけだけれど、それが貴女たちにとって救いになったのなら、貴女たちにはそれでいいのではないかしら」

「……ぁ、の……」

「この子があれこれわがままを通してわたくしが迷惑を被るなんて、いつものことよ」


 毎度のことだからと言って許容できるかと問われれば、迷うことなく否と答えたいのが本音だ。

 院長はまだ震えている。子供たちは幼さゆえにシャーロットの言葉を正しく理解できていないけれど、とにかくシャーロットが怒っていて、院長を含め職員たちが怯え恐れている心の変化は敏感に感じ取ったようだ。不安そうにしている。


「あの、お姉さま――」

「貴女は子供たちの相手でも続けなさい。得意でしょう。いつもその程度のことしかまともにこなせてないんだから」


 踵を返し、早足に、しかし体に染み付いてしまっているせいか優雅に、シャーロットは足を動かす。


「殿下……」

「気分が優れないから馬車に戻るわ」


 戸惑っている騎士たちに告げて、シャーロットは建物を出て、外に停まっている馬車に乗り込んだ。建物に入ってすぐに戻ってきたシャーロットに御者や騎士たちが驚いていたけれど、何も説明せずに。

 座って、息を吐く。

 胃が、むかむかする。

 シャーロットはお守りのように身につけている、エセルバートから贈られた魔術具のブレスレットを撫でた。



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