23.第三章八話
その後、騎士に身柄を確保されたデクスターの懐から毒物が回収された。デクスターは自身用にいれた紅茶に毒を混入させ、自ら口にしていたのだ。その毒は症状がゆっくり進行していく類の強力なものだった。
症状は個人差があるものの、服毒から数時間で四肢に痺れや震えが出始め、一週間ほどで身体中に苦痛が走り、二週間ほどで体が動かせない状態となり、三週間ほどで内臓も機能が停止していき、ひと月前後で死に至る。解毒薬は存在するものの入手が容易ではない薬草が必要で、ひと月以内に解毒薬を用意するのは困難だ。
デクスターは、今回の不作の件を考慮してもフレドリックがデクスターを生かそうとしていると推測していた。だから確実に死に至れるよう、そしてなるべく苦しむ手段として、その毒を選択したようだ。
解毒薬のみならずその毒も特別な植物、それも数種類から抽出できる毒が必要で、入手経路はかなり限られている。材料の入手の難しさに加えて調合技術も高いレベルが求められるため、世の中にそれほどの数は出回っていない。
国外からそのような危険な毒が流入した。流通する数が少ないとしても、その事実は非常に厄介だ。
デクスターが毒を購入したのは今回告発した違法販売組織ではないようで、「早く見つかると良いですね」とのたまってくれた。これも復讐の一部のようだ。そして、期待でもあるのだろう。未来のリモア王国を率いる者たちへの。応えるべく、早急に調査する必要がある。
デクスターの罪は公にはならない。過去に起こしたことも、今回の件も。領民、そして国民からの人気や信頼が厚い彼の不正、犯罪を引き起こしたという事実は、領民たちに大きな混乱と不安を与えてしまうためだ。
何より、デクスターは領民たちから信頼を寄せられていることに罪悪感を抱いている。それも利用した罰なのだ。罪が公になれば、彼の心が少し軽くなってしまう。
侯爵邸の使用人たちもほんの一部しか真実を知らない。シャーロットが侯爵邸を訪れたのはデクスターの体調が良くないと王城で会った際に気づいたから、ということになっている。事前にすべて決定されていた。
デクスターは病気療養という名目で別邸に軟禁、トーマスはデクスターが亡くなるまで監視付きで同じく別邸で軟禁だ。その後は解放される。スターキー伯爵夫妻を焚き付けた者は存在しないからだ。
侯爵家は息子のスペンサーが継ぐ。スペンサーは父親と友人が犯した罪が世に知れ渡らなくとも、新たなオールポート侯爵として領民と国に尽くすことで償っていくと宣誓した。二人の計画に気づけず止められなかったことを、心の底から悔やんでいるらしい。彼自身の罪でもないのに、まるでそうであるかのように強い責任感を持っているように感じられた。それほど父を尊敬し、愛していたのだろう。
デクスターが変わったから、スペンサーも大きく道を踏み外す前に変わることができた。感謝もあるのかもしれない。
デクスターとトーマスの軟禁が始まった翌日、シャーロットは王都へ帰る前にデクスターの取り調べに同席していた。シャーロットは直接デクスターと会話をすることはなく、ただ静かに話を聞いていただけだ。
取り調べが終わり、シャーロットが邸の中央にある階段にたどり着くと、遠くから何やら騒がしい声が聞こえてきた。怒鳴り声だろうか。
「なんの騒ぎ?」
「それが……」
ちょうどシャーロットに馬車の準備が完了したことを報告しにきた騎士に話を訊くと、取り調べが終わったトーマスが騒ぎを起こしているらしいとのことだった。シャーロットに会わせろ、と。
どうやらデクスターの服毒の件が耳に入ったようだ。取り調べを担当した者か、見張りの騎士か、誰かがうっかり漏らしたのだろう。あとでお灸を据えてやらなければならない。仕事が増えてしまった。
「いいわ、会いましょう。彼の軟禁部屋まで案内してちょうだい」
「ですが」
「命令よ。口答えするの?」
「いえ! かしこまりました」
一気に緊張が全身に走ったのかびしっと姿勢を正した騎士は、「こちらです」と先導した。
デクスターの軟禁部屋は別邸の東館の二階にある一番奥の部屋、トーマスの軟禁部屋は西館の三階にある一番奥の部屋だ。
三階に上がればトーマスの声も何を言っているのか聞き取ることができた。表向きは侯爵家の騎士団との交流を目的としており、実際には監視のために派遣されることになった王立騎士団の騎士が、トーマスの軟禁部屋の前に立っている。
ドンドンと思いっきりドアを叩く音、トーマスの「出せ!」「王太女と話をさせろ!」という声が響く。
監視の騎士は廊下を進んでくるシャーロットに気づくと一礼した。
「開けて」
「しかし」
「飛び出してくるでしょうから捕まえてね」
監視の騎士は躊躇したものの、シャーロットの命令に従った。鍵を開ければ、バンッとドアが開かれる。
飛び出してきたトーマスは、騎士の後ろから見据えているシャーロットの姿を捉えると、掴みかかる勢いで迫ってきた。しかし騎士が難なくトーマスを捕まえて組み伏せる。
トーマスはなんとか力を振り絞った様子で顔を上げると、下からシャーロットを睨めつけた。
「なんでっ……あんた、デクスター様が毒を飲む前に気づいてたんだろ! なんで止めなかったんだよ!?」
あの部屋で最後に交わされたシャーロットとデクスターの会話から、その答えを導き出したのだろう。
確かに正解だ。シャーロットは彼が自身の紅茶に何かを仕込んだこと、――それが恐らく毒であろうことに気づいていた。気づいていながら、止めなかった。
「わたくしね、彼のことはそれほど嫌いじゃなかったの」
「だったら!」
叫ぶような非難を受けても、悪いことをしたなんて後悔や自責の念は生まれない。
昔は最低で最悪の人間だったらしいけれど、シャーロットが知る彼は穏やかで、優しくて――シャーロットに対する認識の根本的な部分が周りの人々と同じでも、接し方は違った。フレドリックやクェンティンのように一方的に叱責しない。内容に納得がいくかどうかは別として、諭すような口調は嫌いではなかった。
それに、もう十年も前のことではあるけれど、記憶に残っている中で唯一、シャーロットの頭を撫でてくれた人だった。父親が子供にそうするように、優しく。
「だから、彼の意志を尊重しただけよ」
優しさに、触れさせてくれた人。ゆえに嫌いにはなりきれなかった。けれど、昔の彼の話を知っているから、不快な思いを抱くのを止められないのも事実で。
(ああいう人とはやっぱり相性が悪いのね……)
どうしたって相容れない。それだけのことなのだ。
そして、トーマスのような人間とも、わかり合えることはない。
「大体、彼を止めなかったのは貴方も同じでしょう。わたくしを責める権利なんてないと思うのだけれど」
「なんだと?」
「彼の計画に気づいた時、貴方は止めるどころか共犯者となった。その結果よ。ただでさえ娘の死で精神的に追い詰められているのに、優しい人になってしまった彼が、下手をすれば食糧難にさえ陥りかねない状況を作り出して平気でいられるはずもないじゃない。責任転嫁も甚だしい」
「っ……」
「貴方が復讐に囚われず、彼の間違いに同調しなければ――彼に生きたいと思わせるような何かを与えていれば、彼はこの先も生きていたかもしれないわね」
今となっては確かめるすべもない、仮定の未来の話。それがトーマスの心を抉ったらしい。手で顔を覆い、「ぅ……ぁぁ……っ」と呻いたトーマスは、その場に崩れ落ちた。
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