22.第三章七話
スペンサーとトーマスが表情を歪める。デクスターの思いを日頃から感じていたのかもしれない。
「ですが……フレドリック王は、私を生かしました」
娘が公妾となり、殺された。そんなデクスターに賠償金が支払われなかった事実は国民には知られていない。
そしてデクスターは、賠償金の支払いがないことで、フレドリックがすべて知っていながらもデクスターをあえて生かしているのだと察した。権力者による犯罪が正当に裁かれることなく横行していた時代だ。すべて裁いては国を回せなくなるからだとすぐに理由まで推察することができた。
娘の死で意外にも大人しくなったデクスターを、フレドリックは害が小さいと判断したのだ。デクスターが有能な人材であることは疑う余地もなく、民衆の人気が高かったことも判断材料となっただろう。
デクスターはフレドリックと何か交渉をしたわけではない。罪に問うのは保留だと通告されたわけでもない。
権力者たちが次々と裁かれる中、デクスターには何もなかった。娘が亡くなる前に犯した数々の罪への言及は一切なく、賠償金の支払いはない旨のみが知らされ、侯爵としてその地位に見合った働きを期待すると、書簡だけが屋敷に届けられたのである。
それが余計にプレッシャーになった。すべて知られていながらも罪が暴かれず、罰せられることなく、のうのうと生かされていることが。
抜け殻のような日々を送って、ただただひたすら考えていた。自分はどうすればいいのか。
「娘への償いの方法が、私には分かりませんでした。死ぬべき人間ではあれど、果たして簡単に死んで終わらせてしまってよいものかと疑問があり……ふと、思ったのです。生きて己の罪に苦しむことこそ、償いとして正解に近いのではないかと。私は長年、懇願しても国から助成金が支給されないからなどと理由をつけて領地内の経営を疎かにし、領地民のことも苦しめてきましたので、領地のために尽くし、復興させ、繁栄させてから、一番苦痛を感じる方法で死を選ぼうと決めました」
反乱後しばらく経ってのこと、領地の復興に尽力するデクスターの姿に、かつて向けられていたデクスターの本質に対する疑問は完全に晴れた。領民たちは今では彼を善良な領主と信じて疑っていない。王に娘を奪われ、それでもなお国のため、領地のために真摯に役目を果たす哀れで誇り高い領主だと。
デクスターは甘やかして育てていた幼い息子にも厳しい教育を施した。厳しいだけでなく、時には愛情を込めて優しく励まし、支えた。そうして息子――スペンサーは立派な後継者へと成長を遂げた。父と同じように姉を道具のように扱っていた弟の影はない。自らの責任を理解している大人だ。
デクスターは変わった。立派な後継者も育てた。
それでも、苦痛の中で最期を迎えるという覚悟は揺らがなかったようだ。
「当時処罰が保留となった貴族たちが処理されていることに気づき、今がタイミングだと思いました。侯爵家の領民、東部の者たち、国民など、皆に申し訳ないことをしたと思っています。しかし身勝手にも、私は実行しました。私と同じく娘を死に追いやった先王夫妻の子であるフレドリック王が英雄と崇められているこの現状を、受け入れがたかったのです」
だから自身の失脚のために国の損失を作り上げたかったのだと、デクスターは覇気のない声で語る。
「伯爵夫人への恨みもあったんでしょう」
「はい」
デクスターは肯定した。
伯爵夫人イザベラの妹は、かつて自ら望んで先王の公妾となった。先王の妃の取り巻きで、デクスターの娘を執拗にいびっていた一人だ。そして、イザベラは妹を通して先王の妃と親しくしていた。侯爵令嬢への嫌がらせにも積極的に参加していたのだ。
「これは復讐なのです、殿下。私にそのようなことをする資格などないと承知しておりますが、どうしても……」
彼自身の失脚も兼ねた王家とイザベラに対する復讐と、未だ罰せられていない伯爵家へのトーマスの復讐。ちょうどいい条件が揃っていたということだ。
「けれど貴方は、貴方やこの計画に関わった者たちの財産でかなり補える程度の被害に抑えたわ。それは意図的なのでしょう? 罪のない国民までをも巻き込んだからこそ、補償まで計算していた」
オールポート侯爵家、スターキー伯爵家、パスカルと取引した違法販売組織とその利用者たち。この復讐劇には違法販売組織の告発も組み込まれている。違法販売組織が貯えている違法財産は相当なものだろう。
パスカルが想定以上に愚かで考えなしだった場合、損害は更に大きくなっていたかもしれない。それでも事実、損害はデクスターの想定内でとどまった。
想定内であっても、国民が被害を受けたことは変わらない。
また、罪を犯した。しかしながらその後のことまで計算していた。
理想の侯爵を演じながら裏では犯罪に手を染め、己の富と名声、権力を強めることに心血を注いでいた男がこうも変わるなんて、当時誰が予想できただろうか。
「その誰かを気遣える心がご令嬢を先王に差し出す前に芽生えていたら、そしてご令嬢に向けることができていたなら、今は大きく違ったでしょうね。今更、何を想像しても無駄でしかないけれど」
もう遅いのだ。明るい未来など来ないと、覆ることのない結果は出ている。
それでもたらればが止まらないのが人間という存在なのだろう。デクスターは眉根を寄せ、視線を落とした。
「せめてフレドリック王の反乱があと一月早ければ……娘が生きていた未来もあったのではないかと、そんな考えがいつも浮かびます」
「――彼女が死ななかったとして、貴方の罪は消えないわ」
厳しく言い放つと、デクスターの肩が揺れた。
「貴方がご令嬢を公妾として推薦しなければ済んだ話よ。先王が興味を持たないよう取り計らえばよかった。けれど、そんな選択肢は当時の貴方にはなかったのでしょう。ご令嬢が亡くなったことで貴方は改心したのだから、そのきっかけがなかったとしたら、それこそまたご令嬢が亡くなるまで道具として自分のために酷使したはずだわ」
それほどの衝撃的な出来事がなければ、彼は昔のままだった可能性が高い。少なくともシャーロットにはそう見える。
「償い方を決めるのは貴方じゃない。けれど、被害者がすでに亡くなっている以上、意向を知ることも考慮することもできない」
死者の願いなど誰にもわからない。いくら憶測を並べたところでそれはすべて他人の妄想でしかなく、死者の願いを叶えることは不可能だ。
しかし、確かなことはある。
「時間を巻き戻して最初からやり直しでもしない限り、たとえ貴方が死んだとしても償いにはならないわ。被害者の死と加害者の死が釣り合うわけないもの。長く精神を蝕む虐待や理不尽にすべてを奪う死に対する真の償いなんて、この世のどこにも存在しない」
いくらこの男が後悔していようと、反省していようと。過去がなくなることも変わることもない。死者は蘇らないし、背負うべき罪もなくならない。
「トーマスは使用人として侯爵家に迎え入れてくれた貴方のことを、実の父や祖父のように慕っているそうだけれど……貴方はまた、自分の目的のために『家族』を利用したのね」
「!」
「違う! 俺が手伝わせてほしいって言ったんだ! あのクズ野郎に復讐したくて俺が望んだ! デクスター様は俺の望みを叶えてくれただけだ!」
トーマスが必死に否定するけれど、デクスターは次第に項垂れていく。
「結局、どうしたって良い父にはなれないのよ。貴方みたいな人たちは」
身勝手な父親を、シャーロットはよく知っている。己の望み通りに動くことのみを子供に求め、強要する、毒でしかない男を。
だから口にした言葉はどれも、心から漏れ出たもの。
「ええ……そうですね。その通りです」
呟くように力なくそう零したデクスターは、自嘲するように笑みを浮かべた。弱々しい、情けない顔つきだ。
トーマスは「違う、違います、デクスター様……」と、今にも泣き出しそうになっていた。
「――それ、どんな味?」
デクスターの紅茶に視線を落としたシャーロットが尋ねると、デクスターは瞠目したあと、柔らかく表情を緩める。
「少量でも十分ですので、味に影響はありません」
「そう」
そのデクスターの微笑はどこか、心のつっかえがとれたような、晴れ晴れとしたものだった。




