21.第三章六話
「デクスター様!」
「父上……」
デクスターはあっさり認めた。スペンサーのショックは相当なものだろう。
「元々、自分一人ですべてを片付けるつもりでした。しかし、計画の途中でトーマスに気づかれてしまい……協力すると言われて、私は断ることができませんでした」
「やめてください!」
トーマスが訴えるけれど、デクスターは笑顔でトーマスを制止した。
潔い、と言っていいものか。シャーロットは「デクスター卿」と口を開く。
「暗殺者を寝返らせることもあるように、陛下はこの国の未来に貴方の力が必要だと判断していたわ。だから――かつての罪は、公にではなく別の形で償わせようとお考えだったの」
パスカルと同様、デクスターも反乱前からオールポート侯爵であった。そして、パスカルよりも更に後ろ暗い過去を持っている。
しかし、彼はある出来事で変わった。
「なのに、貴方は人を使って伯爵夫妻を焚き付け、東部の不作を引き起こした。国民の生活を脅かす行為よ。領民を大切に思っている貴方がそんなことをするなんて思わなかったわ」
変わった彼しか目にしていなかったから、シャーロットは最初、彼が黒幕であると信じられなかった。
彼は過去を知る者からすると別人かと思うほど領民に尽くし、国の繁栄のために尽力していた。その変化は反乱後のことであり、彼の心変わりのきっかけが反乱だと説明されても納得はいく。
けれど、違うのだ。
デクスターは息を吐き、過去に思いを馳せるように目を伏せた。
「私は昔、自らの権力を更に強固なものとするため、先王に公妾として娘を差し出しました」
建国当初から一夫一妻制が貫かれているリモア王国だけれど、王族の欲望や権力によって作り出された後宮が昔から存在し、王たちは公妾を囲っていた。不倫はもちろん不名誉なことであったものの、王家の血筋を多く残すためという大義名分のもと、何代にも亘って後宮は維持されていたのだ。
しかし、公妾が身籠っても、無事に出産に至ることはどの時代も少なかったという。自身の生んだ子の王位継承権が揺らがぬよう、王妃が手を下すということもあったけれど――妊娠してしまえばその間は性行為が制限され、体型が崩れる恐れもあるからと、他でもない王がそもそも公妾に避妊薬を飲ませたり、堕胎させたり、表向きの名分とは矛盾する行動をとっていたのだ。
暴君と名高い先王や先先代の王の時代は、かなりの数の公妾が迎え入れられたらしい。それは公妾となった本人たちが望んでとは限らず、貴族令嬢であれば家族、特に王にとり入りたい当主の思惑によって献上されるのが大半だった。美人だと評判の平民であれば攫われ、大金と引き換えに売られるのは珍しくなかった。
反乱で王位を継いだ際にフレドリックが後宮の解体を命令したことで後宮は取り壊され、現在は公妾だった者たちもそれぞれ解放されている。中には王城で働いている者もいるけれど、本当にごく一部だ。
当時、外面は取り繕い、領地の管理にも精力的に取り組んでいたデクスターは、領民に限らず平民からも人気があった。横領や密売は徹底的に隠蔽していたのだ。それほどの頭があった。
けれど、娘が公妾になった出来事は、彼の性根に疑問を抱く者が出る大きなきっかけとなった。簡単に娘を見捨てたのだから当然の流れと言える。
それでも、デクスターは王命に逆らえば家族や領地すらも危ういと嘆いて見せ、領民からの同情をかっていた。そうしてデクスターが実は王や他の貴族と同じではないかという疑いは次第に薄れていったのだ。
シャーロットは彼がかつて行った悪行を知っている一人だ。シャーロットが生まれる前のことではあれど、粛清対象の知識は王太女として仕込まれている。彼が家庭では跡継ぎである息子を甘やかして過保護に育てた一方、娘を虐待して従順な道具として育てていたことも。
デクスターは決して家族や領地を守るために娘を差し出したのではなく、進んで娘を犠牲にした最低の父親だ。
「ご令嬢は望んでいなかったのでしょう」
「はい。娘は嫌だと泣いて縋りましたが、私は無理やり後宮に送ったのです。我が侯爵家のためであり、贅沢な暮らしもできるのだから光栄に思えと」
反乱前、リモア王国において女性の立場は弱かった。貴族であれば尚更、当主の決定に逆らえる娘はほとんどいなかった時代だ。
「王も快く娘を迎え入れてくれましたが――半年後、娘は殺されました」
「……そうらしいわね」
その話もシャーロットは耳にしている。
「妾となって暫くは王の寵愛を受けていたものの、伽を拒んで先王の不興をかい、城での後ろ盾を失った彼女は先王の妃の命で毒を盛られたと」
「はい、その通りです」
反乱の、一月ほど前のことだったという。
美人だった侯爵令嬢を先王はすぐに気に入り、頻繁に寝室に呼んだ。たった一人の妃の憎悪が膨れ上がるほど。ゆえに嫌がらせは絶えなかったようだ。
先王には嗜虐趣味があり、公妾の扱いは手酷かったと聞いている。抵抗はむしろ先王の情欲や征服欲を煽るだけでしかなく、男女の力の差、何より権力の差もあり、女性たちは結局は陵辱されてしまうのが常だった。公妾でなくとも先王の手付きになる使用人も多かったようで、女性たちの悲痛な叫びは毎日のように城のどこかに響いていたそうだ。
侯爵令嬢は度重なる先王からの陵辱に耐えられなかったのだろう。ある日、力を振り絞って抵抗した際に先王の顔を爪で傷つけてしまい、憤った先王は彼女を激しく暴行し、放置し、他の公妾へ寵愛が移った。そうして数日の内に、彼女は妃によって毒殺された。
とても悲惨で理不尽な死だ。けれど、その時代には珍しくない死の在り方だった。
無論、妃が罰せられることはなかった。裁判もひらかれず、侯爵令嬢の遺体は侯爵家に送られたという。
後宮で散らされた命は数え切れない。後宮解体のその日まで生き残っていた公妾たちも、精神疾患を抱えて生活に支障がある者が多数だった。特に異性に対する恐怖心が根強く、異性が視界に入ったり声を聞くだけで震えが止まらずパニックになる者もいたそうだ。
フレドリックは公妾にされた者たちやその家族に賠償金を与えており、なるべく不自由のない生活が送れるよう配慮している。
しかし、デクスターはその対象ではなく、賠償金の支払いを受けていない。彼は娘の命や尊厳が脅かされると承知していながら望んで積極的に娘が公妾となるよう働きかけた、『加害者側』と判断されたためだ。彼への賠償金の支払いは亡くなった令嬢の意に反する、と結論が出されたのである。
「まさか私の娘が殺されてしまうとは想像もしていませんでした。王の寵愛をほしいままにし、私の地位を盤石なものとしてくれると、信じて疑っていなかったのです」
「あの環境なら誰が亡くなってもおかしくないでしょう。爵位なんて関係ないわ」
オールポートは歴史ある名家だけれど、そんなもの、暴君たちにはなんの抑止力にもならない。彼らにとっては彼ら自身が絶対なのだから。
「その通りですね。私は危険性に目を瞑った。……娘は私にとって大切な存在だったのだと、娘が亡くなって何日も経過して、ようやく気づきました。この喪失感は他の何かで埋めることはできないと、取り返しのつかない段階になって理解したのです」
記憶に引っ張られているのか、愛する娘を失い、光を失った目の仄暗さが際立っている。
デクスターのそんな姿が、シャーロットにはとても腹立たしかった。
「娘を顧みなかった父親が、娘の死がきっかけで己の過ちを自覚したと? 意外ね。王の機嫌を損ねるなんて役立たずだと吐き捨てそうなものだけれど」
「……人にもよると思いますが、失わないことが前提にあるからこそ、所有物として支配して当然だという認識が崩れないのです」
「なくさなければ気づけないなんて滑稽ね。救いようがないわ。何より、被害者が哀れすぎる」
シャーロットの声音も表情も、すべてがデクスターへの軽蔑を表している。
「先王の孫であるわたくしが言うのもなんだけれど、貴方が被害者面をするのはおかしな話だわ。あまりにも身勝手よ。貴方もご令嬢にとっては加害者でしかないのに」
甘い蜜を吸うため、王のご機嫌取りのため、命が軽く見られている場所に本人の意思をねじ伏せて娘を送り込んだのは、間違いなくデクスターだ。
実際に命を奪った者が悪いのは紛うことなき事実だけれど、娘からすれば後宮に入ることが決定された時点で、実の父親から「お前など死んでも構わない」と宣言されたも同様である。実際に死の未来を許容していなかったとしても、内心を確実に証明するすべはない。
「ええ。ですから私は死ぬべき人間です」
こともなげに、彼はそう言った。




