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シャーロット王女の死  作者: 和執ユラ
第一章 王太女という名の贄
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02.第一章一話



 それは、まだ幼い頃のことだった。

 シャーロットとジュリエットは庭園に二人でいた。授業のことを話している流れから、ある話題が出た。隣国とリモア王国の関係についてだ。


「リモアととなりの国が昔はすごく仲が悪かったというのは知っています」

「その原因は?」

「……えっと、わかりません」


 自信なさげなジュリエットの様子に、シャーロットは瞠目した。なぜなら、リモア王国の王族としてあってはならないことだからだ。


 先代と先先代の王は、自らとその血を引くリモア王家が世界の頂点に君臨するべきだと、そのような身勝手な思想を持っていた。名誉、富、権力、あらゆるすべては自らの手の中にあるべきで、民も他国も皆、自分に従うべき下等な生き物なのだと主張していた。贅沢を貪り、他国を侵略せんと戦争を仕掛け、返り討ちにあえば身近にいる臣下や使用人に当たり散らした。八つ当たりで後遺症を負った者が、亡くなった者が、当時はたくさんいた。

 隣国はあらゆる国を従える宗主国、ファレルデイン帝国。帝国の豊かな資源や大国への勝利という名誉を求め、先代の王は特に帝国に戦争を仕掛けていたのだ。

 国民の生活など何も考えていない暴君。それが顕著な時代が二代も続き、国は疲弊しきっていた。なぜかその思想を受け継ぐことのなかったフレドリックが父である暴君を討ち、不正に塗れた権力者を排除し、国を、民を救った。他国との関係改善にも力を入れ、国民への支援を積極的に行っているため、フレドリック王は英雄視されている。

 この国では幼い子供でも知っている話だ。なのに。


「そんなことも知らないの……?」


 シャーロットは七歳の時には完璧に説明できるよう、徹底的に覚えさせられた。先代たちの悪虐非道ぶり、何が悪かったのか、王家とはどうあるべきなのかを叩き込まれた。

 幼いうちは表に出る機会は少ないけれど、自国内の貴族たちだけでなく他国の人間と一切関わることもないとは断言できない。王族として最低限身につけておくべきマナーと知識は、幼くとも習得していなければ恥だ。無知を晒し、王家の名を傷つけ、引いては国への評価を落とすことになる。家臣から見離され、国民から見限られる。

 そう、ずっと教え込まれてきた。シャーロットは。なのに妹は――ジュリエットは、違うというのか。すでに八歳になっているのに、知らなくとも許されると言うのだろうか。他でもない王族の一員たるものが、まだまだ遠い過去とは言えない王家の愚かな圧政の歴史を。


「ごめんなさい……」


 信じられない思いで妹を見ていると、ジュリエットの大きな目に涙の膜が張られ、ぽろぽろと雫が頬を伝っていった。泣いたところで解決する問題ではない。

 泣くくらいなら最低限の勉強はしなさいと至極当たり前の助言をしようとしたところで、「ジュリエット殿下!」と心配と焦りを存分に孕んだ声が届く。


「何をなさっているのですか!」


 走ってきた婚約者のクェンティンがシャーロットとジュリエットの間に入り、守るようにジュリエットを背に隠した。まるでシャーロットがジュリエットに何か危害を加えたかのような対応だ。真正面から鋭く睨みつけられて、シャーロットは驚いた。

 ジュリエットが泣いてしまっているので、誤解されてもおかしくない場面ではある。けれど、事情を聞く前から真っ先にシャーロットを責めるその眼差しには納得がいかなかった。ジュリエットがちょっとしたことでも泣きやすいのは、彼も承知しているはずなのだから。


「八歳にもなって、未だに我が国と隣国との関係を知らないと聞いて驚いただけよ。家庭教師は何をしているのかしら」

「ジュリエット殿下のお体が弱いことはご存知でしょう」

「病弱でも、毎日ベッドで寝たきりというわけではないじゃない。室内で本を読んで学ぶことだって可能なはずよ。それなのに、先代と先先代の時代や未だに微妙な隣国との関係性すら理解できていないなんて、いくらなんでも甘やかしすぎだわ」


 リモアの王族である以上、この年齢で理解していないなどありえない。王族としての常識であり、この国では一般的に知られている歴史。子供だからと目溢しされるはずがないのだ。

 下手をすると帝国を見下していると取られかねないし、未だに敵対の意思があると穿った見方をする者も出てきかねない。帝国との関係はまだ危ういのだ。それなのに――。


「王太女殿下。ジュリエット殿下は貴女とは違います。ご自分ができるからと言って、それをジュリエット殿下に押し付けるのはおやめください」


 厳しい眼差しをシャーロットに向けるクェンティンは、冷たくそう告げて窘める。

 それに対して、シャーロットはぎゅっとドレスのスカート部分を握った。クェンティンはすぐにジュリエットに優しく声をかけ始めたので、シャーロットのその無意識に近い行動を目にすることはなかった。


(わたくしだって、お父様とは違うのに)


 理不尽な理想を押し付けられているのは、いつだってシャーロットの方だ。決してジュリエットではない。


『王女殿下ならこれくらいできて当然のことです』

『陛下のご息女なのですから、この程度はとっくに理解しておられるでしょう?』

『陛下は六歳の頃にはすでに正しくご理解なさっておられましたよ。先王の統治下で偏りのある背景を教師から学ばれていたのに、鵜呑みにせず、違和感を持ち、自ら調べ上げ、我が国、延いては先王達の過ちを見事に見抜かれました。七歳の殿下ができないなどありえません』


 教師達の言葉が、一言一句思い出せる。何度も何度も言われているから。


 母はすでに亡くなっている。母を愛している父は新しい妃を迎えるつもりはないと早々に公言しているため、正式に王太女となる前から、長子であるシャーロットは跡継ぎとなることがほぼ確定していた。

 第一王女として、未来の王として、必要以上に厳しく育てられた。教師は誰もが峻厳で、甘えなど許さなかった。シャーロットはフレドリックではないのに、いつもどんなことでも、父と同等のレベルを求められた。あの天才と謳われる傑物と。

 なのに、いつもいつも、ジュリエットはいいのだと周りは言う。仕方がないのだと。


(このように庇ってもらったことはないわ)


 クェンティンに手を握られ、背中を優しく支えられている妹が、それが当たり前となっている妹が、自分とはまったく違う生き物のように感じられた。一種の恐れのようなものが胸の内に広がった。


(わたくしとジュリエットは、そんなにも違うの……?)


 幾度となく抱いてきた疑問だ。

 同じ、このリモア国の王女。王太女のシャーロットと第二王女のジュリエットでは確かにその責務や役目に違いはあるだろうけれど、国王の娘であり直系の王族なのは同じだ。それに、シャーロットにもしものことがあれば、王太女の地位はジュリエットに回る。病弱であることを考慮するにしても、教育に大きな差が出てしまうのは望ましくない。

 そんなこと、少し考えればというほどでもない、当たり前のことなのに。王族が、王族に近しい者たちが、なぜ深刻に受け止めていないのか。なぜこれほどまでに盲目的になれるのか。シャーロットには理解できなかった。


「――何をしている」


 突如、低い声が響いた。現れたのは父――国王フレドリックと、少し後ろに控えている護衛たちだ。

 フレドリックはジュリエットが泣いていることに気づくと、眉間にしわを寄せた。「何があった」と怒気を孕んで催促され、シャーロットが口を開く前にクェンティンが説明する。

 そうなれば、結果は目に見えていた。いや、シャーロットが一から事実を告げたところで、結果は同じだっただろう。


「妹をいじめるなど、姉のすることではない」


 フレドリックの怒りは、すべてシャーロットに向けられた。妹の不出来を指摘しただけで泣かれてしまったシャーロットへと。


「いじめては……」

「お前にそのつもりがなくとも、受ける側、そして周りの目は異なる。狭い視野は王太女として不要なものだ」


 視野が狭いのはシャーロットではなく彼らのはずだ。そう思うのに、まるで自分が間違っているように感じてしまう。シャーロットだけが異物なのではないかと、そんな錯覚を覚える。


「お前とジュリーは違う。当然のことだろう」


 当然だと言う。よりにもよって、シャーロットに完璧な王太女として在ることを常に求めているこの男が。


(なら。わたくしとお父様は、同じだとでも言うのですか)


 そんなわけがないのに。

 自らの発言に、認識に、矛盾があるとは露ほども感じていない。フレドリックは気遣わしげにジュリエットに寄り添い、慰めている。優しい父親の姿にジュリエットは安堵の息を吐き、涙を拭って笑った。

 互いを大切に想い合う家族の、幸せな光景。その中にシャーロットがいたことはない。


(貴女だけが特別なの?)


 王太女というのは、家族の温もりさえ与えられない立場なのか。ただの王女であるジュリエットはこんなにも愛され、大切にされ、甘やかされ、守られているのに。先に生まれた後継者というだけで、シャーロットに対する扱いはこうも異なるものなのか。

 病弱だから、若くして亡くなった母によく似ているから、ジュリエットは王女としての義務を果たすことなく、恵まれた生活を享受するだけでいいのか。健康だから、跡継ぎだから、完璧な父に似てしまったから、シャーロットは完璧を押し付けられ、自分という存在を殺してまで、王太女としてだけでなく、妹が放棄している王女の役割まですべて、一人で果たさなければならないのか。


「さあ、ジュリー。おやつの時間だ。今日はバルコニーでゆったり過ごそう」

「お父さまもごいっしょに?」

「ああ。そのために時間を作って来たからな」

「お姉さまも」

「シャーロットはダンスの講師が来る時間だ」


 シャーロットを気にするジュリエットを連れて、フレドリックは王城へと戻っていった。クェンティンも親子の時間を邪魔しては悪いからと帰ってしまい、シャーロットはその場に一人取り残された。

 正確には護衛が少し離れたところにいるけれど、独りなのは間違いなかった。


(あんな穏やかな顔、お父様がわたくしに向けてくださったことはない)


 ジュリエットに接していた時の、フレドリックの顔が思い出される。

 もしかすると、とても幼い頃――母が生きていた頃は、向けられていたのかもしれない。けれど、シャーロットの記憶には一切なかった。フレドリックのあの表情の先に自分がいる光景は、一瞬たりとも見つからなかった。


 シャーロットには、誰かとゆっくり紅茶を楽しむ時間など与えられない。そんな暇があれば授業の予習でもしろと、他でもないフレドリックにそう切り捨てられた。刺繍の授業で作った一番出来の良い王家の家紋入りのハンカチを緊張しながらフレドリックに渡した時、『人にやるには下手すぎる』と突き返されたけれど、ジュリエットが遊びで施したお世辞にも上手いとは言えない歪な花の刺繍のハンカチを、フレドリックが大事に持ち歩いていることは知っている。

 娘ではない。可愛い娘はジュリエットだけで、フレドリックはシャーロットを王太女としか見ていないのだ。シャーロットは、ジュリエットの負担を可能な限り排除して押し付けるための、都合のいい便利な道具でしかないのだ。


(跡継ぎ以外の価値は、わたくしにはないのね)


 ぐっと、引き結んだ唇に力が入って震える。

 良き姉でいれば、優秀な跡継ぎであれば、少しは優しくしてもらえるのだろうか。家族の一員として、ただの娘として、認めてもらえるのだろうか。いつかはシャーロットも、ジュリエットのように――。



  ◇◇◇



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