17.第三章二話
王城の大会議室にて開かれている会議で、シャーロットは国民の教育に関する新たな制度について提案していた。
その日の衣食住に困っている者たちにとって重要なのは、学びよりも仕事。しかし、学びの機会がなければ将来的には選択できるはずの仕事の幅が狭まり、貧困から抜け出せない。これは国にとっても大きな損失であり、国の政策の過ちを正せていない明確な証拠である。貧困者にも平等に教育を行うべきだという意見はまとまっており、問題なのは学舎の増設に比例しない生徒の数である。
「子供が稼ぐことのできる収入はそれほど高くないけれど、その額でさえも生活には致命的。その分を賄う食事――給食制度、住む家に困っているほど困窮している者たちや遠方から来る者たちへの支援として寮や国が運営する格安住宅の拡充など、皆に配布されている資料に載っている対策を段階的に施行していきたいと考えているわ」
どの制度をまずは導入し、それからどれくらいの期間で更に支援策を増やしていくか。専門家との議論を重ねて定めた仔細が記された資料は事前に配布しており、官僚たちもそれに目を通している。
支援についてはエセルバートとの議論がヒントとなったのだ。
「よろしいですか?」
「ええ。何かしら」
手を上げた一人に発言の許可を出す。彼は財務部門に所属する者だ。
「子供たちの収入と同等のメリットが必要、というのは理解できます。しかしそれでは費用が莫大となってしまうのではありませんか? 特に三枚目にある中等教育以上も無償化となると……」
「未来の担い手への投資は国への投資。目先の費用に囚われていては何も成長しないわよ」
「しかし」
「別の大陸のとある国では、経済成長が止まり急落すると、即戦力にはならない子供関係の支援策を真っ先に縮小したそうよ。その結果、子供の数が減り、十分な教育を受けられない子供たちが成長し、優秀な人材が育たず国が衰退し――内乱にまで繋がったらしいわね。貴方も聞いたことくらいはあるでしょう」
「……確かに存じております」
その例は少々極端な部類かもしれないけれど、勉強になる失敗例だ。短期的な負担の軽減を重視し、大々的な結果を出せない弱者を切り捨てた先、未来に待つのは荒廃。
少子化対策、そして人材の育成は、国にとって優先事項である。
「設備、教員、教材……相当な出費になるわ。けれどいずれ、学びを得た子供達が大人となり、この国を更なる発展へと導いてくれる。収入が増えれば彼らはそれまで買えなかったようなものも購入する。消費者が増えれば経済が回り、税収だって増える」
巡り巡って、長期的にはプラスに働く。
「ただお金を投入すればいいと言っているわけではないわ。もちろん費用を抑えられるならそれに越したことはないもの。例えば給食の例は、規定の大きさや形に育たなかったような、味は変わらないのに売り物にならない食材を積極的に農家から仕入れることで、ある程度は費用を抑えることが可能なはずよ。彼らとしても廃棄処分になる予定のものが安くでも収入に繋がるとなれば契約してくれるはずだわ」
農家の中には、そういった売り物にならないながらも食材としては問題ないものを、自分たちで消費したり、近所に配ったりしている者もいるらしい。しかしそれでも余ってしまい、廃棄に回さなければならなくなることはザラにあるそうだ。
「学舎の敷地内に畑を作って子供たちに自ら野菜や果物を育ててもらい、収穫できたものを給食の材料とするのもいいアイディアだと思うわ。自分たちで食べるものを育てるのはやりがいもあるだろうし、継続する力も身につくはず」
「確かに……農家の子供たちもいるわけですしね。将来的にいい勉強になる」
「字の読み書きや計算ができれば、不当な契約を知らずに交わされるという問題も少なくなる。民を守るためにはとても重要なことでしょう?」
暴君の代までは横行していた、立場の弱い者に対する不当な契約。特に平民は字を読めない者がほとんどだったので、不利な契約に気づけずサインをしてしまう、というのはとても多かったそうだ。
「今は初等教育までが無償化の対象だけれど、いずれは中等教育、高等教育までは最低でも完全に無償化するべきよ。優秀な人材を育成することこそ、国の未来のためとなる」
字の読み書き、簡単な計算は基本知識だ。それだけを普及して満足してしまえば、育つ人材も育たない。それ以上の教育を施すことが、そして誰もが教育を受けられる環境が必要とされている。
「才能がある人はきっとたくさんいる。それなのに家庭の経済状況で学ぶ機会を得られずに埋もれていくのは、惜しいなんて言葉で片付けられる話ではないわ。恵まれた環境で学ぶ機会も与えられているのに甘やかされることに慣れ、自ら学びを放棄する子供が体だけ成長し、優秀でもないのに世襲や家のコネで力を持つこともある。傲慢に育ち、その性質がまた彼らの子供へと受け継がれる。――それが忌避されている、以前のこのリモア王国の王族や貴族だったはずよ」
かつてのリモア王国。フレドリックの父の代まで続いた暴政。権力者による恐怖政治。
その時代は、シャーロットが生まれるよりも前に終わりを迎えた。
「陛下、義務を果たさないのに特権だけを得るのはあまりに無責任だと思いませんか?」
「そうだな。無駄にプライドが高いだけでその地位に能力が伴っていないことほど愚かなことは多くない」
さらりとフレドリックは断言した。どの口が言うのかと一刀両断したいところだけれど、シャーロットは無意味だと充分に承知している。賛同を得たというのにこうも嬉しくないどころか嫌悪感が滲み出るとは、なんとも不思議なものだ。
「それから、教育支援の対象は子供たちやその家族だけではないわ。教育制度が不十分な時代に子供だった人……大人たちにも、学ぶ機会を与えるつもりよ。今の仕事や家庭の事情にも柔軟に対応できるよう、ある程度の収入の補償、仕事中だけでなくそれ以外の勉強の時間でも子供を預けることが可能な施設、就労支援制度も充実させたいわね」
優秀な若手が育てば、教育制度に恵まれなかった世代の仕事が更に限られることとなり、過酷さを増し、賃金も十分な額が支払われなくなるかもしれない。世代格差を広げない対応も必要だ。
「勉強がしたくてもできない人たちが存在するのに、金銭的に余裕があるだけの愚かな怠け者たちが教育過程を無駄に終える世の中なんて、不公平だと思わない? そこを是正することこそ政治のあり方でしょう。貧富、教育、差別――不当な格差は前時代の負の遺産でしかないわ。この国は変わったのだと、民にも、他国にも、大々的に示して強調してやるのよ」
声は張っているけれど、とても大きいというわけでもない。けれど声質なのか、シャーロットの声は不思議と遠距離まで届く。語りも堂々としていて、まだ学生の身でありながら貫禄があった。
シャーロットの独壇場となっていた空気に呑まれたような沈黙が流れ――パチ、パチ、パチ、と、ある男性の拍手が会議室に響いた。皆の注目がそちらに向く。
「私は王太女殿下の発案を支持します」
白髪交じりで小太りのその男性は、パスカル・スターキー伯爵だ。いち早く賛同の意を示した彼は、「しかし」と大袈裟に胸に手を当て、物悲しそうに続ける。
「莫大な費用問題がつきまとうのも事実。王国の税収は右肩上がりで安定しておりますが、今年は雨が少ない影響で我が領地を含め、王国東部の農作物が不作です。それに伴う税の減免も決定されていますし、農作物の価格高騰の対処に充てる費用も考慮の必要がありますから、教育無償化の導入時期については慎重に検討すべきかと思います」
「そうね。その件についてはもちろん念頭に置いているわ」
不作によるダメージが今年は大きい。
スターキー伯爵の領地は東部の中でも南側にあり、不作の影響は他の東部の領地と比較しても大きかった。
「東部は我が国の農作物供給の要。不作による価格の高騰は国民の生活にも負担になっていて対策は必須。近々対処する予定よ」
「対処とは、具体的にはどのようにお考えで?」
「まず一つ、はっきりさせておくべきことがあるの」
自らその話題を振ってくれるとはありがたい。
「東部の不作。例年より少ない降水量が原因、では説明がつかない程度なのよ」
パスカルを含め、官僚たちもその言葉に息を呑み、動揺と驚きを露わにした。
「しかし、すでに専門家による調査が行われております。降水量以外の目立った要因は確認できないと判断されており、同様の降水量であった三十年ほど前の不作の年と比較しても、農作物の収穫量の減少は納得できると……」
「先王の時代の不作と同等というのが異常なのよ。暴君統治下と異なり、今は降水量やその他の考えうる要因の対処のための支援策はそれなりにあるんだもの。――きっと、この事態を招いた愚か者はその不自然さに考えが及ばなかったのね」
シャーロットが口元に笑みを讃えて視線を向けた先――パスカルは、青い顔で顔を俯けていた。薄く開かれた口は恐怖によるものかわなわなと震えている。
パスカルの様子がおかしいことに気づいた隣の席に座る男に声をかけられて彼ははっとし、なんでもないと誤魔化すように笑って見せたけれど、その笑顔は引き攣っている。
(わかりやすいこと)
上手く取り繕うこともできない大の大人に呆れていると、軽く手を挙げたデクスターが口を開いた。
「つまり、東部の不作は何者かの手によって故意に引き起こされた、ということでしょうか」
デクスターは東部最大の領地を持つ当事者だ。
オールポート侯爵家の本邸がある街は東部の中でも抜きん出て発展しており、人で賑わっていて、観光地としても有名だ。農業が盛んなのは周辺の村で、甘味が強い果物のブランド品も多数育てられている。
そのオールポート侯爵領も、今年は不作となっている。スターキー伯爵領ほどの被害ではないものの、今年の収穫量は例年のそれには到底及ばないため、被害としては決して小さいとは言えない。
「ええ。それも、調査員、もしくは調査団に協力した各々の領地のいずれかに、真実を偽るために工作をした者がいるわ。『何者か』が指示を出したんでしょうね」
「明確な証拠がおありで?」
「もちろんよ。調査団の調査はあくまでその確認作業のようなもの。税の不足分の補完の目処もたっているから心配は無用よ」
「では、詳細な報告書を要求いたします」
「三日後に派遣される調査団の改めての調査が終わり次第、もちろん提出するわ」
それはもう、速やかに準備するつもりである。
「東部の各領主は協力準備をお願い。急で悪いわね」
にっこりと、シャーロットは微笑んだ。




