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シャーロット王女の死  作者: 和執ユラ
第三章 罪に気づけない者たち
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16.第三章一話



 ――一年半ほど前。


「見てくださいお姉さま、とても綺麗に咲いていますよ」

「……そうね」


 王城の庭園でジュリエットの散歩に付き合わされていたシャーロットは、楽しそうに花に顔を近づけて香りを確かめるジュリエットに当たり障りのない返事をした。

 この時期に開花する花がそろえられている庭園は、花の香りが濃い。わざわざ顔を近づけなくとも、香りは不快なほど十分に広がっている。


「こちらの花はジュリエット殿下の髪にとてもよく似ていますね」

「まあ。ほんとね」


 この場にいるのは王女姉妹だけではなく、クェンティンも一緒だ。執務室で仕事をしていたシャーロットとクェンティンは、来訪したジュリエットに『休憩に散歩しましょう!』と二人揃って連れ出されたのである。

 断れるなら断りたかったけれど、ジュリエットの誘いにクェンティンが二つ返事で了承したのだ。シャーロットの意見も仰がずに。たとえクェンティンがシャーロットの意見を訊いたとしても断るという選択肢をとれるはずもないので、結果は変わらないのだけれど。


 まだ終わっていない仕事のことを思うと頭が痛い。今夜も寝不足確定となってしまった。

 シャーロットには苦痛でしかない時間も、眼前の男女の認識は異なる。楽しそうに花を眺める妹と婚約者の光景に、この二人の方がよっぽど婚約者同士らしいと感じた。


「散歩か?」

「お父さま!」


 かけられた声に振り返ると、フレドリックともう一人――風格のある男性が歩いてきていた。


「お久しぶりでございます、王太女殿下、第二王女殿下」


 一礼した男性の髪は老化による白の割合が多く、肌も皺により老齢を感じさせるけれど、成熟した威圧感と気品があり、隙がない。

 デクスター・オールポート侯爵。フレドリックが起こした反乱後の混乱の中、荒れていた領地を数年で立て直したその手腕は見事なもので、フレドリックも一目置いている人物である。よく領地を徘徊しており領民にも積極的に声をかけるらしく、領民とは近しい間柄の領主だと信頼が厚い。


「ええ」

「お久しぶりです、侯爵さま」


 シャーロットとジュリエットが応えた後ろで、クェンティンも頭を下げる。


「お父さま、見てください」

「ジュリーの髪と同じだな」


 ジュリエットは早速、フレドリックの手を引いて花のもとへと誘導した。クェンティンも交えて三人の穏やかな空間ができあがる。外から入って壊すのは憚られるような、まさに幸せな光景だ。

 数歩離れた距離で輪に加わらず傍観するシャーロットの隣にデクスターが立った。皺のある顔に微笑を浮かべている。


「聞きましたよ、殿下。第二学年に上がって最初の試験も、すべての教科で見事満点を取られたとか。おめでとうございます」

「ありがとう」


 もう聞き飽きた台詞だ。嬉しさなど湧かない。

 フレドリックからは、「よくやった」とかそのような言葉はかけられなかった。王太女が皆の手本となるのはあくまで当然のことであり、褒めるに値する結果ではないからだ。

 失態を犯せば叱られる。そうでなければ何もない。それだけ。一喜一憂していては疲れるだけである。


「貴方は、また陛下の相談にのっていたんでしょう」

「滅相もございません。一領主としての意見を改めて確認されたに過ぎませんよ」

「謙遜はいらないわ。陛下が貴方のことを気に入っているのは事実だもの。宰相が嫉妬してしまうわね」

「嫉妬などと。サージェント宰相は十二分にその役目を果たせておりますのに」


 はは、とデクスターは笑う。自身の後の世代の優秀さに感心して、楽しそうに。


「そうね。公私共に、陛下の良き理解者だと思うわ」

「殿下もお父君の、そしてこの国の支えとなっておられますよ。お若くまだ遊びたい盛りでしょうに、ご立派です」


 優しいトーンがシャーロットの鼓膜に染みていく。その他者に安心感を与えるような声音も、気分を上がらせるような褒め言葉も無意味で、むしろシャーロットの心を不快にさせた。

 デクスターの意図に気づいてしまったのだ。


 情報が漏れないようにはなっているけれど、シャーロットは学園に入学し、王太女の仕事を期日までに終えられないことが増えている。後からなんとか挽回できる程度なので露見してはいない。国民の不満や不安を仰ぐ恐れがあるとして、徹底的に伏せられている。官僚の中でも承知しているのはごく僅かだ。

 デクスターはその話をフレドリックからでも聞いたのだろう。さりげなくシャーロットのやる気を刺激しようと、機嫌をとろうとして、あのような発言をしたわけだ。

 ほとんどの者が、なぜできないのかとシャーロットを責め立てる。デクスターは別の角度からアプローチしているだけで、根っこの部分は変わらない。シャーロットが手を抜いていると、そう判断を下しているのだ。――反抗期だ、と。

 仕事の遅れの原因は、シャーロットのやる気の問題ではないのに。誰もそこに目を向けようとしない。


「お父君に殿下方がいらっしゃるように、殿下にも、サージェント侯爵令息がおられるでしょう。妹君やお父君だっておられます。お一人で悩まれることもありません」

「……そうね」


 笑って同意できる関係性ならよかったけれど、シャーロットは無表情で、小さく応えるしかできなかった。



  ◇◇◇



 王城の廊下の窓から庭園を眺めていたシャーロットは、足音が聞こえてそちらに視線をやった。一年半も姿を見ていなかった懐かしい老人と目が合う。


「あら、デクスター卿」

「ご機嫌麗しゅうございます、王太女殿下」


 相変わらず年齢を感じさせない、軸がしっかりとした見事な礼をデクスターは見せた。しかし、以前会った時と比べて皺が増えているし、痩せている。


「会議のためにわざわざ王都に来たんだったわね」

「移動が老体に響きます。到着したのは一週間ほど前なのですが、なかなか疲労はとれないものですね」

「馬車で三日だものね。王家の専属医に診てもらいましょうか? よく効く薬を処方してくれるはずよ」

「ありがたいご厚意ですが、これは年齢の問題ですから」


 どうにもなりません、とデクスターが苦笑する。

 六十四歳という年齢で現役で直接領地を管理しているデクスターは、体力の衰えもあり体調を崩すことも増えてしまったため基本的に領地で過ごしているので、王都にはあまり来ない。オールポートの者が王城に顔を出す必要がある際は息子にほとんど任せるのだ。

 今回は体調が安定しているということ、またオールポート侯爵領にも関する議題が会議であがるということで、一年半ぶりにこの王都にやってきたわけである。


「殿下、顔色が良くなられましたか?」


 突然そう訊かれて、ぴたりと、シャーロットは動きを止めた。


「今まで悪いように感じたことはないのですが……いえ、気のせいでしょうね」


 じっとシャーロットを暫し観察したデクスターは、「不躾に失礼いたしました」と柔らかく笑みを浮かべる。


(侍女たちでさえも気づかなかったのに)


 エセルバートとのデートのおかげで仕事が一部ではあるものの減ったため、久々に六時間の睡眠がとれた。それで若干調子がいいようにシャーロット自身も感じていたけれど、顔色には疲労があまり出ない体質だ。身の回りの世話をする侍女でも気づかなかった微々たる変化に、デクスターは勘違いだと結論づけたけれど確かに気づきかけた。

 顔を合わせる機会がそれほど多くないからこそだろうか。一年半も間があいたことで、シャーロットが彼の老化を一際目立って実感したのと同じ原理だろうか。


「よく見えてるのね」

「……? 申し訳ございません。なんと?」


 ぼそりと呟いた声は正しく言葉として届かなかったらしく、デクスターがそう訊いてくる。


「なんでもないわ」


 偶然だろう。とはいえ、長く生きているだけのことはある。人生経験による成熟された考え、細かなことに気づく嗅覚があるからこそ、彼は慕われるのだろう。


「目的地は同じですし、大会議室までご一緒しても?」

「ええ」

「ありがとうございます。未来の女王陛下のエスコート、老い先短い老人にはこの上ない喜びでございます」

「大袈裟ね」


 呆れたため息を吐けば、デクスターはやはり上品に笑った。



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