15.第二章九話
コツコツと靴音を鳴らして歩く速度がいつもより速いのは、苛立ちが表れてしまっているのだろう。
「ご機嫌ななめですね、殿下」
「ああ。とてつもなく悪い」
ブランドンの指摘に正直に返す。
こうも感情に駆られるのはいつぶりか。フレドリックのことをとやかく言えない。
王城の使用人や貴族たちとすれ違うたび、丁寧な挨拶が向けられる。それさえも煩わしい。
偶然鉢合わせた貴族令嬢はぜひお茶でも、などと誘ってきた。鬱陶しい。
ようやく王城を出て馬車を待っている間、城門まで繋がる道の左右に広がる庭園の中に、見覚えのある姿を見つけた。
ここからでは多少距離があるけれど、間違いない。ジュリエットが侍女と護衛、そしてクェンティンを連れてそこにいた。植物の鑑賞でもしているようだ。
「下手したら遭遇してましたね、あれ」
「私が来るから外には出るなと言いつけられていそうなものだが、お得意のわがままでも発揮したようだな」
前日のことで懲りていてもよさそうなものを、クェンティンを筆頭に周りがあの手この手を尽くして慰めたのだろう。
「しかしまあ、ちょうどいい」
「声をおかけになりますか?」
「その必要はない」
エセルバートはジュリエットを見据え、意識を集中させる。エセルバートの右目から数十センチの距離に魔術陣が浮かび、エセルバートの視界では魔術陣の中心にジュリエットが映し出されていた。
馬車に乗り込んだエセルバートはどかっと腰掛け、憮然として窓枠に肘をつく。不機嫌なのはこの短時間で収まらなかったようで、正面に座ったブランドンは自然と苦笑いになった。
「それにしても王は買い被りだったな。あれほど盲目的とは」
最後、フレドリックはこちらの要求を受け入れてはいたけれど、本心としては納得していないのが見てとれた。互いの国の複雑な関係性を考慮し、エセルバートの目を気にして、摩擦を生まないために一応は要望どおりに動いてくれるだろう。
「煽って冷静さを欠くよう仕向けたのは殿下では?」
「そうだったか?」
「ヒヤヒヤしましたよ」
「止めなかったのは正解だ」
「流れ弾には当たりたくないので」
肩をすくめる従者の優秀さを改めて感じつつ、エセルバートは窓の外に視線をやった。
暴君の時代と英雄フレドリックの影響で、今のリモア王国では王族を含め権力者たちは民のために尽くすべきだという考えが根強い。かの時代の償いを、一生をかけてしなければならないと共通認識が持たれている。
その考えそのものは正しいことであり否定するつもりもないけれど、尽くすにも限度は存在する。ただでさえ、暴君の罪はフレドリックやシャーロット、後世の者たちの罪ではないのだから。
負担をなるべく平等になるよう分け与えているのなら、エセルバートとて他国のことに口を挟むつもりはなかった。
もっと正確に言うのなら、重いものを背負わされているのがシャーロットでなければ、気の毒に思うだけで終わっていた可能性が高い。シャーロットだから直接的な介入をしてしまった。
「それで殿下。第二王女殿下はやはり?」
「ああ、再度確認できた。間違いなさそうだ」
先程の魔術の結果を聞いてきたブランドンに、確信を得たことを告げる。
「かなり重大な問題だな。非魔術師でありながら、なんとも恐れ入る。――宝の持ち腐れだが」
そう吐き捨てる。エセルバートの中でのジュリエットの評価はマイナスぶっちぎりだ。
「どうされますか?」
「今は様子見だ。本人に自覚はないようだし、他国の王女だからな。対応は慎重にならざるを得ない」
「かしこまりました」
エセルバートの目は誰よりも信頼できるので、ブランドンは不満や疑問もなくその判断に従う。
「しかし、お気の毒ですね。妹君があれでは、王太女殿下は常に周囲との認識に乖離があり、扱われ方も……」
「影響を受けずに唯一抗うことができる父親が筆頭だから、殊更過酷だったろうな」
充分な愛情が注がれることもなく、子供でいられる時間を奪われて、責任ばかりが押しつけられる日々で、心など休まらなかったはずだ。想像は容易い。
エセルバートを前に油断して本音を漏らしてしまうほど、シャーロットの心は削られている。
「溺愛してくれる父親に、あの体質。第二王女があのように育つのも納得はいく」
「殿下とのデートは王太女殿下にとって良い気分転換になるでしょうね。我々は第二王女の影響を受けることもありませんし」
「そうだな」
シャーロットのことを思い浮かべていると、自然と口元が緩む。
「そんなに気に入っておられるのでしたら、求婚なさってみては?」
唐突にそんな提案をされ、エセルバートは目を瞬いた。ブランドンにしては頭の悪い提案だ。
「馬鹿を言え。彼女はこの国の後継者で、婚約者もいる」
「王太女殿下に義務だけを強制する国で、将来義妹になるはずの女性に好意を寄せている婚約者です」
確かにその通りではある。彼女がすべてを我慢して女王になったとして、果たしてそこに彼女の幸せは存在するのか。
そんな懸念と共に、図書館での彼女が思い浮かぶ。真剣にこの国の未来のための制度を考える、彼女の姿が。
「彼女はまだ、この国を見限っていない。後継者としてつらい気持ちを抱えながら努力を重ねているのに、奪うわけにはいかないだろう」
◇◇◇
(――とは言ったものの……)
エセルバートは悩ましげなため息を吐いた。
皇弟としてフレドリックのもとを訪ねた日の不快としか言いようのない記憶をなぞり、そうして今度は今日のデートを思い返す。
『身分を気にせず自由に過ごすのは、こんなにも楽しいものなのですね』
シャーロットはかなり楽しんでくれていたと思う。言葉でも感想をくれたし、本人は控えめにしていたつもりだろうけれど興味津々にきょろきょろしていたし、表情にもわくわくしているのが如実に表れていた。いかに抑圧されて生活してきたのかが窺える。
特に印象深かったのは、鏡を見た彼女の表情だ。髪と瞳を魔術で変化させた時の驚きと嬉しさを含んだ顔と、父から受け継いだ王家の色に戻った時の落胆の顔。
それほど、彼女がフレドリックを嫌悪しているという証だった。
責務を深く考えず安易に放棄する妹も、妹に傾倒する父親も、妹の傍らに当然のようについていた婚約者も、彼女にとっては嫌悪の対象でしかないのだろう。一番彼女の支えになるべき者たちが、逆に負担を何倍にも膨れ上がらせている。
この国には、彼女の味方がいない。
その原因は、妹のジュリエット。
そして――この国の誰も、ジュリエットがなぜこうも周囲から愛されているのか、真実を知らない。本人でさえも。
「殿下」
うっかり魔術具に収納し忘れたらしい青いリボンを片手にソファーに腰掛ける憂い顔のエセルバートを見かねて呼びかけたのは、紅茶をテーブルに置いたブランドンである。
「やはり求婚なさってはいかがですか?」
「ブランドン」
「王太女殿下を見つめる際、ご自身がどのような表情をされていたか自覚はありますか?」
問われたエセルバートは顎をさする。
「そんなにわかりやすかったか?」
「俺は普段貴方がどのように女性と接しているかよく存じていますからね」
幼なじみであるブランドンの目には一目瞭然だったということらしい。
自分のことなのに不思議で未だに現実味がない感情が、エセルバートの中で芽生え、花を咲かせている。
「――攫ってしまいたいと思った」
呟かれた主君の本心に、ブランドンは目を見張った。
魔術以外への関心が希薄すぎる男が口にした言葉とは思えないほどの衝撃だ。初対面の時からシャーロットのことを気に入っている様子だったけれど、それにしたってここまでの域に達するのが意外すぎる。
兄である皇帝とその妃が知ったらさぞ喜ぶことだろう。
「想像以上に重症のようですね」
「だがこれはあくまで私の気持ちだ。彼女に強要するつもりはない」
「いつも自信に満ち溢れた我が国が誇る天才魔術師皇弟殿下が、随分と及び腰で」
シャーロットのことに思いを馳せていて、からかい口調の従者を叱責する気分ではなかったため、一瞥もくれてやらずにエセルバートは自身の手の平に焦点を据える。
「彼女が置かれている環境を改善するすべを、私は持っている。留学の残り四ヶ月弱以内でどの手段を選択するべきか見極め、実行し、それでもこの国が彼女の害で在り続けるようなら――」
ぐっと、決意を固め、拳を握った。




