14.第二章八話
それは、エセルバートが学園の図書館でシャーロットやジュリエットと会った日の翌日のことだ。
エセルバートはリモア王国の王城の応接室でフレドリックと対面していた。扉のそばでブランドンが待機している。
「つまり、違法魔術具がかなり流れていると?」
「ええ。我が国では規制も厳しく管理しているので外に出ることはそうそうないのですが、大陸の南の国ではまだ制度が不十分なうえ、内紛の影響で流出し放題のようで――」
今日は国王と皇弟として、互いの情報を共有する場だ。エセルバート側は魔術大国の魔術師としての忠告が大半になる。
「――わかった。こちらも留意しよう」
ふむ、と頷いて対策に思考を巡らせるフレドリックを見据える。
金色の髪に翡翠色の瞳。シャーロットに受け継がれた色は、やはり彼女を連想させる。
暴君から玉座を奪い、悪政を正し、荒れ果てた国を立て直し、他国との関係を改善させていくその手腕。誰もが認めざるを得ない才能だ。それを惜しみなく国のために披露している。
エセルバートは彼の国への献身に感嘆していた。けれどそれも、三年ほど前までのことだ。
「シャーロット王太女との茶会の件ですが、ご承諾いただきありがとうございます」
「交流を持つことも留学の意義の一つだからな」
「招待状を持ってきたので、こちらを彼女に渡していただけますか?」
「ああ、構わない」
シャーロットへの招待状を受け取った彼の思考は、すでに他のことへと移っているようだった。娘の話題が出ているというのにあっさりした反応だ。
「シャーロット王太女は自由な時間が随分少ないようですね」
「そのようなことはない」
「第二王女と比較して、という話ですよ。フレドリック王」
他国の後継者と比較しても当てはまりそうだけれど、エセルバートはあえてジュリエットだけを引き合いに出した。
「それは当然だ。ジュリエットは体が弱く、シャーロットは王太女だからな」
「私の記憶にある限り、第二王女が学園を休んだのは後期に入って一度。それも症状はかなり軽かったと聞いていますし、学園が終わるとほぼ城下を回って遊んでいるとか。公務もほとんど割り振られていないようですね」
成人していない学生の身である王族の仕事をセーブすることは、当然されるべき配慮だ。しかし、ジュリエットの場合ははたから見ても過剰と言わざるを得ない。基本的なマナーすら備わっていないのは異常と判断するに事足りる。
「我が国では、少し体調を崩しやすい程度で皇族が十七歳にもなってあの体たらくはありえない」
不快感を隠そうともしないエセルバートの低い声が響いた。
「……あの子の教育が遅れているのは事実だ。あの子が貴殿に何か無礼を働いたのであれば責任は私にある。申し訳ない」
「謝罪だけで終わるのが目に見えていますね。ここまで幼子のように……むしろ幼子よりもマナーが身に付かないまま育っていることを踏まえると、貴方にはその状況を本気で改善する気がないということでしょう」
エセルバートの声に、表情に、明確に怒りが宿っているのを、フレドリックが理解しているのは見てとれる。
「姉妹でこうも出来が異なるのは血筋の特性ですか?」
「っ!」
空気が一変した。
肘掛けに置かれているフレドリックの腕。手には血管が浮き出るほど力が入り、肘掛けを強く握りしめている。それまで無に近かった表情にも変化があり、僅かに見開かれた目は穏やかとは言えない色を帯びていた。
英雄だの完璧な王だのと崇められていても、所詮は人間。感情を制御するのにも限界はある。
フレドリックの方が年長者で、その分経験もあり、一国の王として二十年以上も務めている男だ。けれど、怒気と共に放たれる覇気にエセルバートが臆することはない。恐怖など湧かない。
「国を導く立場にある一族という存在を侮辱されているような気分です。先王の代までの貴国にも同様だった」
そんな言葉をもっともらしく並べるけれど、今抱いている怒りの根底はただ一つ。シャーロットだ。
感心していた人の実態への失望よりも何よりも、ただ、シャーロットが虐げられていることへの憤慨が冷めない。
「――どうも、甘やかすだけが父親の役割だと勘違いしているらしい」
彼に自覚がないのもまた、憤怒を煽る要素の一つとなっている。
フレドリックは今、ジュリエットと名前を口にしているけれど、普段は愛称で呼んでいると情報が入っている。そこでもシャーロットとの違いが表れているのだ。これで自覚がないとは。
ブランドンから「やりすぎでは」という視線が感じられるけれど、容赦なく無視した。
「しかし、貴方の教育方針が甘いだけなのかと思えばそれも違う。シャーロット王太女は常に寝不足で公務を任されているようですし、よくもまあ同じ娘にこれほど差をつけられるものですね」
「王太女に任せているのは充分に学生の身でも可能な範囲だ。もし不調が出ているのなら、本人が仕事以外で何かに時間を使い、体調管理も怠っているからだろう」
「第二王女の仕事までシャーロット王太女に回っているとか。それはあまりにも不公平なのでは?」
「その程度は難なく捌ける能力をあれは持っている。確かにジュリエットは王女として不足している部分があるが、妹を支えるのが姉の役目だ」
すらすらと淀みなく返答がくる。ジュリエットには心底甘く、シャーロットには厳格すぎる考えが根幹にある返答が。
「それはそれは、かつてこの国の王太子であった実の兄を討った男の台詞とは思えませんね」
フレドリックは先代の王の第二子であり、当時の王位継承順位は二位だった。順当に暴君に似て育った第一王子であり後継者として早々に立太子していた兄こそが、権力と恐怖による統治を受け継ぐはずだった。
フレドリックが反乱を起こして、処刑した。他の王族とまとめて、みんな処刑したのだ。
家族の中で一人だけ傲慢さや欲深さがほとんどなかったフレドリックは、国民を顧みずに私利私欲に溺れた家族や貴族に疑問を抱き、常に疎外感を抱いていたことだろう。兄を立てるべきであり、兄より秀でていてはいけないと言い聞かせられ続け、しかしながら兄のための優秀な駒でいることを求められてきた彼の感覚が、一般のそれとは異なり歪んでしまっていることは想像にかたくない。
彼がジュリエットに重い愛情を注いでいるのは、亡き王妃に似たジュリエットが愛おしいという想いももちろんあるだろうけれど、まともな家庭環境で育たなかったことも相まってのことかもしれない。自らが『弟』として抑制された環境に置かれていたからこそ、弟妹が兄姉のための犠牲であってはならないと強く信念を持っているのではないかと、そんな推測が立てられる。
だからと言って、シャーロットへの扱いが許されるはずもないけれど。
血筋の問題かと指摘されて過剰に反応したのも、彼が王位を簒奪するまでの経験が理由だろう。自分は父と違うのだという自負を抱いているのだ。
彼は、かつて嫌悪した家族と同じことを自身が行っているという自覚がないのだ。
姉と妹。立場が異なるだけで、一方が強制的に負担を背負い、無用な犠牲を払っている現状を、冷静に、客観的に見ることができていないのは、あまりにも大きすぎる問題だ。
王としては優秀なんて褒め言葉では不足と言えるほどの頭角を現しているのに、人間性に欠点があり、そのことを本人も周囲も認識していない。
(後継者の扱いを間違っている時点で王としての素質が揃っているとは言えないか)
この国で唯一気づいているのは、その欠点により最も被害を被り、意見が容赦なく切り捨てられるシャーロットだけである。
一国の主に求められるのは統治力ももちろんだけれど、後継者の育成力も必須だ。本人たった一代だけの安寧ではなく、その後も平和で、国民のための改善に躊躇わない政治が必要とされる。
臣下たちと協力して国を繁栄に導いていく後継者を育てていけば充分なはず。けれどフレドリックは、王の才能溢れる自身と同等の能力をシャーロットが備えていると決めつけている。ただ外見が己に似ているという点のみを根拠として。
ミスをしない人間など存在しないだろう。人が道を踏み外し、過ちを犯すのは珍しいことでもない。
ただ、それを理解していながら、自身は絶対に間違っていないと思考を停止しているこの男が、エセルバートは気に入らない。
「とにかく、シャーロット王太女の時間をいただきます。両国の関係のためにも、この交流は有益となるでしょう」
立ち上がり、フレドリックを見下ろす。
最早、フレドリックは疑問の余地もなく確信しているだろう。エセルバートが彼に好意的ではないと。
「時間は少々長引いてしまうと思いますので、彼女の仕事を他の者に回すようお願いします。私のわがままで彼女の負担を増やしたくはありませんから、補佐の……サージェント侯爵令息でしたか。彼や他の文官にでもいくつか分担させてください」
嫌悪していても、皇弟としての役割を放棄するわけではないことも、察しているはずだ。
「貴殿との交流は確かに王太女にとって重要な役割になる。だからと言って他の仕事を疎かにさせては――」
「第二王女の仕事をシャーロット王太女に尻拭いさせているんですから、シャーロット王太女の仕事を他の人間に分散させるのも問題ないですよね。まさか、王太女が多少抜ける程度で崩れてしまうような体制をとっているわけでも、補佐もできないような人材しかいないわけでもないでしょうし」
人材はいるのに、適切な配分ができていない。そんな非難を表情にも込める。
「シャーロット王太女に甘えて、他の人は楽をしすぎですよ。――貴方も含めて」
「……肝に銘じておこう」
「見送りは結構です。ではまた」
礼儀が不十分な挨拶でエセルバートがブランドンを連れて退室したけれど、フレドリックから止める声はかからなかった。




