13.第二章七話
串焼きを食べ終え、また市場を回っている中。
「あ。この前のイケメンのお兄さん!」
そう声をかけてきたのは、焼き菓子を売っている女性だった。またエセルバートとは顔見知りのようだ。
「あの時は助かったよ」
「いや。当然のことをしただけだ」
「お礼と言っちゃなんだけどさ、彼女さんにうちのお菓子はどうだい? 安くしとくよ」
エセルバートが愛想よくその店に近寄り、シャーロットはやはり恋人に見えるのかと思いながらついて行く。
「エセル様、『あの時』とは?」
「ああ、客が受け取ったお釣りの一部をこっそりポケットに隠して、お釣りが足りないとクレームをつけて騒いでいたんだ。私がたまたまそれを見ていたから止めに入ると逃げて行った」
「お兄さんもお礼だけ聞いてさっさといなくなっちゃって、本当かっこよかったよ」
その時のことを思い出しているのか、女性はうんうんと頷きながらそう語る。
「あの男、他のとこでも同じようにいちゃもんつけてた常習犯らしくて、無事に逮捕されたよ」
「それはよかった」
そういえば、シャーロットもそのような案件があったと報告を受けた覚えがある。
いくら力を尽くしても犯罪をなくすことは非常に困難で、王のお膝元である王都でも小さな犯罪は珍しくない。
(わたくしよりも、彼の方が城下に詳しそうね)
十八年この国で、この王都で生まれ育っているシャーロットと、数ヶ月前に留学でやってきたエセルバート。彼の方が明らかに馴染んでいる。
それに、街を歩くのに慣れている様子からして、帝国でもこうしてお忍びをよくしていただろうことが窺える。彼の魔術を用いれば、誰にもバレることなく皇宮を抜け出したり変装をしたりすることは容易いのだから、もう好き放題だ。
「ほらほら。好きなの選びな」
女性が陳列されている焼き菓子を二人に勧める。これはどの材料を使っていてどういう味かなど、丁寧に説明してくれた。
「美味しそうだな」
「だろう? けど、値上げの影響か売れ行きがよくなくてね……」
「ああ、原材料費が上がってるのか」
「不作ってんで、まったく困ったもんだよ。これでも原価ギリギリなんだけど、みんな節約節約って、お菓子まで買う余裕はないみたいでね……」
女性が悩ましげにため息を吐く。この店だけでなく他の店の商品も、ものによっては平年の二倍近い値段になっていたりするので、どこも商売上がったりだろう。
「売れ残っちまいそうだし、買ってくれるだけでもうちとしてはありがたいんだ。彼女さんは何が好きだい?」
先程否定していなかったので、完全に女性には恋人という認識をされてしまっている。シャーロットが否定する前に、「実は」と口を開いたのはエセルバートだ。
「彼女には家の都合で決められた婚約者がいて、家の方にも彼女の方にも私が頑張ってアプローチをしているところだ」
「あらあら、そうなのかい。頑張るんだよ、お兄さん」
設定が増えている。いや、勝手に決められた婚約者がいるのは事実だけれど。
家が決めた婚約と聞いて驚いていた女性は、しかし割とすんなり受け入れた。恐らくシャーロットとエセルバートをどこかの商家や資産家、もしくは下位貴族の家の者だとでも推測しているようだ。
「お嬢さん。こんなにかっこよくて優しくて行動力のある男なんて滅多にいないんだから、真剣に考えてやんないとね」
パチン、とウィンクする女性になんと返すのが正解かわからず、シャーロットは「はい」と笑顔で答えた。
値引きはいいと、男前なエセルバートは数種類の焼き菓子を購入した。別の店で飲み物も買い、エセルバートとシャーロットはゆっくりしようと公園に向けて歩みを進めていた。焼き菓子が入った紙袋はシャーロットが、飲み物はエセルバートが持っている。
「そういえば、エセル様には婚約者はいらっしゃらないのですよね」
「ああ」
「なぜですか?」
純粋に抱いた疑問をぶつける。皇族で彼の年齢でも婚約者がいないというのは珍しいのだ。
「継承権の問題であれこれ面倒……というのもあるが、一番は魔術の研究を邪魔されたくないからだな」
「婚約者が決まると付き合いに時間を取られてしまう、ということでしょうか」
「そうだ。煩わしいだろう。兄上がいい加減そろそろ婚約しろと煩いんだが、催促がこれ以上酷くならない限りはのらりくらりと躱すつもりだった」
過去形となっている表現が引っかかり、シャーロットは首を傾げた。
「『だった』……?」
「今は婚約者を決めるのもそれほど悪くないと思っている」
そう語るエセルバートは穏やかな表情をしている。
どうやら心境の変化があったらしい。もしかすると意中の相手ができたのかもしれない。タイミング的にこの国の人間――学園に通う学生たちの中にいる可能性も否めない。そうなると相手は魔術師ではないはずなので、色々と苦労しそうだ。すべてシャーロットの想像でしかないけれど。
「早く決まるといいですわね」
「そうだな」
目を細めた彼の落ち着いた笑みが、やけに印象に残った。
数時間のデートを終えた二人が再び転移の魔術で帰ると、一人きりでシャーロット達のお茶会が行われていることを偽りつつ書類仕事をしていたらしいブランドンが、笑顔で「お帰りなさい」と迎えてくれた。
「王太女殿下、デートはいかがでした? 我が主君に不埒な真似はされませんでしたか?」
「お前まで私をなんだと思っているんだ」
不本意そうに眉を顰めたエセルバートの隣でくすっと小さな笑い声を零したシャーロットは、「ええ」とエセルバートの名誉を守る。
「とても紳士的にエスコートしてくださったわ。初めての経験で……新鮮で、楽しかったわよ」
「それはようございました」
ブランドンはキラキラと笑顔を輝かせていて、何やら意味深な視線を自身の主君に投げかけた。受け取ったエセルバートは一瞬だけ鬱陶しそうに険しい顔をすると、息を吐いてシャーロットを見下ろす。
「じっとしていろ」
「はい」
返事を聞くと、エセルバートは指を鳴らす。デートの準備のために着替え、髪や瞳の色を変えた時と異なり、今度はそれだけでシャーロットは元の姿に戻っていた。魔術の仕組みはやはりよくわからない。
鏡を見て全体を確認する。
茶系統の色だった髪と瞳も、あのブラウス、スカート、サンダル、リボン――すべて、なくなっている。この迎賓館に来た時の格好になっている。
本来の、シャーロットの姿だ。リモア王国の王家の色を受け継いだ、シャーロット王太女だ。
ロッティ、ではなくなった。
まるで先程までの出来事が夢だったかのように、何もかも跡形もなく戻ってしまった。所詮は魔術で作られた幻でしかなかったのだと突きつけられた。忌々しい二色がいつも以上に目について仕方がない。
シャーロットはどうしたって、シャーロット・カリスタ・リーヴズモアでしかない。他の何者かにはなれない。偽れたとしても一時のことで、最後には必ず王太女に戻らなければいけないのだ。
「本日はありがとうございました」
エセルバートに頭を下げる。
今日は本当に、心の底から楽しめた。王太女であることを自然と意識しなくなり、ただのロッティとして過ごすことができた。これほどの解放感を持てたのはいつ以来か。
だからこそ、自由が終わった落胆もひとしおではあるけれど。このような機会があっただけでも幸運と言える。
「そんなに残念そうな顔をするな」
エセルバートの手が伸びて、シャーロットの髪にそっと触れた。戸惑いに瞳を揺らすシャーロットに、エセルバートは優しく、しかし芯の通った声を落とす。
「確かに似てはいるが、君の方が全体的に色素が薄い。仮にフレドリック王とまったく同じ色だったとしても――この髪も、瞳も、フレドリック王のものではなく、君の色だ」
◇◇◇
その日の夜、シャーロットは自室のドレッサーの前に腰掛けていた。
鏡に映る見慣れた自分の姿。間違いなく、フレドリックの血が表れた色。嫌いな金色と翡翠色。どうしたってあの男を思い起こさせる色。けれど――シャーロット自身のものなのだと、彼は言ったのだ。だから嫌う必要はないと意味を込めて。
(わたくしの、色……)
その考え方は、シャーロットにはなかった。
確かに彼の言葉通り、シャーロットの方が色が僅かに薄い。本当に目立たない、よく見てようやく気づくことができる程度の些細な差異だ。
『仮にフレドリック王とまったく同じ色だったとしても――』
「……そうね。そう……」
大嫌いな、あの男の色。
『フレドリック王のものではなく、君の色だ』
それでも、シャーロットの髪と瞳は、シャーロットが持つ、シャーロットの色なのだ。
エセルバートの言葉がゆっくり心に浸透して、今まで抱いていた嫌悪感が薄れているのが実感できた。今後は鏡の前に立っても、湧き上がる苛立ちや不快感は比較的小さなものになるだろう。
左手を上げて、手首にあるそれを見る。
『今日着ていた服一式をこの魔術具に収納している。清潔になる魔術も組み込んでいるから、収納するだけで洗濯よりも綺麗になるはずだ。フード付きのケープも入れておいた。今後も君をデートに誘うつもりだが、毎度新しい服を用意するのは君の性格からして気が引けるだろう? 必ずこれをつけて来い。使い方は――』
迎賓館からの帰り際、有無を言わさず渡された。
青い石がついた、魔術具だというブレスレット。しかもエセルバート自らの手で作ったという一点物である。
あの皇弟が作成したものともなれば、魔術具についてそれほど詳しいわけでもないシャーロットでも、その価値が計り知れないほど高いことだけはわかる。
けれど、貴重だとか世間的な価値とか、そういうことが重要なわけではない。
ブレスレットに右手の指でなぞるように触れると、自然と表情が緩んだ。
◇◇◇




