12.第二章六話
頼んだシャーロットのパンケーキとエセルバートのアイスが運ばれてきて、シャーロットは早速ナイフとフォークでふわふわのパンケーキを切り分け、一口食べる。口の中で溶けるような柔らかい舌触りに感嘆した。
「どうだ?」
「美味しいですわ」
パンケーキそのものは初めてではない。王城には一流の腕前のパティシエがいるので、毎日彼らが腕によりをかけて作ってくれたお菓子を口にする。パンケーキも何度も出てきた。
それよりも美味しいと、シャーロットは感じた。きっと技術は王城のパティシエの方が上だろうし、材料も贅沢なものが揃えられているはずなのに、お世辞でもなんでもなく、確かにこちらの方が美味しい。
黙々とパンケーキを頬張っていると、もう残り少ないアイスに手をつけずじぃっと不躾に観察してくるエセルバートを無視できず、シャーロットは手を止めた。
「何か?」
「いや、所作が綺麗だなと」
「ありがとうございます。で……エセル様も、振る舞いがとても洗練されていて素敵ですわ」
「それは浮いていてこの場に合わせられていないということか?」
「まあ。わたくしにもそのように注意なさっておられたのですね。気をつけます」
「……ははっ」
思わずといったようにエセルバートが笑い出した。
「出来心でからかおうと思ったが……君は本当に、流れるように返してくるな」
子供のような笑顔を見せる彼を目撃した周囲の女性達が、息を呑んだり黄色い悲鳴を上げたり、とにかく抜群すぎる効果を受けている。
真正面でその笑顔と対峙しているシャーロットとて、秀麗すぎる顔立ちの男性のそれにまったく心が動かないわけがない。普段読みづらい、そして独特の威圧感を纏う隙のない男性でもあるので、無邪気で素直な反応はギャップがあり、シャーロットの胸は高鳴っていた。
「ところで、――『気をつけろ』と念押ししたのに、言いかけたな」
殿下、と言いかけたのを見逃してはくれないようだ。
「申し訳ありません。ミスを嘲笑いたいのでしたら遠慮なくどうぞ」
「君は私をなんだと思っているんだ?」
これまたおかしそうに笑みを零して、エセルバートは最後の一口であるアイスを口に運んだ。
カフェの代金はエセルバートが全額支払ってくれた。シャーロットは金銭を持ち合わせていなかったので次に会った時に返すと申し出たが、丁重にお断りされてしまった。『ここは男に花を持たせろ』と言われてしまえば引き下がらないのも失礼にあたってしまうので、仕方なく受け入れるしかなかったのである。
カフェを出てまた散策が再開され、二人は市場にやって来た。果物や野菜などの食べ物に加え、ジュースを扱う店や手作りの雑貨を置いている店もある。
賑わいの中に足を踏み入れ、シャーロットはあちらこちらに視線をやる。やはり見るものすべてが新鮮で浮き足立っていると、エセルバートが「こっちだ」と先を行くのについて行った。
エセルバートが立ち寄ったのは、串焼きを売っている店だった。もわんとした熱気と共に、肉の香りが漂ってくる。
「店主。このタレを二つ頼む」
「お。兄ちゃんこの前の」
「また来させてもらった」
「ありがたいねぇ」
エセルバートはこの店が初めてではなく来たことがあるようで、店主の男性がニコニコと気安く対応する。相手が隣国の皇弟である可能性など微塵も浮かんでいないのだろう。
「……ところで、そっちの美人なお嬢さんは彼女さんか?」
好奇心に満ちた店主の目がシャーロットに向けられた。
「まだ口説いている最中だ」
「おお、そっかそっか。頑張れ。ほれ、一本はサービスしてやる」
「ありがとう」
彼の中では今日はそのような設定になっているのだと、シャーロットは今この瞬間に初めて知ることとなった。どうやら『ロッティ』は『エセル』に口説かれているらしい。
エセルバートが一本分の料金を払って串焼きを受け取り、店主に生温かい眼差しで見送られつつ、二人は近くのベンチに移動して座った。
「以前食べて美味かったからな。ロッティもぜひ食べてみてくれ」
そう言われて串焼きを渡されたものの、口はつけずに手に持つそれを観察していると、エセルバートが顔を覗き込んできた。
「宮廷料理が当たり前の王太女殿は、ちゃんとした店ならともかく露店の食べ物は口にしたくないか?」
「いえ、ただ珍しかっただけで、そのようなことは」
「はは、冗談だ。普段口にしないものを警戒してよくよく観察するのはむしろ正しい」
シャーロットが弁明する必要はなかったようで、ただからかっただけらしいエセルバートは笑ったあと、躊躇わずに串焼きの肉に噛み付く。以前から思っていたけれど、彼は人をからかうのが趣味なのだろうか。
しかし、そのからかいも親しみが込められているように感じる。
「先ほどの呼び方は、今回のデートではルール違反では?」
「周囲の人間に聞かせるようなミスはしない」
「わたくしの言いかけただけのミスはわざわざご指摘なさいましたわ」
「私のはミスではなくわざとだ」
「知っています」
意図的にあの呼び方をしたことなど理解している。それでもあえて引き合いに出したのは、こちらも同様に親しみを込めた仕返しである。ダメージはまったく与えられなかったようだけれど。
「早く食べろ」
そう言って、エセルバートはまた肉を一口食べる。
シャーロットはむすっとしながらも、倣って小さな口で串焼きにかぶりついた。
(美味しい……)
甘辛いタレを纏った肉は程よく火が通っており、噛み応えがあった。串焼きというスタイルで肉を食すのは初めてで、それもまた不思議な感覚だ。
「美味いだろう?」
「はい……。王城の料理人たちの料理も美味しいことは確かなのですが、苦手なものが出ることが多いですし、食事中はあまり味も感じられないので、久しぶりにしっかり味がわかります」
食事はジュリエットの好みと健康が常に考慮されるため、シャーロットの苦手な食材や味付けの料理を出されることが多々ある。まして嫌いな人たちと共に席につかなければならず、礼儀作法にも気を抜けない環境だ。ストレスで食事をじっくり味わえたことがあまりない。
「先ほどのカフェのパンケーキもでしたが、とても美味しいですわ。……これ、お肉は硬くて食べづらいですけれど」
「正直だな、相変わらず」
「それと、どうせならこちらを先に食べた後に甘いものがよかったです」
「本当に正直だな……。それは悪い、私のルート選択ミスだ。こちらから回るべきだった」
「冗談です」
ふふ、と上品に笑い声を零すシャーロットを見つめながら、エセルバートはゆっくり口を開いた。
「いや、本音だろう」
「そうですわね。けれど責めているわけではありませんので、謝罪は不要ですわ」
「そうか」
「はい」
「……他にも色々と回って食べてみるか?」
「はい。お腹の具合と相談になりますが」
パンケーキでかなりお腹は満たされている。シャーロットはどちらかといえば少食な方なので、串焼き一本と合わせると満腹に近くなるだろう。
けれどなぜか、今は色んなものが際限なく食べられる気さえしていた。
「エセル様は街をよく歩いてらっしゃるのですか?」
「勉強や仕事ばかりで室内に引きこもるのは体に悪い。それに、この国の街の雰囲気は興味深いしな」
他国と比較して近年の発展が目覚ましいリモア王国、特にこの王都は、皇弟にとって良い教材となるのだろう。彼は両国の親交を深めることはもちろん、この国の政策を学ぶことも目的として留学に来ているのだから。
「エセル様」
「ん?」
「身分を気にせず自由に過ごすのは、こんなにも楽しいものなのですね」
「……そうだな」
頬を緩めて市場を眺めるシャーロットを横目に、エセルバートも表情を和らげた。




