10.第二章四話
約束の『デート』当日。シャーロットが馬車で迎賓館に到着すると、出迎えで待っていたのはエセルバートの従者ブランドンだった。
「お待ちしておりました、王太女殿下」
綺麗な所作で頭を下げたブランドンに連れられ、エセルバートの部屋まで案内される。
隣国の皇弟が半年間滞在しているということで、警備には力を入れている。エセルバートが帝国から連れてきた騎士はもちろんのこと、元々迎賓館の警備で配置されているリモア王国の騎士を増員しており、エセルバートの部屋の前の廊下には常に騎士の目がある。
「我が主人はシャーロット王太女と気軽に世間話ができる環境をご所望なので、護衛の騎士たちはこちらで待機しているようにお願いします」
エセルバートの部屋の前でブランドンがにこやかな笑顔で示したのは、護衛の騎士や使用人が利用するすぐ隣の待機部屋だった。
「しかし……」
「心配ないわ。何かあればすぐに駆けつけられる距離でしょう」
「……承知いたしました」
護衛としてついてきていた二人の騎士を待機部屋に送り込むと、エセルバートの部屋の前で見張りをしている帝国の騎士がブランドンから視線を受け、頷いて扉をノックする。
「殿下。王太女殿下がお見えです」
「ああ。通せ」
「は」
騎士が扉を開け、シャーロットはブランドンと共に部屋の中に入った。
「数日ぶりだな、王太女」
エセルバートは長い足を組み、ソファーにゆったりと腰掛けていた。
最初はデートと言われていたので、てっきりどこかに出かけるものと思い込んでいた。しかし二人での、それも留学期間にエセルバートに与えられている迎賓館の私室で茶会をしよう、という内容の招待状がシャーロットの手元に届いたのは二日前。不思議に思いながらも、まあ気分が変わったのかもしれないとそんな結論に至ってこちらにやって来た。装いも侍女たちが入念に仕上げた茶会用だ。
しかし、室内で待ち構えていたエセルバートの格好を見て、その結論が間違っていたのだと瞬時に察知した。
キラキラしたその秀麗な顔や立ち振る舞いから溢れ出る高貴なオーラを惜しみなく纏っているものの、彼は明らかに平民向けの質素な衣装に身を包んでいる。これは紛うことなく、いわゆるお忍びで外出するつもりなのだろう。
ブランドンがシャーロットの護衛を室内に通さず待機部屋で待つよう言いつけたのも、この主人の格好から容易に推測が可能な企みを隠すためだったのだ。
「本日はお招きいただきありがとうございます、エセルバート殿下」
まずは礼節に則って挨拶をする。上品さを兼ね備えつつも気合十分なドレスを着用している女性が、シンプルな服装ながらも豪然に腰掛けている男性相手に丁寧な対応を取る。見たままの表面上はなんともちぐはぐな光景となっていた。
「仕事は上手く調整できたか?」
「殿下とのデートを理由に他の者に押し付けてきました」
増えることはあっても減ることなどなかった仕事が、予想外にも調整されたのだ。最初は日程の調整だけで終わっていたはずなのに。
「帰ってから他の日に持ち越してでも自分の仕事は自分でやれと言われるのを覚悟していたのですけれど、なぜか陛下の方からいくつか部下たちに回すと指示がありましたわ」
「そうか」
特段大きな反応はなく、エセルバートはそんなものだろうと軽く受け入れている。それが逆にシャーロットに違和感を覚えさせた。
「何かなさったのですか?」
「私はこの国の人間ではないのに、そのような権限があると思うか?」
「……それもそうですわね」
シャーロット自身、まさかと思いながらの質問だったので納得はできる。けれど、彼であれば干渉は容易いのではないかとも考えてしまう。
「殿下の服装をこうして目にするまで、お茶会に変更になったのだと思っていましたわ」
「正直に街をデートするなどと言えば、無駄に護衛が付き纏って目障りだろう」
やはり城下を回るらしい。
「では早速、君の準備にとりかかろう」
立ち上がったエセルバートが歩み寄ってきて手を差し出した。シャーロットが手を重ねれば、軽く握られる。
「着飾った姿はとても綺麗でずっと眺めていたいものだが、私も君も、本来の立場に見合った格好だと城下ではどうしても目立ってしまうからな」
手を引くエセルバートに丁重に誘導されるがまま、全身が映るサイズの鏡の前で立ち止まった。綺麗に磨き上げられたそこには、見慣れた『シャーロット王太女』が映し出されている。
金色の波打つ長い髪に、翡翠色の瞳。フレドリックとの血縁を濃く証明する色合いだ。
「準備、というのは? わたくしは着替えなど持ってきておりませんが」
「安心しろ。こちらで用意している」
エセルバートがパチンと指を鳴らすと、シャーロットの足下に魔術陣が浮かび上がった。突然のことに咄嗟に足を一歩引くと、「動くなよ」とエセルバートに注意される。
温かい風が床から渦を巻くように吹き、シャーロットの体を光が包み込んだ。眩い光を遮るように顔の前に腕を上げ、思わず目も閉じる。
光が次第に収まると、シャーロットは重いドレスの感覚がなくなったことにまず気づき、ゆっくりと目を開けて自身の格好を見下ろした。
身に纏っているのはジュリエットの好み全開のあのドレスではなく、シンプルながらもレースがあしらわれた白のブラウスと、落ち着いた雰囲気の紺色のスカートだった。靴もサンダルに変わっている。
驚愕しながら、シャーロットは自身の姿を鏡で再度まじまじと確認した。
魔術には詳しくないけれど、人が身に纏っているものを正確に取り替えるなんて、繊細なコントロールが必須だとシャーロットでもわかる。
評判通りの魔術の腕前だと、エセルバートの能力を再認識させられた。こうも短期間で何度も魔術を体験することになるとは。
「青は少々目を引くからな。すまないが暗めの色にした」
ぱちりと、シャーロットは瞬きをする。
そうして思い至った。何色が好きかという以前のあの質問はこのためだったのだ。
「服であれば、こちらの色の方が好きです」
「それはよかった」
小さく笑みを零したエセルバートは、今度はシャーロットの髪に触れた。触れられた場所から徐々に髪の色が変化していき、シャーロットは目を見張る。
驚きで言葉を失っている間に、エセルバートの手は髪から離され、シャーロットの頬に添えられた。上を向かされ、剣を扱うためか皮膚が硬い親指が肌を滑る。
真摯な瞳で見つめられるシャーロットは身動きが取れず、青紫色の瞳を同じように見つめ返すしかなかった。
決して遠くはない距離で見つめ合って何秒経ったのか。なぜかエセルバートが僅かに眉を寄せ、ため息を吐いて離れていく。
「もう少し警戒するべきじゃないか?」
「動くな、と仰ったのは殿下ですわ」
「それでもだ。あの場面で抵抗する素振りを見せるどころかあんなに真っ直ぐ見つめるなど、相手が誤解して手を出しても文句は言えないだろう」
「誤解……」
真剣に考え込み、シャーロットは怪訝そうな表情を浮かべる。
「貴方がわたくしに危害を加えて、何かメリットはありますか?」
「……本気か?」
エセルバートも訝しげに表情が歪む。心の底から湧きあがった疑問だった。
「――ゔゔん!」
ブランドンの咳払いが響いて、己の従者を一瞥したエセルバートはもう一度ため息を吐き、乱雑に前髪をかき上げる。
「わかった、もういい。この話は終わりにしよう」
「……なんだか呆れられたような気がしてならないのですけれど」
「それより、髪と瞳を鏡で確認してくれ」
不満が流されて少しむっとしたシャーロットだったけれど、エセルバートの言葉に疑問が生まれる。
(瞳……?)
色が変わっていたことが視認できていた髪はともかく、瞳とは。
鏡に再び目を向けて、シャーロットはまたもや目を見開いて驚くことになった。
髪だけでなく、瞳の色まで変化していた。このために彼はシャーロット目の下あたりを撫でていたのか。
「……これも魔術なのですね」
「ああ」
初めて、フレドリックとは異なる色を持った。平民に多いという茶系統である。
瞳の色まで魔術で変えられるなんて知らなかった。
「最後の仕上げだ」
髪型は変わらずハーフアップだったけれど、一目で高価だとわかる髪飾りがなくなっており、エセルバートが持っていた紺色のリボンを髪の結び目で結ぶ。シャーロットはその様を鏡越しに眺めていた。
「我ながらセンスがいいな」
その出来栄えに満足そうに笑みを浮かべ、エセルバートはリボンをつまんで肌触りを確かめる。
そんなことよりシャーロットの意識を奪っているのは、茶髪と薄茶の目の姿の自分だった。じぃっと食い入るように眺めていると、エセルバートも鏡越しに見てくる。
「そんなに気になるか?」
「はい、とても。――あの男の色は嫌いなので、違う色の自分が新鮮で」
特に何も考えずに思ったままを口にして、数秒するとハッとした。
他でもないリモア王国の後継者が、英雄と尊ばれる王に良くない感情を抱いていると吐露してしまったのだ。他国の人間に、自ら付け入る隙を与えてしまった。
普段ならありえない、気を抜いておかしてしまった失態に動揺していたけれど――。
「そうか」
短くそれだけを告げたエセルバートにはシャーロットとフレドリックの関係性に特に興味を持っている様子がないように見えて、シャーロットは安堵する。
(この方が相手だとなぜか自然と本心が……気をつけないと)
リモア王国の人たちと価値観が違うためか、どうにも油断してしまっているようだ。いつも抑制している本心をぶつけても全否定されることはないと知っているから、ついつい零れてしまう。
王太女としては決して油断していい相手ではなく、気を引き締めて対応しなければならないのに。




