第八話『幸福の仮面をかぶってくるのはいつも子供』
通り過ぎる村は、どこかしこも人の気配がしていない。時々、小さな動物が俺たちの来たことに気付き、一足早く草むらの中にコソコソと姿を消した。
かつて賑やかだったことを道沿いの家々の木戸や窓はすべて壊れていた。屋内の家具ほとんどが壊され、タンスに似た棚はどれも無造作に引き出されている。
「ここに住んでいた人たちは?」
「この村はわりあい早い時期に全村避難できたので、わたしたちの村やその周辺の村で暮らしている人が多いです。ここはこれでも被害が少なかった地域と聞いています。家具が壊されているのは心のない盗人が行ったのでしょう。それが証拠に妖魔と戦った村は周囲の森ごと、どこも焼かれてしまっています」
「部屋の中を荒らしたのは妖魔じゃないのか?」
「あいつらは金品に興味がありませんから、でも、どちらも醜い存在です、本当に汚い」
「そう……」
チロシの言葉は、生きるためなら少しくらいなら使える物をもらってもいいかと考えていた俺の心に鋭く刺さった。
「人間が妖魔のようになるなんてことは許されないことです」
人の嫌な行為の跡は、興味本位に覗いたことを後悔するような気持ちにさせた。
「今晩休むのは次の宿場跡にしましょう、それまでなら日も暮れていないと思います、ここから先はさらに妖魔が多い場所なので夜の移動は絶対にやめましょう」
チロシの言葉通り、最終結界の役割を担う村の鳥居をくぐってからはいつも誰かに見られているような感じがしていた。
だけど、それに確信があるわけじゃなくて何もおこっていないといえばその通りである。廃村の崩れた家に差し掛かるほど、その気は非常に強くなっているようにずっと感じていた。
「ほんと、増えてきている、さっきの草の中に逃げていたのもウサギやネズミじゃなかったわね」
「へ?俺、動物だと思っていた」
「は?ちょっとそのくらい気付いてくださいよ、わたしの契約上の使い手でもあるのに」
「気付けるわけないだろ!見えてもいないのに」
「見えていなくたって、感じることくらいできたでしょ」
「何も感じない」
「ほんとっ、鈍感男ね」
「だまれ、なまくら女」
「何ですって!」
肩に乗っていた獣人の子は何かあったのかと背負っていた鞄から抜け出し、俺の肩の上に乗り、俺の髪の毛を引っ張りだした。
「キッ!」
「ほら、こんな小さな子に注意されて」
「それはすずね、おまえが……」
本当はすずねの言うのは何となく分かっていた。違和感、そう違和感だ。周囲の気を揺らめかせる何かの存在。はっきりと分からないんだけど、うまく口に言い表すこともできないんだけど、俺の気付かない俺の体のどこかが、俺の心をつついていた。
「しっ!藪の中に何かがいます」
チロシが俺たちの会話を制した。
明らかに俺たちの動きに合わせ藪の中で笹を揺らすような音が近付いてきている。
「こんなにすぐに魔物は現れるものなのか?」
「この人数でゆっくりと歩いていたから向こうもすぐに察したのでしょう。ただ、こんなにも早く集まってくるなんて」
そう言ってチロシは時折立ち止まり周囲を警戒した。
「魅かれているのよ、魔物だって珍しいものに興味があるから、それが強いのか、弱いのか、美味しいのか……」
「俺の味はまずいと思うぞ」
「そんなこと言うけど実際に右手の先食べられたじゃない、食べかけの獲物、それが奴らの好奇心……ううん、嗅覚をとても刺激するのでしょうね、魔物には喰われた証拠がしっかりと見えているのよ、たとえそれがまずかったとしても」
「魔物にとって俺は食われかけか……」
「さっきよりもずいぶん感が冴えてきましたね、では食べ残しの勇者さま、次なる御膳の準備をしましょうか」
「すずね、俺は勇者になんてなった覚えなんてないよ」
「大事な彼女がこんなに怖がっているというのに?」
肩に乗っていた獣人の子猿は小さく鳴いて俺の首にしがみついていた。
もう一度、悪態をつくすずねの方を見た時にはもう彼女の姿は透けていた。俺の右腕に力の転移を始めている。
腕の先は刀を握る手へと変わっていった。右腕の体をなしてはいたが、自分の身体の一部というより、何か縄で拘束されたような鈍い痛みが続く。
「!」
気が付くと、進もうとする方向の路上に、面をかぶったスマリと年格好が似た子供が一人で立っていた。面は陶器のように白く目と口の部分に丸い穴が三つ空いているだけの物であった。
「単純なつくりの面だな、あいつも獣人なのか」
「いえ、あれは祭事に巫女が使う幸せを運ぶ使者の面です……ただ……」
先に歩くチロシは、面の奥の瞳が金色に輝いているのを見て、一目で普通の人間ではないことに気付いた。長い栗毛色の髪が急に生じた小さなつむじ風になびく。
「あの子供のようなモノが発する気、普通の魔物ではないです」
チロシは弓に矢をつがえながら前に進み、俺との間合いを広げていく。これからどれだけこのような緊張する瞬間があるのだろう。俺は息を整えようとするけれど、なかなか鼻だけでは呼吸できずに一息が荒くなる。
(アソボウヨ……)
頭の中にその言葉が響いた瞬間、前に立つチロシの首が飛んだ。彼女の身体はその場で膝から崩れ落ち、つがえていた矢は地面に転がった。
それはあまりにも……あまりにもあっけない瞬間だった。
「チロシ!」
俺は彼女の名を叫びながら血だまりの中で無造作に転がる彼女の首へ駆け寄ろうとした。しかし、遮るように澄ました顔の子供がその間に立ち、俺の行く手を阻んだ。
「蹴鞠ガシタイナ、アノ鞠デ」
血と土に汚れるチロシの首を指さして話すその声は無感情だった。
「てめぇ!」
俺は怒りの感情に任せたまま、その子供にめがけて刀を振り下ろした。
俺の身体を中心に円を描くように激しく土煙が舞い上がった。
「!」
俺の振り下ろした刀がぴくりとも動かなくなっている。
「刀が動かな……」
土煙がおさまるにつれ、俺は今、どのような状態になっているか理解した。
面の子供が刀の刃先を左手の指で握っていた。
(このまま押し切ります。シンタ様は私から手を離して早く逃げて、こいつには絶対に勝てません)
すずねの声が頭に響いてきた。
「何、言っているんだ、このままおまえを置いていったら天狗のおっさんに怒られるだろ!」
ほんとは、怒られるのなんてどうでもよかった、すずねを放っておくことなんて俺は考えることもできない。
(早く!)
「黙ってろ!俺がこいつを!」
(早く!わたしはあなたをこのまま殺されたくないの!)
「大事なおまえを置いて逃げれるかよ!」
高くはじけるような音が辺りにこだました。
子供は左手で刃先をもったまま、俺の刀を右手の手刀で叩き折った音だった。その瞬間に俺の右腕が蒸発するように消えていった。
それは、すずねが殺されたことを意味していることぐらい馬鹿な俺にも分かった。
「すずね!」
俺はその場で崩れ落ちるように地面に膝をついた。
「こ、こんなのあるかよ」
あまりにもあっけない結末であった。三分もたないでチロシとすずねが殺されてしまった。
(立たなくちゃ!俺、こんなところで何しているんだ!まだ、獣人の子がいるじゃないか、あいつを助けなくちゃ!)
「オイ、コンナトコロデ何シテルンダヨ……」
そう、見下ろすような位置から子供の声がして、俺の周りの世界は黒一色に染まった。
ミンミンゼミの声が聞こえる。
俺はゆっくりと顔を上げた。まぶしいくらいの青空と入道雲。
息がむせるほどの熱気。
学校ジャージにTシャツ姿のハクや学校の友達が心配そうに俺の顔をのぞき込んでいた。
「シンタ、おまえ、熱中症じゃねぇか、街まで降りて救急車呼んでくるか?」
「急に前を歩いてフラフラして倒れたからよ、近くにいたナギたちにも集まってもらった」
「おい、シンタ、水飲めるか?これ飲むか?」
ナギが自分の水筒を差し出した。
「すずねは!獣人の子は大丈夫なのか!危険だぞ、あの子供に殺され……」
四人の同級生のあきれた顔が並んでいる。
「おまえ、アニメの見過ぎじゃね?」
俺は自分の右腕を見た。もちろん切られてもなく、普通についていた。
「だ、大丈夫だから……おまえたちの言ったとおり、夢を見ていたようだ……ははは」
俺は作り笑いをしながら立ち上がった。
「大丈夫だよ、疲れただけだから」
「それならいいな、まだこの訓練途中だからな、ほら、そこの木陰のベンチで休んでりゃいいよ」
ハクが指さしたのは、道路沿いの木陰の下の赤くさびたベンチだった。
「ここまで前はバス来てたんだな、スマホがありゃ、撮っているんだけどな」
「ずいぶんと親父趣味だな」
トシの言葉をナギが笑った。
「俺たち、先行くけどいいか?一緒に行くんならここでつきあってもいいぜ」
「ああ、ありがとう、本当に大丈夫だから、ちょっと休んでから必ずついて行くよ」
「そうか、次の神社で俺たちも今日は泊まらなくちゃならなさそうだから、待ってるからな」
ハクたちはそう言って、山の奥の方へと向かう道を先に出発した。俺はベンチで一人うなだれている。
(夢?まさか……だろ……これだけはっきりと……)
顔を少しだけ起こしてみた。
誰かいるはずもなかった。ただ、蝉の鳴き声の重なりが路上のかげろうを大きく揺らしているように見えているだけだった。