第七話『じゃれている猫はかわいい』
<登場人物>
サイキ シンタ
『根之国学園』の一年生
駒形十郎
どう見てもシンタには天狗にしか見えない年老いた山伏姿の大男
兎森丸すずね
シンタと出会う巫女装束の女の子 本来は別の姿をしている
スマリ
シンタが救った兄妹の兄。山に入ったところを化け物に捕まった
モユ
シンタが救った兄妹の妹
チロシ
スマリとモユの暮らす村の少女で弓矢の名手 獄門村の名門キギス家の令嬢でもある
長老
獄門村の長老
あくる日、俺たちは長老に軽く挨拶をすませ、早々と出発した。昨日、お願いした通り、出発式などのセレモニーは行っていない。
辺り一面に朝もやが立っていて山は見えず辛うじて道沿いの木々がかすんで見えていた。
「シンタ様、ずいぶんと目が赤いですが、あまり眠れなかったのですか?」
すぐ前を歩くチロシがそう言って振り向くとポニーテールの髪が揺れた。
「眠れました……はい、間違いなく」
俺がそう答えると、右隣で歩くすずねがとんでもないことを口にした。
「もちろん、夜遅くまでゴソゴソ音を立てて、最終的に隣を覗くなんて、ましてや私のような若い娘が寝ているところを見るなんて無粋なことはするわけないですもの」
すずねの言葉があまりにも鋭い刃となって、俺の心を瞬時に両断した。
「うがぁ!」
知ってる……こいつは、知っているぞ、昨夜のことを、なおかつ俺の理性が薄い氷よりも非常にもろくダメなことを……それにしても、この女ぁ……かわいい顔で飼い犬のように忠実なふるまいを見せながら、すべてを観察してやがる。飼い犬?いや、猟犬だ、狂犬の猟犬だ……俺にとっての地獄の番犬ケルベロスだ、あの見下ろし気味の冷たい薄ら笑いを見ろ……だが、俺だ、俺が何もかも悪いことには違いないんだ。
「どうされましたか?」
チロシが心配そうにあわてて駆け寄ってきた。
「いや、急にめまいがしただけだから」
「そうよねぇ、発情した獣のように、興奮して考えすぎて寝不足したなんて人に言える訳ないもの、チロシさん、大丈夫ですよ、この人の身体の状態はとてもよく分かっていますから」
「そ、そうですか、お二人の仲にわたしなんて者がしゃしゃり出てしまって……」
「うわぁ、待った、待った、そんな仲じゃなくて、俺の右腕がこいつなの、今、こいつは俺の右腕なの」
「右腕とも言われる信頼をわたしも得たいものです」
そう言った赤らめた頬のチロシに、すずねは否定することなく笑顔で応えた。
その場でうろたえている俺たちのところに、聞きなれない動物の鳴き声が響き渡った。
「何なんだ?あの声」
「ああ、あの声ですか、あれは土牢に入れられた獣人の子の声です、隣の村が魔物に襲われて多くの犠牲者が出た時、逃げきれずとり残されていたのをわたしの村の人が捕らえたのです」
「獣人と魔物は違うものなのか?」
「魔物というものもあれば、違うという者もあり、ただ、獣人の方が闇に心を奪われやすいのは確かですし、力も人間よりはるかに上回っています」
「その獣人の子は人間に何かしたのかい」
「そこは分かりません、しかし、そのまま放置しておくことはできません」
「でも、とても悲しそうに聞こえますね」
すずねは鳴き声のする方向を見つめている。たしかに俺も同じ感想を持った。自分が小さいころから飼っていて三年前に病気で亡くなった猫の『シロ』の声にとても似ていたからだ。小さいころの俺の横にはいつもそのサバ虎模様の猫がそばにいた。寝るときも顔の横にいたり、布団の中に入ってきたり。
俺が友達と外へ遊びに出ていくとき、誰もいない家の中で同じような声が聞こえていたことを急に思い出した。
「まっ、いいか」
俺が再び歩き出すと、また鳴き声が聞こえた。
やばい……何で、あの時のことを思い出すんだろう、シロが死んだ時だって、俺は学校に行っていた。家に帰ってきたら目を真っ赤にはらした母が、何も言わずにいつもシロが寝ている猫用ベッドを指さした。
あの柔らかくあたたかな身体が、かたく……とても冷たくなっていた。寝ているようだったけれど寝ているのではなく、すべてが止まっていた。
俺は悲しいドラマや映画を見ても涙を人に見せることはなかったけれど、目の前の彼女がお気に入りの場所で静かに死んでいるのを見て大声をあげて泣いた。それが俺の初めての身近な別れだったのかもしれない。
「俺、連れて行ってもいいかな」
「まさか、小さいとはいえ、獣人ですよ、危険です」
「危険かどうかは後から判断するよ」
はじめ、チロシは俺の申し出を断ったが、俺が何度も頼んだので、戸惑う様子を見せながらも土牢の前まで案内してくれた。すずねは何も言わず俺についてきた。
「お前たち、牢の鍵を開け下がっておれ、この獣人の子はこれよりシンタ様があずかるものとする」
チロシの命を受けた門番らは監視小屋からすぐに飛び出てきて、言われた通り扉を開けた。牢の中の獣人の子は警戒し、一番奥側の壁に身を寄せた。
「!」
俺はそれまで、その似た鳴き声から『シロ』に似た小さな子猫を勝手にイメージしていた。
鎖に繋がれたその体の大きさは幼稚園児くらい、サバ虎模様ではなく、全身白い毛におおわれ確かに猫のような三角の耳が頭部に二つついている。
「猿……」
俺の目の前にいたのは猫ではない。ぼろ布をまとっているが、頭から足の先までニホンザルにそっくりだった、唯一、図鑑と違うところは猫のような耳が付いている。
ただ、顔だけは木製の面を付け、隠れていた。
「お面を付けているのね、それはどうしてなの?」
すずねがチロシに尋ねた。
「獣人は人に自らの顔を見せない習性があります、捕らえた時に見た者は人に近い顔だとは聞いていますが、決して人前では見せずに成長に応じた大きさの面を付け隠しているのです」
「そう、それならその面はこの子の親が作った物なのかもしれないわね」
「多分、そうです」
「ね、猫じゃないんだ」
「いえ……お話ししたように獣人の子です、猫ではありません、そのようなことを口にするだけで長老一族に対し不敬です」
「すると、やはり長老は猫というおさえでいいんだな」
「長老は猫ではありません、あくまで村の守護神、長老一族です」
「だから長老……」
「シンタ様、今、何をしなくてはならない時なのでしょうか」
すずねが会話をぶち切った。
そうこうしている間に、番人たちは土壁の杭にからんだ鎖を外し、小屋から持ってきたもう少し細い鎖を首輪に結んだ。
「ご準備できました」
チロシは門番から受け取った首輪に繋がれた細い鎖の先を手にからめ軽く引っ張った。
しかし、獣人はその場にうずくまり動かなかった。
「シンタ様、食料を分けてもらえますか」
そう言えば、今朝、出発するとき、チロシから非常食代わりの干し芋のような物を手渡された。俺は、すぐに背負っていた袋の中から二枚ほど取り出し、獣人の子を驚かせないよう静かに近付いた。
「ふわっ!」
そんな感じの声を出した獣人の子は、俺から奪い取るように食料をもぎ取り、面を少しずらし丸のみした。よほどおいしかったのか、俺のすぐ目の前で立ち上がった。
「ほぅほぅほぅ」
立膝の姿勢でいる俺の右肩を両手で持ち、催促するように大きく揺らした。すずねは、こうなることが分かっていたかのように俺にまた干し芋のような物を手渡した。
獣人の子はそれもあっという間に口に中に放り込んだ。
「今です、シンタ様、牢から出て表に行きましょう」
すずねに急かされるようにしながら牢を出た俺の後ろから、獣人の子がよちよちとした足取りでついてきていた。
「すずね、お前、獣人を飼ったことあるのか、やけに手馴れているな」
「わたしの祠の周りは獣ばかりでしたからね」
「あの天狗のおっさんも獣に分類していいのか」
「あの世界に戻ったらそうお伝えしておきます」
「それはやめてくれ」
村から少し離れると、朝もやもすっかり消え、目の前に緑の山々と青空が広がった。
「この辺ならいいか、チロシ、村のみんなには内緒にしてくれ」
「何をなさるのですか」
俺は、獣人の子に近付いてすぐに首輪を外した。
「大丈夫なのですか」
チロシはとても驚いている。
「さぁね、でも、こういう小さい子を獣人と言えどあのままにしておくのは好きじゃない、逃げたら逃げたでいいし、自由にしてあげてやってほしいな、なぁ、すずね」
「さぁ、わたしにどうこう言う権限はありません」
「そうですか……シンタ様がそうおっしゃるのなら」
獣人の子は何が起こったのかはじめ分からないようであったが、ようやく自分を縛っていたモノから解き放たれたことに気付いたのか、楽しそうにその場でクルクルと回ったり、跳ねたりしていた。
「自由に遊びに行けよ、もう一人で牢にいることなんてないよ」
俺は子猫だったころの『シロ』が楽しそうに物にじゃれついて遊ぶ様子を思い浮かべた。ただ、目の前にいるのは猿の方がより近い生き物であったが。いや、確かに耳だけは猫だが。
「そうだよ、あの頃のようにいっぱい遊べばいいんだ」
別に何か特別なことをしたわけでもないが、俺はいつになく爽快な気持ちになった。そして、また歩き出した。
(う……何か重い)
俺は身体が急に重くなったように感じた。
「獣の扱いはわたしよりも手馴れているようですね」
すずねはそう言って俺の方を見て笑っている。
後ろを振り返ると、獣人の子は俺の背負っていた袋の上に乗っかっていた。
「ふぃうぃうぃー」
そいつは高く鼻にかかったような声で機嫌よく歌い出した。
「土牢にいた時にはこんな声を出したことはなかったと思う……でも、なんか嬉しそうです」
チロシは心配そうに様子をうかがいながらも、もう、その手には獣人の子を縛っていた鎖を持っておらず、自分の腰に束ね巻いていた。
「これなら新しい着物も用意しなくてはね」
「それよりもちょっと、いや、見た目よりだいぶ重いんだが」
「自由にしろって言ったのはシンタ様じゃないですか、その子は何も悪いことはしていない」
「確かにそうだけど……でも、重いぞ、首が吊られる、すずね、どうにかできないのか」
「できません……でも、昨晩のことは、これで帳消しにしておきます」
「何か言った?」
「いえ、何も、チロシさん、わたしたちが行く道はこのまままっすぐでいいのね」
「はい、向こうの雪の残る山まで行きます。もうすぐ、魔物が増えてくる地域にかかります、くれぐれも油断なさらぬよう」
「うぇっ!行くところって、あんな遠くなの!」
「ふぃうぃふぃーふー」
この世界では、どうやら俺は小さな子に好かれる運命が確定しているようだ。