第二話『刀って、そう簡単には扱えない』
<登場人物>
サイキ シンタ
『根之国学園』の一年生
駒形十郎
どう見てもシンタには天狗にしか見えない年老いた山伏姿の大男
兎森丸すずね
シンタと出会う巫女装束の女の子
キノコ蜘蛛
老人の姿に身をやつし、男性器に似た第二の顔を持つ化け物
ハク
シンタの同級生
(ここで死んだら億を超越する保険金が奴らの手に……)
両親が高額な保険金を手にし、高笑いしながら都心一等地のハイグレードマンションを買っている幻を見た。
背中に顔のあるキノコを揺らす老人は、とてつもないスピードで、避ける俺の横をかすめていった。
俺は相手の突進をかわすことだけで精一杯だった。
(やべ……息上がってきた)
見れば見るほど、そのキノコに蜘蛛の足が生えているようなその生き物は不気味な姿をしていた。方向を変える度に背中の大きなキノコは地面に付きそうになるぐらい左右に揺れた。
「うぬの腕はまだ新鮮で美味そうじゃのう」
キノコの大きな口から唾液がビチャビチャと音を立てて足の先まで垂れている。
(そうか!俺は刀を持っていた!)
背負っていたリュックを外し、天狗から預かった刀を取り出そうとした。しかし、巻いていたタオルの端がチャックに挟まり引き出せなくなっていた。
「お、おい、ちょっと待ってよ、と、とれないじゃねぇか、おっ、わっ!」
焦れば焦るほど、刀を取り出すことはできなくなっていく。自分の声が悲鳴のようになっていくのが分かった。俺が振り返った瞬間、キノコの大きな口が目の前にあった。
「わぁっ!」
俺は刀ごとリュックをそのキノコの口に突っ込んだ。
アニメであれば、そのリュックを噛んだ怪物が、刀を包む不思議な光が解き放たれ、うめき声をあげて地面を転がる場面となるのだが、転がったのは俺の方だった。
右手にハンマーで叩かれたような衝撃が走った。
「ぐはっ!」
俺の手首が怪物に食われ、そこから血が勢いよく噴き出した。痛みというよりも焼かれたような、今まで味わったことの無いような痺れが走った。
そう言えば、学園の授業で、人間の脳は自動的に痛みを遮断するような仕組みを持っていると習ったことがある。その究極が失神だ。
「食われた!」
手首が切断された先の血しぶきは俺の顔を躊躇無く赤く塗った。鼻の奥に本能的に避けたくなる嫌な空気がどんどんと流れ込んでくる。
(死ぬときって痛みよりも臭いなんだ……あの子たちも俺の次に食べられちゃうのかな……助けられたらよかったんだけど……無理みたいだ)
「あらあら見ていられませんね、こんな低級の雑霊獣にやられちゃうなんて」
少し鼻に抜けたような甘い女の子の声が聞こえてきた。
「助けてもいいけれど、私たちの決まりで無償の奉仕は禁じられているの」
(この女、何を言っていやがる)
地面に倒れたままの俺からは声の主の姿を見ることができない。
(有償なら好きにすればいいじゃねぇか)
弱者の強がりと分かっていたが、俺はそう思わずにはいられなかった。あの変なキノコの奴がガサガサと音を立てて近付いてくる。
「ほんと、私に選ばせてくれるのね、それなら契約よ、一回だけ『捧げる』と言って」
「さ……捧げ……る」
「ご契約者のお名前は?」
「サイキ……シンタ」
「シンタ様、ありがとうございます、無事に契約成立です」
気を失いそうな俺の体が地面から浮き上がり、食いちぎられた右手が真綿に包まれた感覚に包まれた。
(どうなってんだ)
霧が風で流れるように痛みが全身から消えていった。そして、ぼやけていた視界が晴れ、表情を硬くしたキノコの化け物が体勢を低くしながらこちらの様子をうかがっているのが見えてきた。
俺の右手が光に包まれている。
と言うか……
「俺の右手、刀になっちゃっているんですけどぉー!」
「はい、お言葉に甘えてシンタ様の右腕、肩から先をすべて頂戴いたしました。」
僕の後ろから声が聞こえた。
「ええーっ!」
俺が自分の腕をよく見ようと勢いよく右腕を持ち上げた瞬間、道の傍らに生えていた大木を切断し、地面がえぐれ、土埃が高く舞い上がった。
「扱いにお気を付けくださいね、まだ憑依、融合したばかりですので行き場の無い力が暴走しやすいです」
黒く長い髪の結び目に銀色の小さな鈴をつけた巫女装束姿の俺と同じくらいの年の女子が微笑んでいる。あまりの整った顔立ちに人間のような感じは受けなかった。
ただ、その体は透けていて、背景がうっすらと見えている。
「え、映像ですか?」
「いえ」
「に、人形ですか?」
「いえ」
「もしかしてあいつと同じ妖怪とか化け物ですか?」
「いえ、でもこんなお話をしていていいのですかシンタ様……首をもぎ取られますよ」
少し、首をかしげぎみにしてその子は笑った。
俺がその顔にあと一秒見とれ避けていなかったら、キノコの化け物は俺の首の頸動脈ごと食いちぎっていただろう。
キノコの化け物の激しい息づかいが耳のすぐ横で通り過ぎた。
俺は、右腕を大きく何回も振ったが、そのキノコの化け物は、器用に避けながら俺に向かって来る。その度に辺りの土や草、木などは薄紙のように手応えも無く切れていく。
その子は手助けすることも無く、スポーツ番組を視聴しているかのごとく、俺の戦いを楽しそうに見ている。
「そんなに大振りしたって切れませんよ、谷川の瀬々を流るる栃がらも実を棄ててこそ浮ぶ瀬もあれ……そのような歌を歌っていた剣士さんもいましたよ」
「それどういう意味?」
「ほら、シンタ様が本当に本気にならないと、向こうで怯えている子供たちも殺されちゃいますよ」
すっかり忘れていた。俺が負けると俺が食われるだけじゃなく、あの子たちも食われちゃうんだ。
「逃げながら腕を振らないで、その場で地面に片膝をついて地面から空に振り上げるように、機会は一度だけ、失敗したら終わりよ……今回だけは同化したご祝儀として合図してあげるね」
(命を賭けなきゃ、命は救えない……できるだけ奴を引き付けるしかなさそうってことか)
俺は化け物を正面に、片膝を地面に付き自分の動きを止めた。
「ひゃははは!もう疲れて終わりか!随分と楽しませてくれたな!飯もうまくなるぜ」
キノコの化け物はわめきながら俺に向かって一直線に突進してきた。
(五……四……)
彼女の声が頭の中で聞こえてきた。俺は右手に全神経を集中させると、右手を包む白い光がますます強くなり、青みを帯びてきた。
(今!)
俺が右手を振り上げると、キノコの化け物の身体は体液をぶちまきながら斜め方向に二つに切断された。そいつは、体を少しだけ痙攣させるとすぐに息絶えた。
すると、煙とともに残骸が消え、一枚の硬貨へと化け物は姿を変えた。
「お見事です……初めてにしてはですけど、はい、今回の報酬です」
硬貨を拾い上げ、俺へと手渡すその子の姿はもう透けてはいなかった。髪飾りの鈴の音が歩く度にジャンシャンと軽い音を立てている。
(右手!)
銅銭のような硬貨を何気なく受け取る時になって、キノコの化け物に食われ、刀になっていた右腕が元の俺の腕に戻っていたことに気付いた。
「戻っている!」
「いえ、お貸ししているのです、まとめて利息はいただきます」
その子の笑顔は清らかという言葉がとても似合うが、口から出てくる言葉は理解できなかった。
「お前は誰?」
「天狗森からずっとお側にいましたよ、いきなり森の中で私の裸を見たり、さっきの雑霊獣の口に突っ込んだりされた件だけは許していませんけど」
「俺は裸なんて……」
俺は自分が天狗から預かった刀を鞘から抜いている姿を思い出した。
「も、もしかして……」
「あなたの右腕の所有者『兎森丸すずね』です、あっ、『すずね』と呼び捨てでもかまいませんよ、それであなたの右腕の価値が下がるわけでもないので」
高校最初の夏休み、俺は彼女をつくる前に目の前で微笑むかわいい部類とされる女子?の所有物となっていた。