第一話『スタートは天狗森から』
シンタ
『根之国学園』の一年生
駒形十郎
どう見てもシンタには天狗にしか見えない
ハク
シンタの同級生
第一話『スタートは天狗森から』
「何でこんな道を俺は歩いているんだ」
都会では耳にしなくなった蝉しぐれがここではまだ夏の日常であった。
県道から北側にだいぶ離れて延びるこの道は海沿いの地域との往来に使われていた旧街道。
左右から覆いかぶさるように葉を生い茂らせた杉の枝が雑木林に続く砂利道の上に影をつくっている。
昔の旅人はこの木陰に一息ついていたかもしれない。あまり地方には縁のなかった俺でさえも少しだけ歴史というものを感じることが出来た。
夏の日のそんな午後の落ち着いたひと時……ではない。
高校一年にもなる俺は今、完璧なる迷子になっているのだ。遊園地や動物園なら迷子センターなるものがあるのだが、この山間の狭地にそのような便利な施設は存在しない。
スマホは圏外で、ナビアプリの自分の位置はどう見ても山頂というとんでもない所を指している。
幼稚園か保育所のどちらか以来のこのピンチ。悠長に夏の自然に酔いしれている場合ではないのだ。
真夏の潜在能力覚醒合宿『夜間峰行特訓』は一週間、すべてのものに耐え抜く精神力と体力を兼ね備えた人間を育成するという、うちの高校独自の学校行事である。
今、俺が路頭に迷っているのは指定されたポイントで通過証明書と指示書を受け取り、再び指示書に記された謎を解き、次のポイントに向かうという本来であれば楽しいレクリェーションなのだが、そのような生易しいものではない。
それは明朝まで続くと称されているまさしく地獄の授業であり、修行であった。
この塾には全校生徒が強制的に参加させられている。合宿期間中、スマホはもちろん外部連絡できる道具は絵葉書の類も含めすべて没収。持ち物は、校名入りの指定ジャージ、シャツ、下着それぞれ二着、固形石鹸一個、お菓子なし、食事はすべて学校で用意された固形食糧のみ。
宿泊場所は廃寺の境内、宿舎は四人一組のテント。飲料水は湧き水でトイレなどは敷地内の掘られた穴に目隠し用の板がテント側に張られているだけ、三方が笹藪と雑木林を経て急峻な崖へと続いている。
本来であれば、夏休みに入った二日目、水着のお姉さんたちと「キャハハ」「ウフフ」とパステルカラーに染まったビーチで青春を満喫していたかもしれない。いや、そんなことは想像の中だけでうらやましそうに遠目で見ているだけの男子グループの一日なのが現実だが。
もしくはクーラーのきいたドリンクショップでバイトしながらバイト仲間の女子高生と仲良くなれていたかもしれない。いや、むさくるしいおじさんに仕事のミスを怒鳴られているのが現実だが。
しかし、しかしだ、本当の現実、それは、目の前で飛び交っているのはカラフルなビーチボールでも笑顔の可愛い女子高生でもなく。砂利道上を行きかうでかいトノサマバッタだ。
この授業、いや修行で与えられた持ち物はレーションのような携帯食料の詰め合わせがひと箱と国土地理院発行の地図だけ。第一ポイントは細く切った和紙に旧街道沿いにある社の名前が薄い墨で書かれていたのですぐに分かった。
俺はそこで、神職の爺ちゃんから長い祝詞を無理やり聞かされた。これから続く旅の安全を祈願する祝詞らしい。
俺よりも先にスタートした参加者は、ポイントで待っていた先生から既に新たな指示書をもらって次の場所に向かっている。
「おぅい、シンタ、待てよ」
同じ学級のハクが。もらったばかりの和紙を手でヒラヒラ揺らしながら俺を追いかけてきた。肌の色が白いからみんなからあだ名でそう呼ばれている。
「謎は解けたのか?」
「とりあえず、街道沿いの人がいたら聞いてみようと思って歩いていた」
「だよな、こんな記号で何が分かるっていうんだよ」
ハクの持っていた紙にも似たような丸や三角の記号が筆でかかれていた。
「あれ?ハクの持っているやつさ、俺の持ってるやつとなんか違わないか」
「まさか、みんな同じだろ」
俺はアンダーウェアのポケットから和紙を取り出してハクに見せたが、すぐに彼は否定した。
「やっぱり同じだろ、この時代に一枚ずつ手書きだから少し丸とか歪んでいるけどな、それよりもよぉ、エイジが聞いた噂だと、このミッションを明日まで全員がクリアしないと合宿終了日が延長するらしいしな」
「まじか!聞いてないぞ、そんなこと」
「誰だって聞かされていないよ、俺、日曜日から中学の友達とキャンプに行く予定だからよ、困るんだよな」
「でも、午後になっても二つ目のポイントも見付からない、全部で七つあるらしいから……」
道の真ん中で俺たちは二人で頭を抱え込んでしまった。
「シンタ、キャンプには元カノも来るんだ、どうにかしてくれよ」
「できるんだったらやってる、まず、この記号の意味を解読しなきゃ、三角マークは山かな、でも、地図ともずれるんだよな、それに丸だ……意味が分からん」
「そうだ!とりあえず俺はこの丸を団子と考えることにする、これは絶対に団子だ、駅のある方に行ってみる」
ハクの目は暑さと疲れでどこかいっちゃっているように見えた。
「駅ったって、ここから片道二十キロはあるだろ、一日に三本くらいしか止まらないところに店なんてあるのか?旧道沿いにコンビニだってなかったぞ」
「それなら人に聞くまでよ、じゃあな、何か分かったら教えろよ」
後ろから隣の学級の集団が歩いてきたのにハクはすぐに気付いて声を掛けていた。
(さっきのお題も地元の神社の名前が漢字で書かれているだけだった。まぁこの記号だって、道端にいる爺ちゃんや婆ちゃんに聞けば何か分かるかもしれない)
俺は、一人で先に進むことにした。
だが、しかし、人、人が歩いていない。
しまった、この夏の炎天下の下に爺さんや婆さんがノコノコと出てくるわけがない。出てきたところで元々ドライフルーツのようなやせこけた爺ちゃんなんて、ミイラになるような天気だ。それにどこで、どう間違えて曲がってきたのか、途中までは旧街道を歩いていたのは確かなのだが、砂利道が土の道にかわり、道幅は車も通れないほどの幅に狭まってきている。
「さっき、沢があったよな、あの沢がこれだとすると」
地図を穴が開くように見つめていてもナビのように自分のいる位置は点滅しない。
のども乾いていた。
旧街道沿いには、結構、水場があって冷たい湧水を飲むことが出来てはいたが、そんな都合のよい水場はどこにも見当たらない。とりあえず進むのを止め。元の道を引き返してきたはみたが、さらに、どんどんと山の方に入っていっていることに今更ながら気付いた。
「やべぇ、食い物はレーションがあるにしても水分は生命にかかわるぞ」
耳を澄ますと、水の流れるような音が聞こえてきた。
生水は危ないと言われているが、本当に死にそうになったらそんなことは言っていられない。
しかし、腹を壊したら……下痢か……下痢なんてしたら歩くどころじゃねぇ!高校最初の夏休みというのに、今の俺は下痢のことで頭がいっぱいになっている。
進む道が踏まれた痕跡がわずかに残る草の道になった。
「戻ったよね……確か戻ったはずだよね」
それに答える者はいない。あのうるさかったセミの鳴き声さえも聞こえなくなっていた。
俺は『死』という単語をはっきりと脳裏に浮かべながら彷徨い続けた。
「家だ!」
山小屋というにはあまりにも小さな木造の小屋が目に飛び込んできた。小屋のすぐ横には竹製の注ぎ口から清水が涼しげな音をさせて石の受け皿に注がれていた。
俺はフラフラ歩きながらも何とか水場にたどり着き、清水の流れ落ちる真下に口を開け、夢中で飲んだ。
水場の横に建つ西洋の童話に出てくるような小屋の窓には色とりどりのガラスがはめられ、赤い三角屋根には小さくかわいい煙突がのびている。
森の中に突然現れたこのかわいい小屋は、まるでアニメ映画の中に出てくる建物のようであった。
そんな時、何か視線を感じた。
白毛に長い体をした小さな動物が、鼻から伸びる髭をヒクヒクとさせながらじっと俺の方を見つめている。
「イタチ?」
俺が見ていることに気付いた小動物はチッ、チッと鳴き声を上げると小屋の裏側の方に慌てて姿を隠した。
「さて、どなたかな?」
突然、肩越しからしゃがれた低い声で呼び掛けられた。
イタチに気を取られていたため、人が後ろにいたことに俺は全く気付いていなかった。
「だ、黙って、敷地にはいってしまいすいませんでした」
俺は謝りながら後ろを振り向いた瞬間、思わず腰を抜かして地面に後ろ手をついてしまった。
白装束に、黒光りした小さな丸い帽子、腰になんかでかい貝をぶら下げて、持っている杖の先に丸い金属の輪がいっぱい付いている山伏スタイルの身長三メートルはあるくらいの巨人が立っていた。
「謝るほどのことではない、今、ここの家の主は留守でな、時々、こうして山中を散歩がてら見回りに来ているのじゃ、さぁ、立たれよ、坊主」
「は、はい……」
巨人は老人のようであったが、ただの老人ではないことは一目で分かった。
密集した白髭から突き出している鼻が異様にでかいのである。
それに真っ赤な顔。
こいつの顔や姿は見たことがある。日頃、オカルト系に興味がない奴だってその名前くらいは知っているだろう。
(て、天狗じゃねぇか!)
「坊主、何か食い物を持っていないか、何かそんな気がするんじゃが、何か四角い箱のようなモノなんて持ってはおらぬよな」
(気がするんじゃねぇだろ、もう、知ってるじゃねぇか、この天狗、俺の荷物、それもレーションの入っている場所をガン見してるじゃねぇか、透視してんじゃねぇのかよ)
「ど、どうぞ」
「おぉっ!坊ちゃま、よく気がきくのぉ、なんかそんな気がしたのじゃ」
坊主と呼ばれた俺が坊ちゃまに格上げされた。
荷物からレーションを天狗に差し出すと、奪い取るようにして、すぐに包装紙を破り、口の中に放り込んでいた。すべての固形食糧が数秒のうちに天狗の腹の中に消えた。
「少し、口の中がカスカスするが、味の方はなかのものよのぅ、量はわずかじゃが良い腹の足しになったわい」
俺は後ずさりしながら少しずつ小屋から離れている。
「坊ちゃま、そんな離れなくともよい」
天狗が手招きすると、何か強い力に引っ張られたかのようにすぐに目の前まで一瞬で引き寄せられた。
(く、喰われるのか)
「坊ちゃまはどうしてここにたどり着いたんじゃ、ここはな、常世の国の境界線にあるから、普段は普通の人間は来ることのできない場所なのじゃ」
(常世の国……これは一学期に習ったぞ、理想郷もしくは死の国、時代や解釈によってその意味は大きく異なる……ってことは俺はやっぱり死んだのか)
「いや、まだ生きておる、喰うつもりもないから安心しろ、それにわしは『天狗』ではないぞ」
(ぜんぶ心読まれているじゃねぇかよ……ど、どう見ても天狗じゃねえかよ)
天狗は俺に顔を近付け金色の瞳で大きく睨みつけてきた。
「言ったであろう、天狗ではない!」
(あああ、終わりだ)
「名は『駒形十郎』で職業は修験者じゃ、それに怒っているように見えるかもしれんが、怒っているわけではない、説明するのも面倒くさかろうと思って、お前の心を読んでみたのじゃ……ははん、なるほど、そうか、迷子になったのじゃな」
そう言って天狗は豪快に笑った。
「『根之国学園』、お前の通う学校はよく知っておるぞ、わしの昔からの知り合いもそこで今年から教員をしておるわ、まぁこういう時世じゃ、そのような神通力養成の場もこの国にとって一日たりとも捨て置けないことじゃからの」
心を読むって、やっぱ天狗じゃないかよ
先生が天狗の知り合い?
神通力?
捨て置けないことって?
疑問は増していく。
「坊主はなぜ、そこの学校に合格したか不思議に思っておったじゃろ」
坊ちゃまからまたいきなり坊主に戻った。
こんな高校をなぜ選んだのかって?
選んだのではなく、勝手に決められただけだ。
俺が開校一期生になる国立の新設校で、国内の全中学校から究極の公平を謳った無作為のくじ引きで入学生徒男女合わせて二百名が選ばれ、二次試験の面接で半分の百名が合格となる変わった仕組みだった。
学費、寮費その他経費すべて無料、卒業後は、成績の良しあしに関わらず全世界の有名大学に留学を確約されている。親は大賛成、こんなにおいしい話はない。
それで、ちょっと変わった特記事項、『万一にも安心、三十倍びっくりプラン』。いかなる教育活動中の事故等で死亡、身体等欠損するなど将来にわたり重大な障害をもつことに至った場合、保護者もしくはそれに該当する者に、民間他社の通常保障の三十倍の保険金を国庫から一括で支払うこととする。ただし、脱走等、素行不良により退学もしくは行方不明になった場合、その限りではない。
これ、教職員に殺されて口裏合でも合わされたら死に損じゃねぇか、と思って中学の時の担任にその話をしたら「それだけ手厚く保障されているなんて、いたれりつくせりじゃないか、国立だから信用できるよ」なんて見当違いのことを言っていた。
「シンタ、あの学校の詳しいことは中学校でもよく分からないことが多いんだ、ただ、聞いていることは国を挙げての特別な育成カリキュラムが組まれている、でも、二次の面接は難しいって話だから合格のハードルはとても高いぞ、現時点では受かるのは厳しいかな、なんたって一次試験はくじ引きだったからな」
と、中学校の担任にはソフトな表現で無理だと言われた。俺もその時はそう思っていた。
それがなぜか受かってしまったのだ。
大勢の試験官の前で行われた面接試験で聞かれたのはただ一言。
「シンタ君は『魔力の存在』についてどう思いますか?」
俺は随分とくだらないことを聞くんだなと思い、否定的に答えたのだけは何となく覚えている
女子は別の場所にある校舎に登校しているそうなのだが、一学期の間、合同学習はもちろん顔を合わせることはなかった。
今、振り返ればこんなうまい話に疑問を持つべきであった。
そして俺の目の前に天狗がいる。
「聞いておるか?」
「は、はい」
「合格した理由は簡単じゃ、天から与えられたお主のもつ能力じゃ、わしからはまだそれが何かはっきりと見えぬがな……」
そう言いながら、天狗は俺の顔を見てボロボロと涙を流した。
「わしがもう少し若ければ、このような若い男を死にに行かせることはないのに……」
(あれ、『死』って言わなかったか『死』って?何で天狗が泣いているんだ)
「無駄死にになる運命に対し、何もできない自分が情けないわい」
(言ったぁ!それも無駄が付いたぞ、『無駄死に』って、最強の敗北キーワードだろ、それって)
「立ち向かわなければ終わりじゃからの、この小屋の主もその使命のためにあるところまで旅立って行って留守なのじゃ、留守居役はさっきの白イタチよ、それとな……」
天狗は俺の持っているお札を二本の指で挟み、目の前でヒラヒラと動かした。
「ほれ、この札の文字の意味を知りたかろう」
(いつの間に?)
念のため自分のポケットの中の札を指で探ってみたが、やはり入ってはいなかった。
「この三角は国を表す、この二つは首塚じゃ、中の一つは霊廟でその中心の塚は剣塚と先代から呼ばれておる場所じゃが生身の人間はそこに近付くことさえできない、小さい二つはかつて植わっていたイチイと桐の霊木じゃな、今は切り株だけが残っている」
「そ、それならこの丸い記号は?」
「団子じゃ」
(すげぇ、すげぇよハク、あいつ正解してるじゃねぇか)
「しかし、ただの団子ではないぞ、お前たちの下僕となるものたちを使いこなすのに必要な神の団子じゃ、この団子を見付けることがお主の最初の試練じゃな」
「試練……そんなに大変なんですか?」
「当り前じゃ、三角と丸を隔てるこの二重線の意味くらいは、あの学園の者であったらすぐに理解できるじゃろ」
「いえ……」
天狗は俺の返事になぜか身体を硬直させた。
「あの者らは、この程度の知識の者たちをあの世界に送るつもりなのかぁ!山河をこの者らの血で赤く染めよと言うのかぁ!」
天狗が全身を怒りにブルブルと震えると、周囲の樹木が強風にあおられたかのようにザワザワと葉を大きく揺らした。
ただのレクリェーションじゃないのは分かっていたが、血で赤く染めよとか想像以上に物騒な話すぎるだろ。
一人でテンション爆上げの天狗に、話し掛けるのを少しためらったが、そうは言っていられない。何しろ、俺の『夏休み』がかかっているのだ。
「で、さ、十郎さん、その線の意味について教えてもらえるのですか?」
天狗は宙に二本の指で『二』の文字を書くように真横にひいた。
「これじゃ!」
「こ、これですか」
俺は分からなくて天狗の仕草を真似してみた。
「違う、こうじゃなくてこうじゃ!」
「え?何が違うんですか?」
「うぉー!つまり気合じゃ、必要とする気合がなっておらん!」
天狗は何度も宙に線をかき続けている。
「分かりました!あの……みんな待っていると思うので、戻りたいと思います、ありがとうございました」
俺は答えを聞くのをあきらめ頭を下げて、ひとまずこの場所から脱出しようとした。
「そうか!『三途川』を分かってくれたか!さすがじゃな坊主!わしの昔からの知り合いがその近くにいるから、よろしくと伝えておいてくれ」
天狗の知り合い?それって、みんな妖怪の類じゃないのか?
それに……『三途川』ってあの『三途の川』か?渡ったら死んじまうじゃねぇかよ。
「それと……こいつはさっきの食い物の礼じゃ、しばらく坊主に預けておく、用事が済んだらまたこの森に返しに来てくれ、その際の土産は忘るるでないぞ、菓子であるならさっきよりももちっと柔らかいのがいいのぉ……」
天狗の言葉が終わらないうちに、風がゴウと音を立てて俺の身体の中を通り過ぎていったような気がした。
気が付くと、俺は雑木林の、腰のところまである笹藪の中に一人立っていた。あのかわいらしい小屋などはなく、木々に遮られてはいるが、向こうに大きな道が延びているのがわずかに見えた。
(夢……暑さで頭がやられてたのかな……)
ふと、自分の腰の所を見ると日本刀の脇差くらいの長さをした刀が紐でぶら下がっていた。
「何だ?これは」
鞘から引き抜こうとすると少し抵抗がある。俺は、慎重に左手の親指に力を入れ鍔を押し出すようにして刀身を抜いた。
五十センチはあるであろう刀身全体が太陽の光を反射させ、眩いほどに輝いた。
銃砲刀剣類所持等取締法第二十二条
「何人も、業務その他正当な理由による場合を除いては、内閣府令で定めるところにより計った刃体の長さが六センチメートルをこえる刃物を携帯してはならない」
俺はすぐに返さなければと思い、後ろを振り返ったが道はない。
(ここに捨てるか……いや、さっき預けておくと言っていたよな、預けるということは返さなければならないってことじゃないか……まずい、まずすぎるだろ)
俺は、周囲に見ている人がいないかを確認してから、刀を鞘に収めようとすると、刀身自らスルスルと自分から部屋に戻るように鞘におさまっていった。俺は腰の紐を外し、刀を背負っていたリュックの中にしまった。
しかし柄の部分が飛び出してしまっている。そこらへんに生えている枯れ笹や草を引き抜いて隠してみたもののそれは無駄な抵抗に近いカモフラージュであった。
(怪しすぎる、あまりにも怪しすぎる、そうだ、タオルだ、タオルが一本あったはずだ)
何とか柄にタオルを巻いてみたものの、怪しさは隠すことができそうにない、俺はひとまずあきらめ、とりあえず笹藪をかき分けながら、木々の間に覗く道まで戻ることにした。
(あれ?こんな山道だったっけ?)
違和感を感じつつも足元に気を付けながら歩いていると、樹上からコソコソと話し声が聞こえてきた。
枝のからむ頭上を見ていると小さな猿のような生き物が枝を揺らして逃げ隠れしているのが見えた。
「野生の猿なんて初めて見たな」
地方都市からもだいぶ離れた山間のへき地だ、そんな動物がいてもおかしくな……い。
猿だと思っていたのは、ナメクジにカエルの後ろ足が付いている化け物の姿をしていた。
「猿じゃないだろぉ!」
俺の叫び声に驚いたのか、その変な生き物は紫色の液体を口のようなところから吐き散らしながら逃げていった。
(猿じゃないよな……あれ……)
俺は向こうに見える道に出ることだけを考えた。
人が道の向こうから歩いてくる姿が目に飛び込んだ。二人の子供を連れた老人のようだ。
(やった!道を聞けるぞ!)
俺は藪を急いでかき分け、道の真ん中に走り出た。
粗末な服を着た幼児が二人、それぞれ首に荒縄が結ばれ、犬を散歩でもさせているように二本の縄の先を腰の曲がった老人が握りしめていた。
「何じゃ、うぬは?」
幼児は二人とも男女の区別がつかないくらいに身体が泥と垢で汚れていた。
「野盗であったのなら運が悪いの、こいつらはわしの食い物じゃ、邪魔立てをするのなら容赦せぬぞ」
唾を飛ばしわめき散らす老人の顔はどう見てもまともには見えない。幼児たちは俺の顔を見ると、ボロボロと涙をこぼした。
「い、いえ、道に迷っただけで、でも、この子たちなんか困っているようですよ」
「言っても分からぬ奴のようじゃ」
腰の曲がった老人の着ていた服の背の部分が盛り上がっていく。幼児の泣き声がシンクロするように大きくなって聞こえてくる。
「え?」
背が割れ、こけしに似た黒い毛が密集する円筒の上に丸いヌメリのある頭が伸びていく。映像にしたら、絶対に放送できない物にそれはとても似ていた。
「キノコだ……これは新種のキノコだ……だって、ここは山の中だし……名産なんだ、いや、プラナリアだ……理科で習ったもんな」
丸い頭に目が無いことが大きな犬歯のある口を余計に目立たせていた。
「これ……悪夢だろ」
その怪物は背中の大きないちもつを揺らしながら、俺の方に飛びかかってきた。
俺の貴重な夏休みは、どうやら天狗の森から本格的にスタートしたようだ。