8.恋人は、いる?
いい話を聞けた。
サンドイッチを頬張りながら考える。
世の中には、うまくいかない恋愛や結婚があふれている。と思う。
ポーリーンもそう。愛した男が浮気性でうまくいかなかった。
ジョアンもそう。名前を聞き出すことすらできなかった。
言ってみれば、クロードもそうだろう。浮気は自分のせいとは言え、そもそもポーリーンと結婚していなかったら浮気にもならずうまくいっていた、かもしれない。
ベルタとマティアスについては、うまくいった例だ。けれど、これは政略結婚であった。結果、二人は愛し合ったとしてもきっかけは政略。
何だかだんだん楽しくなってきたわ、とポーリーンは紅茶のカップに口づけたままにやりとした。
「お嬢様、ユーゴがおびえています。悪だくみですか」
「え? あぁ、……ごめんなさいね」
ユーゴは手にしたガーゼで、ポーリーンの口元を拭いた。さっきジョアンに拭いてもらったのが嬉しかったのだろう、何でも真似をしたがる年頃のようで。
どこか楽し気に目を緩ませているのを見ると、自然とつられて笑顔になれる。
「ユーゴはまだ小さいから分からないわよね」
「なぁに?」
「好きな女の子がいるとかそういうこと」
「クロエ」
いいこいいこ、とユーゴの髪をかきまわし、ポーリーンは笑った。
午後二時ごろ。テオドールが調査とお使いを終えて戻ってきた。
昼ご飯は食べ損ねたとのことで、残してあったサンドイッチを喜んで受け取ってくれた。
「お駄賃代わりに」
からかうように言うと、テオドールは「嬉しいな」と笑顔を返してくる。
「お嬢様、だめですよ。ちゃんとお礼はお礼として」
「分かっているわよ」
「お構いなく」
「だめですよ、テオドールさん」
封筒に入った何かをぎゅっとテオドールの手に握らせて、ジョアンは怒ったように言った。
「ただ働きなんかしたら、お嬢様に付け込まれますからね!」
「わたくしが悪い人間みたいじゃない?」
「知りません!」
失恋の話を聞いてしまったのが悪かったのか、微妙に機嫌の悪いジョアン。
そもそも恋も始まっていなかったのだからよいじゃないの、と思いながらも、ポーリーンの計画は脳内で着々と形になっていく。
「ねぇ、テオにも聞いてよいかしら」
「何をです?」
「恋人はいる?」
ぶ、とテオドールは食べていたパンを吹き出しかけて、ゆっくりとポーリーンに向き直った。微かに頬が赤いが、何も言わない。
いるともいないとも答えないということは、ジョアンと一緒かしら。
あまり突っ込んで聞けるほど仲が良いというわけでもないので、話題を少しずらすことにした。
「わたくし、良い商いを思いつきましたの」
ポーリーンは、ユーゴを膝に乗せて柔らかな髪の感触を楽しみながら、ゆっくりと話し出した。
「この前、ベルタの結婚式をコーディネートしたでしょう?」
場所は白薔薇の庭園、ということだけ指定されて、あとは好きにしていいと言って貰えた結婚式。自分の結婚式の事など10年も昔のことはよく覚えていないけれど、あの時よりも楽しかった。
小物や花の全てにこだわり、何を提案しても素直に喜んでくれる花嫁の笑顔。
思い返す度に幸せな気持ちになる。……その最後に会ったクロードまで記憶に蘇ってくるのが面倒だけど。
「たくさんの人が来てくださいましたね。素晴らしい式でした」
花嫁の兄であるテオドールも、思い出すように目を細める。言葉少なではあったが、彼にとっても良い式だったのだろうことが分かって幸せな気持ちになる。
「ありがとう、テオ。でね、わたくしとしても、とっても楽しかったのよね。人生で一番幸せな日のプロデュースなんて、最高ではない?」
えぇ、と笑うテオとジョアンに、「でもね」と続ける。
「わたくしは思うのよ、愛し合うふたりの結婚式こそ、一番幸せな式だって」
「お嬢様、それはご自身の経験からの話で……?」
「ん? あぁ、クロードとの結婚式が良くなかったと思ってるか、ということ?」
緊張したような顔で見てくるジョアンに、「違うわ」と笑った。
「わたくしはクロードを愛したし、……でもそうね、結婚式の話で言えば緊張しすぎでよく覚えていない、が正しいかしら。公爵家の人、縁のある人、父の太い取引先、若いわたくしの友人は端においやられてしまっていたから、そういう意味では自分たちのための結婚式という感じはしなかったわ」
話しながら、さらに頭の中が整理されていく。
「愛し合うふたりのための結婚式を、お金をかけなくても心が満たされる結婚式を挙げたいわ」
「!?」
びくっとしてテオが手に持っていたカップを取り落としそうになったのが見えた。驚きに見開かれた目でポーリーンを見つめている。
あぁ、誤解をさせたかしら。
「そういう式をコーディネートしたいわ、ということよ」
「お、驚かさないでください、お嬢様。ジョアンはまた、再婚でもされるおつもりかと」
「別れたばかりでそれはないわ」
「……そう、ですよね」
複雑な表情を浮かべているテオに、ポーリーンは笑いかける。
「でね、それには足りないものがあるの」
「なんです?」
「愛し合う夫婦になる男女よ」
きょとん、とした顔でポーリーンを見つめるふたり。
あら? これはこれでお似合いのふたりかしら?