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7.賢い子供と、侍女の恋

 いい考えが浮かぶと仕事がはかどるもので。

 新しい構想を広げる時間を確保するために、と目の前にある仕事に没頭していたポーリーンは、視線を感じてふと手を止めた。

 顔を上げると、ユーゴがベッドから起きだして、じっとポーリーンが引く図面を覗き込んでいた。

「ユーゴ、おはよう」

「おはよ。……これ、昨日のお店?」

「!」

 あれだけの滞在しかしていなかったのに、ユーゴは平面に描かれた図だけで店の内装であると分かったようだった。短時間で、しかも他の部屋へ入ることもなかったのに。ドアの配置と部屋の形だけで?

 びっくりして何度も頷くと、ユーゴは「じょうずー」とまだ眠気の残る声で言い、部屋を出て行った。まだ幼いユーゴが見せた記憶力と観察眼に、無限の可能性すら感じる。

 そして、賢い子だからこそ、名前を隠したり出自を隠したり、ということに思い至るのだと思うと切ない気持ちになる。どうしても守ってやりたい気持ちになってしまうのは、仕方がないことだ。


 開け放たれたドアからユーゴと入れ替わりに入ってきたジョアンは、クロエをあやしながらニコニコしている。

「一段落したようであれば、お昼の用意をしますよ」

「あら、もうそんな時間? テオは帰ってくるのかしら」

 一緒にお昼を食べるのかどうか、という意味で口にした言葉に、ジョアンはふふふと笑った。

「どうですかね? 待ち遠しいです?」

「何を言っているの……。まぁいいわ、もしお腹を空かせて帰ってきたら何か作ってあげて。わたくしたちは先にいただきましょう。ユーゴの食べたいものは何かしら」


 予定よりだいぶ早く仕上がった図面をくるくる巻いて留め、だるく感じる腕をさすっていると、ユーゴがひょこっと顔を出した。

「おしごと、終わった?」

「えぇ。ご飯にしましょうね、ジョアンが何でも作ってくれるわ」

 ユーゴはその言葉に、嬉しそうに笑みを浮かべて、はにかむように頷いた。

 遠慮がちなその仕草が可愛らしくて、ポーリーンはこの子たちのためなら何でもできてしまうような気がするのだった。


 手を繋いでキッチンへと向かう途中、ユーゴが小さな声で「ごはん何かな」と呟く。

「何が食べたい?」

 ポーリーンの問いに、ユーゴは困ったように眉を寄せる。

「わからない」

「好きな食べ物は?」

「……わからない」

 好きも嫌いもおいしいもまずいも感じる余裕もなく、今まで来たのかもしれないと。

 手の甲で乱暴に熱くなった目頭をぬぐって、精一杯の明るい声で言った。

「じゃ、たくさん食べて、好きなもの探しましょうね!」

「みんな、ごはんできましたよー!」

 ポーリーンの言葉とジョアンの声に、ユーゴは瞳をきらりとさせて「うん!」と頷いた。


 テーブル狭しと並べられた、サンドイッチにパンケーキ、フルーツにチーズ。三人では食べ切れないんじゃないかと思われる量に、ポーリーンは苦笑した。

「これは、何としてでもテオに帰ってきてもらわないといけないわね」

「さぁ、ユーゴ! 好きなものを好きなだけ食べてね!」

 目の前のたくさんの食べ物を見つめたまま固まっていたユーゴは、ジョアンの声にびっくりしたように慌てて頷いた。渡されたナップで手を拭いて、おずおずと一番近くにあったクリームサンドを手に取り、一口かじった。

 黙ったままのユーゴの頬がだんだん薔薇色に染まり、おいしい、と小さい声で漏らしてぱくぱくとリズムよく食べ始める。

 その様子にほっとして、ポーリーンとジョアンも席に着いた。


「――そうだ、ジョアンに聞きたいことがあったのよ」

「何でしょう」

「あなた、恋人はいないの?」

「は!?」

 ユーゴの頬のクリームをぬぐっていたナフキンを思わず落とし、ジョアンは大きな声を上げた。

「な、な、」

「何をそんなに驚くことがあるのよ。あなた、わたくしと同い年でしょう」

「……」

「なぜ睨むの」

「……お嬢様のせいです」

「え?」

「お嬢様が! 公爵様の家を飛び出したりするから!」


 じっとポーリーンの顔を睨みつけ、ジョアンは頬を膨らませる。

「わたしにだって好きな人くらいいたんです! いたんですよ!」

「お、おちついてジョアン」

「公爵家に出入りしていた配達の人……もう二度と会うことなんてないんです……だって今公爵家にいないから……名前も知らない……」

「始まってすらいなかったのね」

「っ!!」

 きっ、ときつい視線を向けられて、失言だったと口をつぐむ。

 けれど、そうか。そうだったのか。悪いことをしたかもしれない? ジョアンの恋路を邪魔してしまったのは確かの様で。というより、ジョアンがそう思っているのが確かな様で、が正しいか。

「なるほどね。うん、なるほど」

「何なんですか」

「ジョアンは良い子よ、とっても」

「もうすぐ30ですよ、良い子って何ですか」

「配達の人ってあれよね、午後の人よね? あの人、わたくしも名前は知らないけれど、30代半ばくらいではない?」

 何度か見たことがある、食料や日用品を配達してくれる小売り店の男性を思い浮かべる。童顔だが背が高く、健康的に日に焼けた笑顔の人。

「あーそうですね! 30代半ばですね! もうお会いすることもないですけど!」

「何を怒っているのよ」

「知りません!」

 やけになって、ユーゴのお皿にどんどん盛り付けていくジョアンに、ユーゴは目をぱちぱちする。


 八つ当たりしてしまうほど、気にかかっていたのね。なるほどね。

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