6. テオ、子供を手懐ける
「でも」
テオドールは姿勢を低くして、ポーリーンに顔をうずめるユーゴに優しく声をかけた。
「ここにずっといるのは、難しいかもしれない」
「……どうして」
「ポーリーン様、……ポーリーンが、人攫いだと思われて捕まったら嫌だろう?」
じっと自分を見つめてくるユーゴの視線を正面から受けて、真摯な態度で諭すように話す。これは、弟妹がいるからこそ身についているものかもしれない、と少し感心した。
「ひとさらい……」
「きみたちがどこから来たのか分からないから。今は、『保護』という形をとるしかない。保護って分かる?」
首を振るユーゴ。
「守る、ということだよ」
そう言って優しい顔をしたテオドールに、ひどく頼もしさを感じた。
年下なのに、クロードよりも爵位が下であるのに、ずっと大人びて感じる。
「大丈夫。私に任せて。私とポーリーン様、……ポーリーンが」
「呼び捨てに慣れないんですのね」
含み笑いでそう訊くと、彼は恥ずかしそうに目元を赤らめて「すみません」と口を手で覆った。
こんな顔をするときには、少年のようにすら思えるのに。
「ユーゴ、テオの言う通りよ。わたくしと、テオが守るわ」
わざと「テオが」を少し強調して言うと、テオドールは力強く頷いた。
「だから、ちゃんと話せるところは話してほしい。私達は味方だから。味方は、たくさん話し合って協力すべきだと思わないかい?」
テオドールがゆっくりとそう言うと、ユーゴは少し迷ったあと、決心したようにこくりと頷いた。
「――帰りたくないんだ」
「うん」
「ぼくも、クロエも、あそこにはいたくない」
焦っていろいろ聞き出すのは無理だと思われた。一言一言を口にするたびに、ユーゴの体は震える。しっかりとポーリーンにしがみつく痩せた背中を、テオドールはゆっくりと撫でた。
「無理はしなくていい。だって、きみはまだ子供だから。子供は、大人に頼るものだからね」
無理に話せって言ってるんじゃないんだよ、と言われると、ユーゴは安心したようで身体から力を抜いた。
張り詰めていたものが切れたように、すぐにくぅくぅと寝息を立て始めたユーゴの身体を抱き上げると、その軽さに驚いた。抱くのを代わる、と手を伸ばしてきたテオドールに首を振り、起こさないようにと静かにベッドへ運んだ。
「昨日の夜も、あまり眠れなかったようなの」
ポーリーンは気付いていた。
一緒にベッドに入っても、もぞもぞとずっと身体を動かしていたことに。
テオドールはポーリーンの言葉に頷いて、ユーゴにそっとケットを掛けた。
「赤ちゃんも守って、この子は強いです」
ユーゴを慈しむような目で見つめていたテオドールは、はっと気付いたように立ち上がった。
「ポーリーン様」
「ポーリーン、よ」
「……ポーリーン、お仕事があったのでは?」
「あ」
そう言えばそうだった。子供とクロードのどたばたでうっかりしていた。
「私にお手伝いできることはありますか?」
「テオは、父に頼まれて子供についての調査に来てくれたのでしょう?」
自分の仕事の手伝いまでさせるわけにはいかない、と首を振ると、テオドールは少し考えて答えた。
「この後、また外に行く予定です。お使いがあればついでにしてまいります」
ついでに、と言ってもらえると断れない。
父に渡してほしい図面を数枚と、花とお菓子の注文書をそれぞれ、手紙の投函もお願いするとジョアンがびっくりしたように制してきた。
「ついでって量ではありませんよ、お嬢様!」
「そう?」
遠慮なく頼みすぎてしまったか、とテオドールを見ると、なぜか嬉しそうに「大丈夫です」と引き受けてくれた。
「テオドールさん、お嬢様はちょっと図々しいところがおありなので、嫌なら断ってくださってもいいんですよ? わたしが後で行きますから、」
失礼な言い分にも、テオドールは笑って首を振る。
「ジョアン、ありがとう。でもあなたは子供が起きたときにおやつを出してあげるっていう大事なお仕事があるから。これは私が『ついでに』やってくるよ」
荷物を受け取ると、テオドールは丁寧に一礼した。
「それでは、行ってまいります。またご報告のためにお邪魔しますが」
「お気をつけて」
笑顔で送り出すと、テオドールは肩越しにもう一度会釈して、軽い足取りで出て行った。
「お嬢様」
「なぁに?」
「仮にも、侯爵様ですよ」
「そうね」
「お嬢様はもう、公爵夫人ではないんですよ」
「そうよね」
分かってらっしゃるのかどうか、と肩をすくめるジョアンに苦笑いを返して、ポーリーンは大きな作業台に向かった。
ユーゴを寝かしているベッドが良く見える位置に置かれた作業台に、図面を広げてノートも広げ、新店舗レイアウトの導線を引き、細かい配置の調整をしていく。
この作業も、嫌いではないし楽しくはある。けれど、やはり友人の結婚式の企画をした時が一番楽しかった、とポーリーンは思う。
豪華ではないけれど華やかで、親しみやすく、招待する方もされる方も気兼ねなく、……とはいえ、ポーリーンが今まで見てきた夫婦は貴族が多く、格式や伝統や体裁を重視した結婚式ばかりだった。ベルタの結婚式を自由に企画させてもらえたのは、ひとえにマティアスとベルタの人柄によるものだっただろう。
ふと、いい考えが浮かんだ気がした。