5.テオからの、報告
「狭くてごめんなさいね」
奥の部屋に通してソファを勧めると、テオドールは困ったように首を振り、
「突然お伺いしてすみません」
と頭を下げた。
「テオドール様、」
「テオ、とお呼びください」
いささか固い表情で、テオドールはそう言った。
「ま、街中では様付けであると目立ちますので」
「――そうですか? では、わたくしのこともポーリーンと。……もう公爵夫人でもない、ただの商人ですから、様など不要です」
テオドールはポーリーンの言葉に、どことなく切ない顔で「はい」と呟いた。
そもそも、ポーリーンは公爵夫人であったときには、爵位が下で且つ年下の者に対しては常に呼び捨てであった。公爵夫人としての威厳を損なわないため、である。
ただ、今はもう公爵夫人ではない。父親が貴族ですらないこの状況では、貴族であるテオドールを呼び捨てにするなど考えられないことではあった。
(でも、確かに街中では目立つわね)
クロードは公爵であるし、ここは公爵領。オクレール公爵様と呼ぶことに何の違和感もない。が、テオドールは今のこの状況の調査などをしてくれるのだろうし、この町ではそれほど顔も知られていないだろうし。目立たないで済むに越したことはない。
「ポーリーン……」
なぜか名前を口にして、テオドールは耳を赤らめて俯いた。照れられると、つられて照れてしまうのだけど。
「あ、あの、テオ?」
「――これをお持ちしました」
気を取り直したように、彼は持ってきた袋から小さな帽子を取り出した。
ユーゴにちょうどいい大きさのそれを手の中でくるりと回して、ドアの陰から見ているユーゴを手招きする。
「被ってみて」
子供を見つめるテオドールの目は優しい。
警戒しながら近づいてきたユーゴの頭に帽子をポンと乗せると、それはぴったりとユーゴの丸い頭におさまった。
「これがあれば、多少外を歩いても大丈夫でしょう」
「ありがとう、テオ。……この子たちのこと、父から聞きました?」
「はい、ある程度は。それから、しなければならないことも指示されてきました」
一商人である父が、貴族の嫡男に指示、とは。
「テオ? わたくしの父とはどういう繋がりですの?」
「それは、……時期が来たらお話しいたします。私はポーリーン様……ポーリーンの敵ではないですし、あの子たちの敵になるつもりもありません」
当然、テオドールのことを疑うつもりはない。けれど、今まで父の口からテオドールのこと、ホイットモー侯爵家のことを聞いたことがなく、ポーリーン自身ホイットモー家と繋がりができたのはつい最近のことだ。
何となく気にはかかるが、今はテオドールの手を取るしかない。動ける人手が欲しいのだ。
ジョアンの用意したお茶を一口飲むと、テオドールは皮表紙の手帳を取り出してゆっくり話し出した。
「まず、朝一で役所に行ってきました。探し人情報は、掲示されているものと未掲示のもの含めて、4~7歳の男の子はなし。乳児もなし」
「そう……」
人がいなくなったときには、まず役所に届ける。それが一番確実で早く、信頼できる筋だからだ。捜査員も常駐しているし、すべての情報は役所に集まる。
とはいえ、今回ポーリーンは二人を保護していることを役所に届けていないわけだけれど。
「子供がいなくなっても届けないということは、」
「いなくなったことに気付いていないか、出生届が出されていないから届けられないか、……」
子供に聞かせていい話なのかを確認するように、ポーリーンの目を見つめる。
大丈夫、と頷くと、少し低めた声でテオドールは続けた。
「捨て子、の線も考えられます」
はっとしてポーリーンは身を固くした。
テオドールは帽子を脱いだり被ったりしているユーゴを見つめて、「でも、」と続けた。
「この子たちを保護されたのが昨日。で、まだ丸一日も経っていない状況です。だから、情報が届いていないだけということも十分に考えられるので」
「そう、よね」
「とにかく、今言えることは、探されていないのであれば、まだここにいてもらっても問題ないということかと」
「! そうよね!」
子供がいなくなって探しているかわいそうな親がいるのであれば、その親元に返してあげないといけない。
けれど、家のことを語ることも名前を口にすることもないユーゴを、そしてまだ一人でご飯を食べることも歩くことも出来ないクロエを探している親がいないのであれば。探すこともしないような親なのであれば、まだ手元に置いておいてもいいのではないか。
手元に置きたい、と思ってしまうのはやはり名前を付けて情が移ったということだろうか。
「本来であれば、役所に引き渡す必要があると思いますが」
テオドールは、ポーリーンを安心させるように微かに表情をやわらげた。
「どちらにしても、役所側でも受け入れ体制が整うのには時間がかかるかと思います。……ここで一時的に保護することが、すぐに問題になることはないかと」
ユーゴは、二人の会話をじっと聞いていた。
痩せた指をできつく帽子を握り締めて、「ぼく、」と小さな声を出した。
テオドールは少年の言葉を遮らないように、黙って静かに待った。
どうしたの、と聞きそうになったポーリーンは、彼の様子に倣って言葉を飲み込んだ。
「ここにいたい」
微かな声でそう言い、ここに来て初めてユーゴはぽとりと大粒の涙をこぼした。
思わずポーリーンがユーゴを引き寄せると、彼の痩せた身体は力なく胸に倒れこんできて、声を殺して泣く様子に締め付けられる。