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4.協力者、来る

 「いない」ではなく「しらない」と少年は言った。

 赤ちゃんのほうを見ると、少年はさらに続けた。

「このこのおかあさんも、もういない」

「え? あなたの弟か妹ではないの?」

「女の子だってことは知ってるけど」

 少年が指を伸ばすと、赤ちゃんはその指を小さな手で強く握る。


「ねえ、ぼく? どこから来たのかわかるかな?」

「……わからない」


 わからない、という表情ではなかった。話したくない、とそのきつく寄った眉間の皴が物語っている。

 汚れた衣服に痩せた身体。触れれば折れてしまいそうなほどに張り詰めて見える気持ちまで、見ているほうが切なくなる。

「ジョアン、わたくし思うのだけれど」

「嫌な予感しかしませんが、ジョアンはお嬢様の意見を遮れません」

「ありがとう。あのね、とりあえずお父様に相談しましょう。それで、秘密裏にこの子たちを探している人がいないかを探ってもらうの」

「秘密裏に」


 思わず二人とも声を潜める。

 少年は「探す」に反応して身体を固くしたが、ポーリーンがそっと肩を撫でると少しずつ緊張が解けていく。


「探したところで、見つからなかったら役所に行きましょう」

「行ってどうするんです」

「見つかったら、どんな人が保護者なのかをさらに調べて、あまり評判がよくないようであれば、」


 じっとポーリーンを見つめる視線は、すがるような光を帯びている。

 これはもう乗り掛かった船だ、としか思えなかった。

 幸い、と言っていいのかどうかはわからないが、今はポーリーンはとても身軽な状態で。自分のことは自分で決められる、収入もそこそこ確保出来る、頼れる父も健在で、となれば。


「そうしたら、わたくしのものにします」

「驚きませんよ、ジョアンは」


 呆れたようなため息をつきながらも、ジョアンの目は優しい。

「付き合わせて申し訳ないけれど」

「申し訳ない顔をしていらっしゃいませんよ、お嬢様」


 そうと決まれば、とポーリーンは考える。


「いつまでも、少年、赤ちゃん、じゃ呼びにくいわよね」

「いくらなんでも、名前くらいあるでしょうけれど」

「では、ここにいる間だけ」


 少年の瞳は、澄んだ淡い青色をしている。

「ユーゴ」

 ポーリーンが呟くと、少年の目がきらりと煌めく。

「ユーゴにしましょう。魂の美しい人、という意味です」


 利発そうな顔をしている、幼く弱いものを守る力と勇気を持つ少年に。

 彼は、噛み締めるように「ユーゴ」と口にし、目に涙を浮かべた。

「では、こちらのお姫様は?」

「ユーゴ、あなたが決めてあげる?」


 驚いたようにユーゴはポーリーンを見上げたが、すぐに赤ちゃんに目を移す。

 優しく細められた目は慈しみの気持ちに満ちて姫を映していた。


「クロエ」

「素敵ね、……本当に素敵」


 クロエ。若い緑を現す名前。

 オリーブ色をした赤ちゃんの瞳によく似合う名前だ。

 

 名前を付けるということは、その子の一生に責任を持つということでもある。

 たとえ一時的なものであったとしても、ポーリーンは胸を熱くする。


「ジョアン」

「はい」

「お父様に連絡を」

 動くなら早いほうがいい。

 


 お風呂できれいに磨き上げると、クロエもユーゴもとても美しい子供だった。

 陶磁器のように白い肌、プラチナブロンドに近い柔らかな髪。血の繋がった兄妹ではないようだったが、二人は片時も離れるのを嫌がった。


 ジョアンは父に連絡を取り、協力を要請してくれた。帰りに子供のための洋服や調乳用品等を買い揃え、「自分の子でもお嬢様の子でもないのに」とぶつぶつ言いながらも楽しそうに面倒を見てくれる。

 ユーゴは、緊張は徐々に解けているようではあったけれど、瞳の奥の怯えはまだ癒えないようであった。どのように暮らしてきたのかを訊くのは酷というものかもしれない。自然と話せるようになるまでどのくらいかかるか。入浴時に見た背中には無数の傷があり、思わず息をのむほどだった。


 夜は、ポーリーンの部屋で一緒に寝た。客間を与えようとしたが、ポーリーンの後をついてきて出ていかなかったからだ。小さな少年から延ばされる手を拒否することは出来ず、一緒のベッドで寝ることになった。




 翌朝。

 朝食が終わって一息ついた頃合いに、玄関ベルが鳴った。

 びくっと身体を震わせるユーゴを一度抱きしめて、「ここにいて」と囁き恐る恐るドアを開けると、長身の男性が一人で立っていた。

「ポーリーン様、ご無沙汰しております」

「テオドール様!?」


 先日、ポーリーンが友人ベルタの結婚式を企画した際、ベルタの屋敷に滞在させてもらっていた。浮気性の旦那から身を隠すため、と結婚式の準備のためという理由をつけて、隠れていたのだ。

 こうして会うのは、その時以来だ。テオドール=フォン=ホイットモー侯爵。ベルタの長兄である。


「テオドール様、どうしてここに……」

「ポーリーン様のお父上から要請を受けまして」


 精悍な顔つきで、ポーリーンを見つめる。真面目と誠実を絵に描いたような青年は、硬い表情で一礼した。


(お父様も、どうしてテオドール様に……?)


 どうしても自分の父親とテオドールの関係性が見えてこない。

 けれど、こうしてテオドールがやってきたということは、彼の言う通り父の要請であるのだろう。


「と、とりあえず中へいらして」

「失礼いたします」


 丁寧に頭を下げ、テオドールは家の中へと視線を巡らせた。そして、ドアの陰から心配そうにこちらをうかがっているユーゴに気付くと、微かに優しく目を細めて小さく会釈した。


「おはようございます」

「!」


 テオドールからの挨拶に、ユーゴはびっくりして陰に隠れてしまった。

 ユーゴの様子を見て微笑ましげに柔らかい笑みを浮かべるテオドールに、ポーリーンの緊張も少し解けた気がした。

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