29.それから、のこと
「だいたい、勝手なんだよほんとにみんな何なの!」
テオドールの退院後、また実家から逃げてきたというリュカが店のカウンターを叩きながらジュースを音を立ててすすり、嘆いていた。
「ヴァルター兄さんだって、死ぬよ? いい? テオドール兄さんがやっていた仕事って、普通なら3人くらい必要だからね? 普通に時間が足りないんだよ、フル回転でも全然間に合わないの!」
「リュカ、手伝わなくてよいの?」
「あーあー、ポーリーンさんがそれ言う? 言っちゃう? 元はと言えば、」
「リュカ」
テオドールに低い声で呼ばれ、びくっとしてリュカは言葉を切り、ポーリーンに目だけで謝った。
ホイットモー侯爵家の嫡男であるテオドールが廃嫡を希望し、父である侯爵がそれを受け入れたという。
ポーリーンがそれを知ったのは、すでに侯爵とテオドールの間で話がついてしまった後であり、廃嫡は当然ポーリーンの希望した事態ではない。まったくそんなことになるなんて、思っていなかった。
思っていなかった、けれど内心ではほっとしていたことは事実だった。
公爵と離婚して侯爵の妻となるということは、通常ありえないことだ。テオドールに、身分の高い者の妻を略奪した侯爵家嫡男という汚名を着せるのは当然本意ではなく、かといって「だからお別れよ」というわけにもいかない。
もう、あっさりとテオドールを手放してあげられない。こんなに強い気持ちを抱くようになるとは、思わなかった。
ポーリーン自身は、どんな悪女のレッテルを貼られようとかまわなかった。でも、テオドールが侯爵となったときに、その悪名高い妻がいるということは、確実にプラスには働かない。だからといって、廃嫡、なんて侯爵に申し訳ない。友人であるベルタも、驚いていることだろう。
「ヴァルターには悪いことをしたと思っている」
「はいはい出ました、全然悪いと思っていない顔! あのね、僕はずっとテオドール兄さんのことを見てきてるんだからね? わかるんだからね? ずっとずっと大好きだったポーリーンさんをようやく手に入れて、もう他のことなんかどうでもいいって顔してるからね?!」
リュカに言われ、心外だという様にテオドールは片眉を上げた。
「どうでもよくはない。ユーゴとクロエを立派に育てることも考えている」
「ま、だ! ま、だ、あの子たちはポーリーンさんの子供! 兄さんはまだ、よそのお兄さん!」
大声を出すリュカに、ユーゴが心配そうな顔で近付いてくる。リュカはじっとユーゴを見つめて、それからぎゅっと抱きしめた。
「あーもうかわいいなー! あ、そうだ、うちに来ない? ユーゴ、兄さんの代わりにうちを継ぎなよ」
「駄目だぞ、リュカくん。ユーゴはゴドルフィン商会の跡継ぎだぞ」
「ゴドルフィンさん、商売は自分の代で畳むって言ってたじゃん! あ、じゃあそっちを僕が継ぐよ」
「そうかね? それでもいいな、クロエを嫁にもらってくれるか、リュカくん」
「クロエはまだ0歳よ、お父さん!」
楽しそうにああでもないこうでもないとじゃれあっている家族を見ながら、ポーリーンとテオドールは顔を見合わせて笑った。
家族が増えた。繋がりが深く、太くなった。華やかだったけれど、いつもどこか寂しかった以前の生活とは違う。
いろいろな人に迷惑をかけた。その分、この先でたくさん恩返しをしていこう。一生かけて。
< 了 >
ありがとうございました!
本編完結です。
後日談とアーニャの後編も、引き続きよろしくお願いします。
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羊蹄




