3.迎えに来たよ、なんて
顔を拭いて真新しい服に着替えた少年は、見違えるように綺麗になった。人形用の服は見た目は良いが肌触りがあまり良くないので、赤ちゃんに着せるのは可哀想、ということで赤ちゃんは籠のベビーベッドに入れたままで運ぶ事にした。
あまり周りを警戒しながら歩くと、逆に目立つ。ポーリーンは少年の手を引きながら、逸る気持ちを抑えながら、意識してゆっくりと歩いて家路に就いた。
帰宅すると、ほっと息をついて少年から手を離した。彼は初めて入る家に緊張しているのか、ポーリーンのスカートをぎゅっと握りしめ直した。
「お帰りなさいませ、おじょ、……?」
びっくりした顔で固まったジョアンに、苦笑いを返して、
「部屋で説明するわ」
と言った瞬間、
「よし、聞こう」
後ろから掛けられた声に、ゆっくり振り返ると満面の笑みを浮かべた背の高い美丈夫。
「クロ、……オクレール公爵様!?」
「応接は奥かな?」
「ちょ、勝手に入らないでくださいませ! お嬢様、固まってないで止めてください!」
ポーリーン達を押しのけてどんどん奥へ入っていく広い背中。ざわざわと気持ちが落ち着かず、思わず立ちすくんでしまう。
まさか、どうして、クロードが直接こんなところに?
忙しいはずなのに、出ていった自分に会いに?
どくどくうるさい胸の音に戸惑っていると、ちょん、と袖を引かれて我に返った。少年の不安げな瞳が、ポーリーンを見上げている。
「あ、……行きましょうか」
笑顔を作ると、少年の表情が和らぐ。籠の中から、「あっあぅ」と小さな声がして、二人で少し微笑みあった。
応接室、と言うにはいささか質素な奥の部屋で、公爵はにこにこと寛いでいた。そばでジョアンがハラハラしながら弱っている。
ポーリーンたちが部屋に入ると、クロードは両手を広げて歓迎を表した。
「会いたかったよ、ポーリーン」
「何しにいらしたんですか」
意識して冷たい声を投げるが、公爵は意に介さないように壁にもたれた。
「妻を迎えに、ね」
「ジョアン、公爵様がお帰りよ」
「はい、お嬢様」
「待って待って待って」
逃げるように部屋のさらに奥へと進み、公爵はソファに腰かける。「それより、」と慌てて話を変えるように少年とポーリーンの腕の中の籠を指さした。
「それ、……いや、その子たちは?」
びくりと身体を震わせる少年をクロードから庇うように、ポーリーンは自分の後ろへと隠した。
「指さすのはやめてくださる?」
「すまない」
傲慢、とまではいかないが、生まれついての貴族の嫡男であるクロードが簡単に「すまない」と口にするなんて、とポーリーンは顔には出さずに驚いていた。
もしかして、ポーリーンが家を出た事で多少なりとも心境の変化があったのだろうか。
まぁ、変化があったところでたかが知れている、と思い直してクロードを見つめた。
まだこの子達をどう扱うかは決めていない。即答も出来ない。クロードに頼ればすぐに良い方法を見つけてくれるだろうけれど、ここで頼るのも、……。
迷うポーリーンの顔を見つめて黙っていたクロードは、ふと寂しそうな笑顔を浮かべて「ん!」と頷いた。
部屋の入口にいるポーリーンの頬を一瞬撫でて、クロードは背中越しに手を振りながら出ていった。
「助けが必要なら、声をかけて。いつでも待ってる」
「ちょ、クロード?」
ここはオクレール公爵領の中心地からはだいぶ離れている。もちろん、オクレール邸からも相当の距離がある。
去っていく背中を見送りながら、ほんとに何しに来たのかしら、と独りごちたポーリーンにジョアンが慌てて手紙を差し出してきた。
「お嬢様、これ」
「……今朝受け取った手紙?」
ジョアンによって開封済みの封筒から手紙を取り出すと、毎年夫婦同伴で行くことになっている王室主催の夜会への誘いだった。
「これって、……明後日ね」
これの話をしに来たのか、と納得がいった。けれど、クロードは夜会の話を一言もせずに帰って行った。
去り際の寂しそうな笑顔が脳裏を過ったが、そっと手紙を封筒に戻してひとつ息をついた。
「どうなさるんです?」
「……今は、それどころではないわね」
ちら、と少年と赤ちゃんのほうを見る。二人とも、おとなしくじっとやり取りを見ていた。
この年齢の子供が、立ったままで放置されてもじっとしている、というのは普通なのだろうか。放っておいた時間は10分に満たないとは思うけれど、落ち着き過ぎている。リュカでさえ、もっと忙しなく動いていた気がするのに。
ジョアンがさりげなく少年の顔を見つめると、少年はポーリーンの後ろに隠れた。
「お嬢様、それでこの子供たちは?」
「それが、……」
説明しづらいながらも今日のいきさつを簡単に伝えている間、少年は赤ちゃんの口をガーゼでちょんちょんつついていた。赤ちゃんは追いかけるように口もぐもぐさせながら、ご機嫌な声を上げている。
「つまり、」
話を聞き終えたジョアンは温めたミルクをガーゼに含ませ、赤ちゃんの口に添える。
ちゅ、ちゅ、と吸い出したのを確認すると、ポーリーンをにらみつけた。
「お嬢様は、このお子さんたちを攫ってきたと」
「攫ったつもりは、」
「ではどうするおつもりですか」
ぐ、と言葉に詰まる。
「まさか、オクレール公爵様に頼られるようなことは」
「それはないわ!」
慌てて否定して、
「……お父様に相談しましょう。わたくしもジョアンも、この少年だけならともかく赤ちゃんの世話は出来ないもの」
「役所に届けたらよいのでは?」
皿のミルクをガーゼ越しに吸わせながら、ジョアンは笑顔を少年に向ける。が、ポーリーンに向けられる声は真剣そのもので、冷たい響きすらある。
「お母さんが探していたらどうするのです」
「……お母様のところへ帰りたい?」
質問をそのまま少年に向けてみた。
それまでずっと黙っていた少年は、ゆるゆると、けれどしっかりと首を横に振った。
「おかあさん、しらない」