28.こんな、家族
店に着くと、ちょうど扉が開いてユーゴが出てきた。じょうろを手に持って、花に水をやるところだったらしい。
「ユーゴ」
ポーリーンの姿を見ると、ぱっと表情を明るくして駆け寄ってきた。小さいエプロンを着けた姿が一人前の店員さんの様で可愛らしい。
「おかえりなさい、ポーリーン」
腰をかがめて、ぎゅっと抱きしめる。あたたかい体温とやさしい匂い、柔らかい髪。
「……ポーリーン?」
小さい身体で頑張ってきたユーゴ。自分の希望を優先させて、この子の希望を聞いていなかった、と気付く。
腕の中でおとなしくしている少年に、ポーリーンは小さな声で訊いた。
「わたくしの、家族になってくれる?」
ぴくん、とユーゴの身体が跳ねる。
「わたくしと、ユーゴとクロエ。一緒に仲良く暮らすのはどう?」
ママと呼んでほしい、なんて伝えることはやめておいた。残酷な記憶を思い出させるような言葉は言えなかった。
ユーゴは、そんなポーリーンの気持ちを感じ取ったのか、頬を摺り寄せる。
「ジョアンも?」
「えぇ」
「テオも?」
「ふふ」
「おじいちゃまも?」
「え?」
いきなり交じった、懐かしい声。
びっくりして顔を上げると、そこにはにこにこ笑顔を浮かべた父が立っていた。
「お父様!?」
「連絡が来たからね、うちの娘に息子と娘が出来たっていうじゃないか」
たまたま商談でこの町にいたらしい。
突如現れた初老の商人でありポーリーンの父であるポール=ゴドルフィンは、大げさな仕草でかがみこみ、じっとユーゴの顔を見つめた。ユーゴはおびえる様子もなく、大きな身体を見上げる。
ゴドルフィンは声を立てて笑うと、ユーゴの髪をくしゃくしゃと撫で回し、背中に隠し持っていた包みを差し出した。
「何だ、お前によく似た顔をしているじゃないか」
「わたくしに? そうかしら?」
「いや、テオドールくんに似ているかな?」
適当なんだから、と呟くポーリーンの言葉を無視して、父はユーゴの手に包みを持たせた。
「さ、プレゼントだよ」
ユーゴは困ったようにポーリーンとゴドルフィンを見比べて、
「でも、」
「もらってあげて、ユーゴ」
「孫にプレゼントをあげたいあげたい!」
おどけたようにそう言うゴドルフィンの勢いに促されるように、ユーゴは包みを小さく開き、目をキラッとさせてから強くそれを抱きしめた。
「クマだ!」
「出さないの?」
「外だと汚れちゃうから! ぼくのクマ! あとでクロエといっしょに見るね!」
ゴドルフィンは、その様子を見つめるポーリーンに気付かれないように、そっと目尻の涙をぬぐった。
穏やかで愛しさにあふれた娘の笑顔が、目に染みたのだった。
テオドールが退院したのは、それから数日後だった。
退院した足でそのままポーリーンの店に向かうと、店は8割がたの席が埋まって大盛況。
「テオ!」
テオドールが挨拶をするよりも早く駆け寄って行ったのは、ユーゴだった。飛びついてくる少年を抱き上げると、カウンターに座った大男が笑って手を振った。
「災難だったな、テオドールくん」
「ゴドルフィンさん、ご無沙汰しております。ユーゴ、ただいま」
「テオ、初来店ね。いらっしゃいませ」
奥から出てきたポーリーンが微笑みながらお辞儀をすると、テオはそっとユーゴをその場に下してまっすぐに彼女のほうへと向かった。
他の客たちが見守る中、テオドールはポーリーンから視線を外さない。微かに赤くなる目元は、この町でポーリーンを訪ね、力になってくれると言ってきた時と変わらない。
「ポーリーン」
目の前まで来ると、すっとテオドールはその場に跪いた。そのまま、ポーリーンの手をとり、甲にキスをして見上げる。視線を合わせたまま、テオドールはくしゃりと表情を崩した。
「――おかえりなさい、テオドール」
「っ、……はい、ポーリーン」
涙に濡れた声でそう言うのが精いっぱいだったようで、彼は目を伏せて背中を震わせた。
つられて涙が出そうになったポーリーンは、彼を人の目から隠すようにしゃがみ、大きな体をそっと抱き寄せた。
「開店、おめでとうポーリーン」
「ありがとう、……退院おめでとう、テオ」
小声でそう言い合い、頬だけ一瞬寄せてから立ち上がった。
「ジョアン! ゴドルフィンからお客の皆さんに、クッキーを振る舞いたいぞ!」
他のお客の視線を自分に集めるように、よく通る大声でそう言うと、ゴドルフィンは立ち上がって客に大げさにお辞儀をした。
「皆さま、わが友人の退院祝い、受け取ってくださいますな?」
自然と沸いた拍手の中、ゴドルフィンはポーリーンに目配せしてから笑顔でテーブルを回る。
「相変わらず、騒がしい父だわ」
「大きく、温かい人だ」
「仕事でいつも家にはいなかったわ」
「でも、一緒にいる時にはいつも優しい父だった、でしょう?」
公爵夫人だったポーリーンが、元公爵夫人のカフェ店主となって、突然ふたりの子供を得て、不安がたくさんあって。すべて娘のやりたいことをやりたいようにさせてきた父は、何をどうするわけでもなく、今こうしてそばで見守ってくれている。
「自慢の父だわ」
「尊敬すべき父親像です」
「――テオのお父様は?」
何気なくそう訊いてみると、テオドールは一瞬戸惑った後で笑みを漏らした。
「とても自由な人ですよ」
「そんな気がするわ」
そのために、テオドールも苦労が絶えなかったのだろう。苦笑いがそれを物語っている。
けれど、彼は「でも、」と続けた。
「子供にも、自由を許してくれる人でもある」
「そう? たとえば、……公爵家から逃げた女を迎えてくれるくらい?」
ポーリーンの問いに、テオドールは肯定も否定もせず、ただ微笑んだ。
「嫡男が侯爵家を継がずに小さな店を開いて、養子をもらって美しい妻とともに一生仲良く暮らすのを許すくらい、です」
何を言っているのか一瞬判断がつかずにきょとんとしているポーリーンを、テオドールは愛し気に見つめた。




