27.きみはともだち
自分も行くと言ってきかないテオドールを説き伏せて、ポーリーンは一人で役所に戻ることにした。テオドールの傷は深く、まだ動かすことは許可できないということだったから仕方がない。
それに、一人で言った方が話がややこしくならないような気がしたことも確かだった。
役所にはリフとクロードが待っていてくれ、そこからの手続きは早かった。さすがは領主ということか、すべての話がクロードの一言で許可となる。
ユーゴとクロエをポーリーンの養子にしたいと伝えたときには、クロードの顔色は変わった。
「子供を育てるんだね」
そう言って、クロードはポーリーンの目を見つめ、彼女の意志が固いことを知るとようやく諦めたように笑った。
「……困ったことがあったら、いつでも頼ってくれ」
やけにあっさりと受け入れてくれた、と。
クロードにその理由を問おうとしたが、やめておいた。自分から申し出た離縁を受け入れてもらって、その理由を問うなど無粋だから。
主人の言葉を聞いたリフは、養子縁組の書類とともに自分の鞄から離縁状を取り出し、何も言わずに役所窓口へと消えていった。
「ありがとう、クロード」
「礼なんていらない。……もう、きみを困らせるようなことはしないよ。元はといえば、私が悪いんだから」
そうね、と言いかけてやめた。
クロードの浮気がなかったら、何事もなく平穏に暮らせていたのかしら。
考えてみたけれど、答えは出なかった。だって、彼との10年の結婚生活のいつの時期を見ても、大なり小なり女性の影はあったのだから。それが彼だったし、それを黙認してきたのは自分だったのだから。
微妙な表情をしているポーリーンに、クロードは手を差し出した。
「仲直りだ、ポーリーン。友人として」
「えぇ。これからもどうぞよろしく」
「もちろん、忘れていないよね?」
「?」
ぱちんとウィンクをして、公爵は笑った。
「私にお似合いの女性を探してくれる約束だよ!」
「! そうね、もちろんよ」
つられてポーリーンが笑うと、クロードはどこか安心したように目を細めた。
「私も、私らしく生きるよ」
「あら? 貴方が貴方らしく生きていないことが今まであったかしら?」
「素敵な女性を見つけてくれよ? ポーリーンより美人で、ポーリーンより優しくて、」
「そんなの、100万人くらいいるわね!」
そう言うと、彼は笑った。そんなわけないよ、と言ったつぶやきは聞かなかったことにした。
クロエの父親は、そのまま拘留された。どうやら薬物中毒であったらしく、治療をしながら服役となるようだった。当然のように子供を育てられる状態ではなく、領主の命により、子供はそのままポーリーンの元へ。ポーリーンの父が、予想外の大喜びで受け入れてくれたことは僥倖だった。
以前、ユーゴの住んでいた廃墟から見つかった女性の遺体は、やはりクロエの母親のものだった。産後の肥立ちが悪かったのだろう、死因は病死であったようだ。
ユーゴは女性が冷たくなったのを理解し、生まれたばかりの赤ん坊を助けるために食料を盗み、過ごしていたらしい。それらは推測であるが、本人に訊くのはあまりにも酷であるということで触れないことにしようと決めた。
用意してもらった諸々の書類にサインをして、病床のテオドールに報告をして(頬にキスをして)診療所を出るころには、すでに夕闇が迫っていた。
「送ろうか、ポーリーン」
声をかけられて振り向くと、クロードが夕日を背にして立っていた。表情は陰になって良く見えないが、声は穏やかだ。
「ありがとう。でも、大丈夫よ」
「気をつけて。……おやすみ」
「えぇ。おやすみなさい」
軽く会釈をすると、クロードが笑ったのが分かった。
ひらひらと手を振る様子は、夕焼けを背負ってどこか寂しげに見えた。
ポーリーンと別れて宿に戻った後、クロードはじっとソファに身を沈めたまま動けなかった。
離縁を受け入れる覚悟はとっくに出来ていた。だが、リフに離縁状を取り上げられたことを言い訳にして、提出するのをダラダラと先延ばしにしていた。あり得ないことだとは分かっているが、離縁状のことを忘れ去ってくれたらとも思っていた。
「良かったんですか」
いつの間にかそばにきていたリフに問われて、クロードは「あぁ」とため息とも返事ともつかない声を漏らした。
「ポーリーンの、あんな晴れやかな顔は久しぶりに見たよ。……私は、あれを幸せにしてやれなかったな」
愛していた。22歳の時、18だったポーリーンと結婚してからずっと。一番は妻だった。二番三番がいた事は否めない。けれど、ポーリーンがいてくれたからこそ、の自分であった。
「子供を与えてやれなかったのが、いけなかったのかな?」
「授かりものですから」
「そう、だな。……そうだ」
10年。一度も子供ができなかった。
それにプレッシャーを感じていた。他の女性と遊んでも、やはり子供はできなかった。自分に原因があるのだ、と思う。けれどそれをはっきりさせることもなく、彼女が何も言わないことに甘えていた。
もっと早く、彼女を解放してやることが愛だったのかもしれない、と思う。
本当に大事だった。今にして思う。遅すぎたけれど。
「クロード様」
「……父上が生きていたら、なんて言ったかな」
「さぁ」
リフはさして興味もなさそうな声でそう応えた。
「リフ」
「はい」
「あれだけ離縁状提出を反対していたのに、やけにあっさり出してきたな?」
指示するより前に、リフは自発的に提出しに行った。以前、主人であるクロードが提出の指示をした時には拒んだ上に、自分での提出もできないようにとずっと持ち歩いていたというのに。
リフはじっとクロードを見つめ、口元だけ緩めた。
「クロード様の顔から、ポーリーン嬢への未練が消えたのが分かりましたので」
「そんなに未練がましい顔をしていたか?」
自分では意識していなかった。が、リフが言うのならそうなんだろう。
それに、とリフは続けた。
「ポーリーン嬢が子供を引き取ると言った時、クロード様が反対しなかったので」
「ん?」
「二人の父親となって、ポーリーン嬢と共に頑張る、というような生活は考えておられないのだろうなと」
あぁ、そう言えばそうだ。
「薄情な男だな、私は」
「そうですね」
「否定しないのか、主人だぞ」
「否定してほしくなさそうなお顔をしておられます」
椅子の背もたれに、力いっぱい寄りかかって大きく伸びをした。
「……ポーリーンは、幸せになれるかな」
「あの人はしたたかな女性ですよ、大丈夫です」
「そうだな、……お前、ポーリーンが嫌いか?」
リフはそれには答えなかった。
「素敵な女性を紹介してもらおう、ポーリーンに。お前にも」
あからさまにむっとした顔をするリフに、声を立てて笑った。
しばらくは、ポーリーンの店に通うことにしよう。友人として。
「それはそうと、リフ」
「はい」
「刺されて重傷、はショックが大きいだろうから伏せるように、とは言ったが……拘束なんて言ったら無用な混乱を招くだろう」
「はい」
「嫌われたらどうしてくれる」
「えっ」
「えっじゃないよ……」




