26.テオドール
「ユーゴとクロエを、引き取るのですか」
「……えぇ、そのつもり。元より、こんなことがなくてもそのつもりだったけれど」
「育てるのですか」
「それはそうでしょう、っ」
怪我人とは思えない素早さで、テオドールは手を伸ばしてポーリーンの腕を掴み、自分のほうに引き寄せた。
不意打ちの力に抗えず、ポーリーンは引かれるままにテオドールの身体の上に倒れこんだ。
とっさに彼の傷を避けようとしたけれど、そのまま抱きすくめられて身動きが取れない。
「ちょ、テオ! あなた、身体が、」
「だめです」
「何、ちょっと、傷が開いたらどうするの、」
「だめです! 行かせない!」
大きな声。
びっくりして動きを止めたポーリーンを離さないまま、テオドールは静かに言った。
「あの子たちは、私がもらう」
ぐっと彼の腕に力がこもる。触れた肌は熱く、まだ熱があるのだと気付かされる。
ポーリーンは彼の言葉を数回反芻したあと、腕から逃れようと身体をよじった。
「な、何を言っているの、どうして、」
「そうでないと困る。私の子にする」
「――結婚も出来ないかもしれなくてよ? 侯爵、嫡男でしょう?」
知らない子供を二人も引き取って、どこのご令嬢が嫁に来てくれるというのか。
政略結婚の相手には困らないかもしれないが、若く可愛らしい、苦労知らずの貴族の箱入り娘に、自分の子でもない子供が育てられると思うのか。乳母に頼むのか。侯爵が許可すると思うのか。
あまりにも考えが浅い、ともう一度叱ろうとしたとき、テオドールの絞り出すような声が胸を伝わって聞こえてきた。
「だって」
子供が言い訳するときのような言葉。
「あの子たちがいれば、ポーリーンが来てくれる」
ず、とテオドールは鼻を鳴らして、独り言のように続けた。
「あの二人の母親になろう、と、ポーリーンが来てくれる」
ふと腕の力が緩んだ。
そっと抜け出すと、彼は困り果てたような表情で目元を赤くして、眉を下げていた。
「テオ……?」
「大事にします、あの二人を。だから、私の子にしてください」
お願いします、と頭を下げるテオドールの頬を、ぱちんと両手で叩くように挟んだ。
「~~そうじゃないでしょう!」
はっとしたようにこちらを見たテオドールはまるで聞き分けのない子供のような表情で。
ポーリーンはわざとらしく呆れたような溜息をついてから、もう一度ぱちんと両頬を叩いた。
「そういう時は、こう言うのよ。年上のわたくしが教えてあげるからよく聞きなさい」
両手を離し、そのままテオドールの手の上に乗せた。
そしてそのまま跪き、彼を見上げて微笑んだ。
「ユーゴとクロエと、あなたを愛します」
テオドールの唇が微かに、ポーリーンの言葉をなぞるように動いた。
ふっと笑うと、テオドールの目元の赤が濃くなる。
「愛しているわ、テオドール。……離縁が決着する前に伝えたら、クロードと同じになってしまうと思って言わなかったけれど」
不倫を憎んでいるくせに、まだクロードの妻であるくせに。
それに、離縁が成立していたとしたって、出戻りの商人娘であるだけの自分が、次期侯爵に愛を伝えるなんておこがましいと思ってもいたけれど。
「でも、貴方の気持ちの伝え方があまりにあまりなのだもの、思わず言ってしまったわ!」
後ろめたい気持ちを見せないようにことさら明るくそう言うと、テオドールは震える手でポーリーンの両手を取り、そのまま自分の唇に寄せた。
「愛します。愛しています。これまでもこれからも、貴女と貴女の愛するすべてを」
ぽつりと手の甲に熱い滴を感じた。テオドールの切れ長の目からひとすじの涙が伝っている。
拭ってあげたい、と思ったけれど手は捕まっているし振りほどきたくなくて、唇を彼の頬に寄せた。
「泣き虫ね」
「涙を流せば、キスしていただけるかと」
照れ隠しのような言葉が可愛らしくて、ちゅ、と軽く音を立ててもう一度。
「嘘泣きなんて、生意気だわ」
「実は私はもう25歳なので。卑怯で狡猾な男なんですよ」
そんな目をして何を言っているのか。
愛しくてたまらない、と全身で叫んでいるような熱を孕んだ瞳に、ポーリーンの顔が映っていた。
それが気恥ずかしくてそっと目を逸らす。
テオドールはポーリーンから手を離し、背筋を伸ばした。
「……公爵に、貴女をもらいに行きます」
「わたくしは物ではないわ。けど、……そうね。ユーゴとクロエも」
こくりと頷いて、テオドールは少し考えるように視線を逸らし、「でも」と言った。
「もうちょっとだけ、浸らせてください」
「あら、何に?」
「――10年越しの片思いの成就に」
「え、」
10年とは、と訊こうと思った唇は、テオドールのそれに触れて言葉にはならなかった。
確かめるようにそっと触れた唇は、そのままポーリーンの思考をかき消すように熱い二度目のキスで上書きされた。




