20.カフェと店主と、公爵と
ポーリーンの店、オープンの日。
開店時間となり、看板を表に出しに行くと大きな花束が歩いてきた。
「おめでとう、ポーリーン」
「ありがとう、クロード」
クロードの大好きなピンクの薔薇の花。抱えたら前が見えなくなるほどに大きなそれは、店の外に花台に活けて飾ることにした。もちろん、「オクレール公爵様より」と看板をつけて。
店内に入ると、クロードは柔らかい表情でカウンターに座り、じっとポーリーンの顔を見つめた。
「コーヒーでよろしい?」
「ジョアンのコーヒーも、久しぶりだな」
ユーゴが小さなお盆に乗せたおしぼりを持ってくると、クロードはびっくりした顔をして、「ありがとう」と笑う。
「この子は、あの時の子かな」
「えぇ。可愛いでしょう?」
「あぁ……少しだけ大きくなった」
なぜだろう。
先日会ったときには、顔を見るなり反感しか覚えず、すぐさま追い払いたい気持ちになったのだけど。
カフェに人を呼ぶために公爵様の名前と存在が有用であることを差し引いても、あまり嫌悪感がない。
(店が始まって、家族のように大切に思う人たちが出来て、気持ちに余裕が出来たのかしら)
クロードはユーゴに手招きし、注文したクッキーを一つユーゴの口に入れた。
「おすそ分け」
一生懸命に急いで食べて、ユーゴはぺこりと頭を下げた。
「ありがとう、おじさん」
「君は、自分の居場所を決めたんだね」
その声には、どことなく寂しさが滲んでいるように感じた。けれど、自分から戻ろうという気持ちにはならない。
ユーゴはこくりと頷いて、
「この前はごめんなさい」
ともう一度頭を下げた。クロードはその少年の様子にくしゃりと顔を笑ませて、ユーゴの髪を撫でた。
「ポーリーンをよろしく」
「うん」
あの強引だった公爵様とは思えない。いっそ不審なくらいに穏やかな振る舞いに、ポーリーンも訊いてみた。
「公爵様?」
「ん?」
「何か、ありました?」
「あったんだよ、とてもいいことがね」
ポーリーンに、片目を閉じて公爵はいたずらっぽくもったいぶって言う。
「あら。どんなことか聞いても?」
カウンターから身を乗り出すように、クロードはポーリーンに耳を貸すようにと手招きした。
少しだけ耳を寄せると、彼は嬉しそうに破顔して、そっと囁いた。
「愛する人が、私を幸せにすると言ってくれたんだ」
「……愛する人がいらっしゃるの?」
「ポーリーン、君しかいないだろう」
馬鹿だなぁ、とでも言いたげに首を傾げ、クロードは笑う。
リフのやつが、余計なことを言い含めたか、とため息をついた。
仕方がない。
「えぇ、わたくしが、公爵様にふさわしい、素晴らしい奥様を探して差し上げますわ」
ゆっくりと、クロードの顔色を窺いながら、噛んで含めるように丁寧にそう告げた。
目を丸くした彼は、反論か何かをするかを思いきや、長い指を組んで背もたれに寄りかかり、ふむと小さく息をついただけだった。
それから一通り店の中を見回して、ポーリーンの目を見つめ、すっと目を細める。
「……それが、君の復讐?」
「復讐……?」
そんな物騒なこと、思いもしなかった。
どう答えたらいいか、と一瞬迷ったその隙に、クロードは「なんてね」と笑った。
「君以上の人を保証してくれるかい?」
「――えぇ、もちろん!」
急な変わり身に返事が少し遅れた。彼はどことなく楽しそうな顔で、
「もしだめだったら、戻ってくる?」
と言いながら、こちらを見ているユーゴの視線を楽しむように手を振った。
軽口ばかり。人をからかうようなことばかり言って、そんな彼の掴みどころのなさが、多くの女性の心を惹きつける。
かつて、ポーリーンもそんな彼の処世術と話術に惹かれ、この人といればずっと楽しいだろうと思って過ごしていた。そんな結婚生活を思い出して、少し胸が痛い。
「だめだったら、なんてことは、始める前から思ったりはしないものですわ」
「おぉ、それでこそポーリーンだ! 楽しみにしているよ」
にこにこしながらコーヒーを飲む公爵に、笑顔をだけ返し、ポーリーンは他の客への挨拶に回ることにした。
じっと自分を見つめ続けているクロードの視線を感じながら、少しの居心地の悪さと、心地いい緊張感を感じる。
続々と入ってくる客は、カウンターに座っている公爵を見ると皆一様にびっくりした顔をして一礼し、席に着くとそわそわと公爵について話をしている。
この町は公爵領であることもあり、予想以上に顔が売れているようだ。これは客寄せとしてとても優秀かもしれない。
「あ、あの」
女性客がポーリーンを手で呼んだ。
「はい、およびですか?」
「公爵夫人……ですよね? どうしてこんなところでお店を……?」
もちろん、ポーリーンの顔だって知られている。公爵夫人が自宅から遠く離れた場所に、自分が店主の店を出して常駐するなんて、普通はありえない。
もう公爵夫人ではないのですよおほほ、と言ってしまってもいいが。クロードの手前、彼の顔をつぶすようなことになっても困る。
と思っているうちに、クロードが口を開いた。
「素敵なお店だろう? みんなにとって居心地の良い場所になるといいけれど」
領主からの言葉に、店内にいた客はみなこくこくと頷き、どことなくうっとりしたような顔でクロードを見つめている。まさか、この男が浮気して嫁に逃げられて泣いたことがあるなんて、みんな思わないだろう。
この場を収めてくれたことは感謝するが、なんだかなぁ、と思うのだった。




