2.初めての、小さな小さなお客様
外は良い天気。
人通りの多いメインストリートから一本入った路地に、父の2号店はある。喧騒から程よく距離があり、落ち着く店構えだ。あまり日が当たらず、ショーウィンドウに飾られた人形が日焼けしにくいところもいい。
預かっている店の鍵を手の中で転がしながら路地を入ると、店の入り口の石段に何かがあることに気付いた。
「袋? 何か配達されたのかしら…… 」
ひと抱えくらいありそうなそれに心当たりはない。くすんだ色をしたそれは、微かに動いているような気がする。
何かしら、と恐る恐る近付く。
手を伸ばすと、ばっと弾かれるようにそれは動いた。
「!!」
「あ、……」
それは、ボロ布のような服を着た幼い少年だった。それから、大事そうに抱えたタオルの中には少年よりもさらに小さな顔が覗いている。
「……」
少年は痩せて汚れているが、強い瞳でじっとポーリーンを睨んだまま動かない。
大通りから人の声がすると、びくっと体をふるわせてポーリーンの陰に隠れるように小さな体をさらに縮めた。怯え切っている姿に、胸が痛む。
人の声が遠のくのを待ってポーリーンは立ち上がり、店の鍵を開けて殊更明るい声で、少年に向かって囁くように言った。
「さ、いらっしゃいませ、お客様」
戸惑うように見上げてくる少年に、優しく手を伸ばす。
「まだ開店は少し先ですけれど、中へどうぞ」
少年の震える肩に手を添える。彼はメインストリートから聞こえてくる人の声を避けるように小さく頷き、ポーリーンから守るように腕の中の赤ちゃんを抱え直した。
警戒を解かず、彼は促されるままポーリーンについてきた。
店内は開店式の準備のための資材で多少雑然としていたが、ポーリーンはサイドテーブルとソファを手早く整えて、少年を座らせた。
少年は身構えた姿勢を崩さないまま、それでも勧められたとおりにちょこんとソファに腰掛けた。
見た感じ、4、5歳くらいだろうか。子供のいないポーリーンには正確なところは分からないが、この子達が尋常じゃなく汚れていることとひどく痩せていることは見て取れる。
着ている服も何ヶ所も破れ、元々何色だったのかも判別できない程度に泥と埃にまみれている。
さて、どうしようか。
ポーリーンはぬいぐるみを飾ってあった大きな籠にクッションを入れ、少年の座ったソファに置いた。
「赤ちゃんは、こちらにどうぞ」
少年はポーリーンと即席ベビーベッドとを数回確認するように見つめ、腕の中の赤ちゃんの頬に小さくキスを落とした。
ゆっくりと籠に赤ちゃんを入れると、ようやく少年は大きく息をつき、肩の荷がおりたように表情を微かに緩めた。まだ生まれたばかりのように見える赤子でも、幼い少年には重かっただろう。
ポーリーンは彼をねぎらう様にゆっくりと声をかけた。
「ミルクはどう? 赤ちゃんは、……よく寝ているから後でも良いかしら」
「……どうも」
呟くような小声だったが、応えてくれたことが嬉しくて、ポーリーンは笑顔でミルクとお菓子を置いた。
「さて、と。聞いても良いかしら?」
びくりと身体を震わせる少年をこれ以上警戒させないように、出来るだけ視線を下げてゆっくりと話す。
「あなたのお名前は?」
「……ない」
硬い表情で、そう言った。
さすがに、「ない」ってことはないだろう。この年で自分の名前が分からないということもないだろうし。……言いたくないということか。
言いたくないものを無理に聞きだして、強引に家に戻したとして、と少年達の様子を見る。……こんな言い方をするのは憚られるが、大事に育てられている子達にはとても見えない。
どこからか逃げ出してきたのか。万が一攫われてきたのだとしたら家に帰りたいだろうから、名前は言うだろうし。
こういう時に頼れる人がいるかしらと考えた時に、真っ先に浮かんだクロードの面影を頭から振り払うようにきつくこめかみを押した。
父親に頼ろう。それがいい。出店の際に調査は万全にしているだろうから、この辺りには詳しいはずだ。
不安げにポーリーンを見上げている少年に、優しく笑顔を返した。
「――大丈夫。わたくしはポーリーン。悪い人じゃないのよ。って、自分で言うと嘘みたいに聞こえるかしら」
まん丸の瞳にポーリーンを映して、少年は一瞬きょとんとした後、「ふふ」と小さく笑った。
「あら。笑うととっても可愛いわ! もっとよく見せて?」
温かいおしぼりで、そっと汚れた顔を拭いていく。埃の下から出てきた肌は白く柔らかく、幸せな気持ちになる。
少年と赤ちゃんの顔を拭きあげると、次は着替え、と等身大の人形用のシャツとズボンを持ってきた。
「ここにずっといるのも何だし、これを着てわたくしのおうちに行かない?」