16.デートを、しない?
「あぁ、それはありがたいことです。よろしくお願いいたしますよ」
と馬鹿にするような笑みと共に捨て台詞を吐いて、リフは帰って行った。
今にも飛び掛かりそうなほどに怒りを抑えているテオドールの背中を軽く叩き、ジョアンにコーヒーを頼んだ。
「もう大丈夫よ。テオ、ありがとう」
「……何がです」
今まで彼のこんな表情は見たことがない。穏やかで理性的なテオドールとは別人のように目が燃えている。
「テオがいなかったら、その場でひっぱたいていたわ」
ポーリーンのその言葉に、ようやくテオドールがポーリーンの目を見る。ふ、と表情が和らいだ。
「ひっぱたいてやったらよかったのです」
「あら。一流の商人は、自分に不利益となりそうなことはしないのよ。叩いた瞬間は、すかっとするかもしれないけれどね」
クロードならともかく、リフは頭が回る。すっきりするために手を上げるようなことをすれば、そのあとどんな風に揚げ足を取られるかわからない。昔から気が合わないと思っていたが、やはり今でもそうだった。クロードと揉めてから、あの男が今まで首を突っ込んでこなかったことが逆に不思議なくらいだ。
じっと、テオドールの視線を感じる。
「何?」
「どうするおつもりですか」
「何を」
「……公爵のところへ戻られるんですか」
「オクレール公爵家にはリフがいるのよ? 戻らないわ」
リフは、多分ポーリーンが戻ってくるとも思っていないだろう。思っているとしたら、あんなに表立って反抗してきたりはしない。現に、公爵家にいる間はいけ好かない男ではあったが対立したりぶつかったりしたことはなかった。
良くも悪くも、クロードの忠実な部下だ。
ポーリーンのことをまだ「奥様」だと思っているのであれば、あんな態度は決して取らないはず。
「まぁ、なんにしてもクロードを幸せにしてあげればよいわけね」
「ポーリーンが戻ること以上に幸せにする方法なんて」
少しすねたような表情のテオドール。そんなにリフの言い草が気に入らなかったのか、とちょっとかわいい。
「大丈夫よ、テオ。テオとジョアンに手伝ってもらう必要があるけれど」
「へ!? ジョアンもですか! 何でもしますよ!」
嬉しそうにそう言って、コーヒーを置いてジョアンは胸を張った。
「ジョアンはもともとあの男が嫌いなんですよ!」
「知ってるわ」
「私も、好きになれません」
「それはよかったわ」
人の好き嫌いなどなさそうなテオドールの言葉に苦笑いして、コーヒーを一口。身体の奥からほっとするような香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「まずは、例のカフェの開店を急ぎましょう。ね、オーナー?」
オーナー、と呼ばれたテオドールは、一瞬びっくりしたように動きを止めて、嬉しそうに笑んで「はい」と頷いた。
カフェとは、街の人の憩いの場であるべきだ。
というわけで。
「テオ、わたくしとデートをしない?」
「え!?」
「え!?」
「どうしてジョアンもびっくりするのよ……」
街を歩き、他の店の様子を調査し、それからいろいろなところで顔を売る必要がある。まだこの街に引っ越してきたばかりの新参者なので、とにもかくにも街に慣れることが必要だ。
それには、散歩が一番だとポーリーンは思うわけだけど、ユーゴを連れて歩くのはまだ怖い。完全にポーリーンの息子となってくれた後、不審な男の件が解決した後でだったらもちろん連れ回したいが、今はまだその時期ではない。
「わたくしの理想のカフェには、若い男女が入り浸ってほしいわけ」
「入り浸る、という言い方はあれですけど、ジョアンもそう思います」
「なら、若い男女の気持ちで街を歩き、市場調査をする必要があるわ」
「お嬢様とテオドールさんなら、若い男女そのままだとジョアンは思います!」
気持ちはバツイチのポーリーン。若いという言葉にもちょっと引っかかる。
年頃の精悍な男性を連れまわすのは可哀そうかしらと思いながらテオドールを見ると、彼はやたらと眉間に力を入れてじっと話を聞いていた。
「……お顔が怖いのだけど、いやなのかしら」
「嫌なんてことは! 全然! あの、……光栄です」
天下の侯爵家嫡男が、どうしてそう下からなのか。年下だからかしら。
「それから、もちろんユーゴとクロエのことも調べたり。わたくしが一緒だと、テオの行動が制限されてしまうかしら?」
「いえ、それは大丈夫です。話を聞くにも、違う視点から見てもらえる人が一緒にいてくれると助かります」
仕事の顔に戻り、テオドールはそう言って頷いた。
「ジョアンは、家でユーゴに味見してもらいながら、料理の練習をしますね!」
「ぼくは、味見係?」
「ユーゴのお仕事は他にもありますよ、ナフキン折ったりとか……できるかしらー?」
「できる!」
すっかり仲良くなっている留守番組は安心だろう。ジョアンはノリは軽いが頭がいい。もし何かあっても、子供二人を守ることは出来る。心配な時は、父に頼んで男手を派遣してもらって……。
「もし、人が必要であればリュカが来ますよ」
「リュカが? だって、侯爵領のお仕事はいいの?」
三男のリュカ、16歳。テオドールの弟だ。今は嫡男がここに来てしまっているから、次男と三男で侯爵領の仕事を手伝っていると言っていたが。
「ヴァルターが……余計に手間がかかるからしばらくリュカを引き取ってほしいと言っておりまして……」
16歳。ユーゴの遊び相手にちょうどいいかしら。
なんだか賑やかになりそうで、嬉しい。
(わたくしは、今楽しくて幸せだけれど)
クロードはそうではないのだろうか。あのピンク髪の美少女とはもう切れたのだろうか。
他に、クロードの奔放な性格を包み込んでくれるような女性はいるだろうか。
自分が耐えられなかった男を他の女性に押し付けるというのは、どうなのだろうか。
今更ながらそんなことを思い、ちくりと胸が痛む。
(わたくしも、大概自分本位ですわね……)




