15.公爵従者からの、挑発
一人で外に出てはいけない、とユーゴに言い聞かせる。とはいっても、今まで一度も勝手に外に出たこともなければ、窓のそばに寄ったこともない。
一緒に外に出る時でさえ、深く帽子をかぶって人目を忍ぶような仕草をするのだ。駆けだしたり大きな声を出したりすることもない。大笑いをすることもなければ号泣するようなこともなかった。
「……」
「なぁに?」
じっと見つめると、ユーゴはきょとんとした顔で見つめ返してくる。
クロエを抱いて隠れていたユーゴ。
保安官に頼ろうとはせずに自力で赤ちゃんを探す男……自分の子供なのだろうか、それとも何か他の目的があるのか。
どちらにしても、怪しいことに変わりはない。
(他人の子供を家に匿って、役所に届けてもいないわたくしも同類かしら……)
腕の中でおとなしくしている少年の頭をよしよし撫でていると、ドアチャイムが鳴った。
一瞬びくりと身体を固くしたユーゴをもう一度強く抱きしめた後、ポーリーンは静かにドアに近付き、覗き穴から外の様子を窺った。
と、そこに立っているのはよく見知った男だった。
「――リフ」
「私が出ましょう」
 
ポーリーンを手で制して、テオドールがドアに手を掛けた。
静かに開いた隙間から、クロードの側近であるリフが丁寧に頭を下げた。
「お忙しい時間に申し訳ない。奥様」
「どちら様でしょうか?」
ドアを開けたテオドールは、自分を通り過ぎて向こう側にいるポーリーンに挨拶をした客人に対して険のある声を出した。ポーリーンをその視線から隠すように、自分の背中へ隠す。
「これはこれは、侯爵家の。私はリフと申します。奥様にお話が」
「奥様、とは?」
「ポーリーン様でございます」
離縁したのだから奥様ではない、と言外に伝えるもまったく意に介さない。リフはそういう男だった。あのクロードの最側近であることからも、人の気持ちを斟酌しない、人の都合は考えない、というリフの性格が窺えるだろう。
「何かご用? 公爵様のお使いでいらしたの?」
「いえ。一言だけお伝えに参りました」
貼り付いたような笑顔でそう言い、テオドールを一瞥し、ポーリーンの目を見据えた。
「公爵様のお使いでない、ってことは独断でいらしたの? 珍しい」
「はい、これはクロード公には関係のない話であるので」
「何なんです、さっと言ってすっと帰りなさい」
イラつきを隠さないポーリーンに、リフは楽しそうに告げた。
「離縁状は私がお預かりしております。まだ提出はしておりませんので、念のためそれをお伝えに参りました」
「え、」
「ごきげんよう。お早いお帰りをお待ちしておりますよ、奥様」
外套を翻してリフは去って行った。
テオドールは反応することも出来ず、ポーリーンもその背中に言葉をかけることが出来なかった。
離縁状がまだ提出されていないということは覚悟はしていた、けれどクロードの使いではなく、独断で来たとはどういうことか。
クロードの真意が分からない。……会うしかないのか。それも、罠なのか。
こちらを振り返ることなく歩いていくリフの背中を見つめながらぐるぐると考えていると、心配そうにポーリーンを見上げているユーゴに気付いた。
先日、クロードを撃退していたユーゴのしっかりした話しぶりを思い出す。こんな幼い子供ですら自分の言葉で話が出来るというのに、と思うと同時に、ポーリーンは声を上げていた。
「リフ!」
立ち止まり、リフはゆっくりとこちらを向いて軽く頭を下げる。
それから、呼び止められたことを驚く様子もなく、戻ってきた。
「伝言ですか? 承りますよ」
「……離縁状には、公爵様のサインはすでにいただいているのかしら?」
離縁に同意しているのかどうかをまず知りたい。
最後に会った時の様子だと、同意しているようには見えなかったけれど。でもその後まったく動きがないところを見ると、諦めたのかもしれないし。
返事を待つポーリーンを試すように、リフはにっこりと笑って首を傾げた。
「それは申し上げられません」
「なぜ」
「それは、ですね、奥様」
無礼なほどに丁寧にリフは言う。分からずやの子供を諭すようなこの態度が、以前から好きになれない。
「私は怒っているからです」
「貴方が怒るようなことなのかしら、わたくしたちの離縁は」
「私は、クロード様の側近であるとともに幼馴染であり乳兄弟でもあるんですよ、ご存じの通り」
表情は穏やかで笑顔を浮かべてはいるが、その目は笑っていない。
「クロード様の利益になることしか、いたしません」
「それは、わたくしと離縁させない、という意味かしら?」
くすりと本当におかしそうに笑い声を漏らしたあと、リフは馬鹿にしたように言った。
「思い上がりなさいますな」
ぞくりとするような声。
冷たい視線でポーリーンを見据えて、また穏やかな口調に戻る。
「簡単に離縁して、得をするのは誰です。奥様に未練があるクロード様ですか。違うでしょう。わがままにも旦那様を放置して出奔した奥様だけです」
「わがまま? わたくしが? クロードでしょう」
「違いますね」
これ見よがしにため息をつき、リフは続ける。
「いい機会なのでお伝えしておきますが、私はポーリーン様を認めているわけではない。クロード様が貴女が必要であるというから、離縁状はお預かりしたのです。勢いでご提出にならないようにね」
「――あなたはどうしたいの?」
当たり前のことを聞くな、という様に片眉を上げて、リフはポーリーンを睨みつけた。
「クロード様に幸せに過ごしてほしい。それだけですよ」
口元に笑みを浮かべる。
「クロード様の幸せに貴女が必要なのであれば戻っていただく。そうでないのならばお好きになさい」
その物言いに、テオドールの表情が険しくなる。手で制して、ポーリーンはにっこりと笑顔を作って告げた。
「分かりました。――オクレール公爵様をお幸せにすればよろしいのね?」
 




