後編
「灰猫、なにか手伝うことある?」
ある日のお昼過ぎ、早めに仕事が終わり、手持ちぶさたな爽太が灰猫に聞いた。灰猫は瞳を輝かせて答えた。
「いっぱいあるよ。うわぁ、嬉しいなぁ。爽太の手料理が食べれるなんて」
ん?手料理?
灰猫は手にしていた掃除機を放り出して爽太の手を引いてキッチンへ向かった。
「オイラ掃除の続きをしてるから、今晩の食事の準備をお願い。どこになにがあるかとか、機械の使い方とかはアレックスに聞いてね」
「ん?アレックスって誰?」
「あれ?爽太は見えないとわからない派?おーい!アレックスー!姿見せてー!」
そう言うと、灰猫が大きな声でアレックスを呼んだ。
「お呼びですか?灰猫さま」
突然、目の前に執事の姿をした線の細い青年が現れた。
「初めまして、アレックスさん」
驚きながらも爽太は丁寧にあいさつをした。
「初めまして、爽太さま。私はこの家の人工知能です。この家のことでわからないことがありましたらなんでも聞いてください」
そう言ってアレックスは、物腰やわらかにお辞儀をした。爽太が握手を求めるとその手がすり抜けた。立体映像だ!
「さっそくだけどアレックス、爽太のお料理のお手伝いをして欲しいんだ」
「かしこまりました」
アレックスは、うやうやしくお辞儀をした。
「爽太の手料理希望!」という灰猫のリクエストに爽太はう~んと首をひねった。
「名前のついた料理なんかつくれないんだけどなぁ」
爽太が思わずつぶやくと、
「それでいいのだと思います。名前がなくとも、爽太さんの手料理であれば皆様お喜びになられます」
と、アレックスが淡々と述べた。
いつの間にか、キッチンの入り口で、こっそり見ていた秋穂が、うんうんとうなづいた。
「まっ、いいや!アレックス、コンロと電子レンジの使い方教えて!」
「かしこまりました」
爽太の料理、そのいち。野菜を切って電子レンジで蒸し、フライパンに入れて、調味料と合わせる。
爽太の料理、そのに。肉を切って電子レンジで蒸し、フライパンに入れて、調味料と合わせる。
お米を5合洗って・・・、おおっと、炭水化物は法律で禁じられてるんだった。
この料理の最大の特徴は、調味料を変えることによって、無限のバリエーションを誇るということである。
「野菜がヘルシーだなんて、未来では幻想なんだけど、どうしても野菜多めに使っちゃうなぁ」
そう思ったが、まぁ、2000年前の料理ということで、多目に見てもらおう。そう思った。
やがて、のどかがワイルドベリーを籠いっぱい持って帰ってきた。
柊も帰ってきて、夕食となった。
爽太の手料理は、おおむね好評だった。
毎週土日が爽太の食事当番となった。そんなある週末。
「あれ?野菜がない」
肉も足りない。買って来なきゃ。
「柊さん。買い物に行きたいのですけど、今、ご都合よろしいですか?」
リビングでソファーに座って雑誌を読んでいた柊が顔を上げ、「うん、いいですよ」と言いかけて、あることを思いついてあわてて口をつぐんだ。
「ウン、イマ、イソガシイカラ、秋穂と行ってきてくださいますか?」
柊は、嘘をついているときのカクカクしたカタカナで答えた。
「えっ!秋穂さんを、そんな人のいっぱいいるところに連れていって大丈夫なのですか?」
爽太が驚いて聞く。
「秋穂は行く気まんまんみたいですよ?」
ふと見ると、秋穂がいつの間にか後ろに立っていて、爽太の服のすそをつかみ、じっと爽太の瞳を見上げていた。
「秋穂さん?・・・一緒に行く?」
爽太の声に、秋穂は少し赤くなって小さくうなづいた。
その様子を見て、柊はうれしそうに、
「ここは若い者同士に任せるとしましょう」
と、言って笑った。
「若い者って・・・、柊さん、いくつですか?」
「2017歳」
うそっ
家の玄関を出て、爽太と秋穂が並んで立つと、秋穂が抱いていた犬のヌイグルミが消えて、代わりに二人が半透明の球体に包まれた。ふわりと浮き上がり森を抜けると、一瞬で景色が変わり、目の前に巨大な建物が現れた。爽太達が住んでいる家と同じように、森の中にポツリとある建造物のようだ。縦方向には高くなく、とにかく横方向に広い。一日中歩き回っても端から端までたどり着くことができないのではないだろうか?爽太達が立つ入り口前の広場に、次々と半透明の球体が現れ、無数の人が建物の中に吸い込まれて行く。
クイッ
と、秋穂が爽太の袖を引いて入るようにうながした。
ふたりは、人ごみに紛れて建物の中に入っていった。
ここは巨大なショッピングモールのようだ。人々が大きなカートを押して次々と商品を手に取っていく。
「あれ?」
爽太は店の客を見て不思議そうに声を上げた。秋穂が爽太を見上げる。
「老人が1人もいない」
そう、店に来ている客は全て若かった。ときおり子供の姿が見えるくらいだ。
「未来の人間は老化しない」
秋穂がポツリとつぶやくように教えてくれた。
「えっ?!それって歳をとらないっていうこと?!」
秋穂はうなづいた。
考えてみれば、爽太は未来に来て老人に会ったことがない。
爽太はカートを押して適当に歩き出そうとすると、秋穂が腕をつかんでそれを止めた。
絶対、迷うから。
秋穂の濃い茶色の瞳が、そう言っていた。
こっち。
爽太は秋穂に案内されて、店の中を歩き出した。
食料はみな、金属の小さな台座の上に乗っている。この台座から食料を取り外すと鮮度の劣化が始まるため、台座ごとかごにいれる。台座は調理の直前に外され、最高の鮮度のまま使うことができる。もっとも、これは合成食料だけの話で、狩猟採集によって商品とされた自然のものにはついていなかった。自然の食材はのどかによってもたらされるので、買うのはもっぱら合成食料だ。
「あっ!」
ここで重要なことを思い出した。
どうしたの?と秋穂が見上げる。
「お金持ってきてない」
大丈夫。と秋穂が目でうったえ、爽太をレジに連れていく。レジで爽太は手を出すようにうながされ、手を出すと、バーコードリーダーのようなものでピッとされて、支払いがそれで終わったようだ。後で柊に聞くと、爽太の働いたお金は遺伝子銀行なるところに振り込まれていて、レジで遺伝子情報を読み込むことによって、所持金残高がわかり、支払いもできるとのことだった。
「未来は現金いらないんだね」
爽太の言葉に秋穂が、現金ってなぁに?と瞳で聞いてきた。
○
「柊さん、今、ご都合よろしいですか?」
「はい、大丈夫です。開祖さま」
「開祖さまは、やめていただけませんか?」
柊に開祖と呼ばれた神官が苦笑した。
ここは明石大社、荘厳なつくりの神社だ。その最深部にある部屋にふたりは入っていった。
「終わりの霊子と始まりの遺伝子はいかがですか?」
神妙な顔つきで神官が問う。柊もやや緊張した面持ちで答えた。
「一次接触は素晴らしい結果を生みました。子供の出生率とアニマロイドの人形化に若干の改善が見られました」
「でも、まだ、終わりの霊子が始まりの霊子に反転したわけではない・・・と?」
柊はうなずいた。
「始まりの遺伝子には、本当のことを話したのですか?」
柊は首を横にふった。
「いいえ、まだ・・・。爽太さんは、いい人です。だから、本当のことを話すと、心のつながりのないまま、つながろうとするのではないでしょうか。あっ、ちなみに秋穂には、とっくの昔にバレました」
なんでだろう~?と、不思議そうに柊が言う。
「柊さん、嘘がヘタだからなぁ」
「あの娘は自分がなにものなのか、全て、知っています。知った上で、必死にふたつの解決策を頑張っています」
もっとも、解決策のひとつ、言葉を話さないことによって、人と人とのつながりを断つ。というものは、まったくの徒労なのだが。霊的なつながりなので心理的なものよりそのつながりは深い。それでも、なにかをやらずにはいられないのだろう。それほど、彼女が背負うものは大きかった。
人類は種の寿命を迎えていた。年々、子供の出生率がさがり、また、文明を支える宇宙船、アニマロイド(アニムロイドも)が正常な姿をしなくなっていった。科学技術によって、だましだまし引き延ばしてきたのだけれど、その限界が、終わりの霊子という形で現れたのだった。人々はアニマロイドによって、つながり、心をひとつにして力を合わせることで文明を発展させてきた。その心のつながりが、悪い方向に働いた。ひとりの少女の命の終わり、つまり、死が、引き金となって、本来寿命を迎え死ぬはずだった者たちを本来の姿に戻してしまうという霊子連鎖消滅という現象が現れようとしていたのだ。未来に寿命はない。でも、事故で死んだりもするので、けっして不死ではない。アニマロイドと一体化することによって、エターナリアンとなって、限りなく不死に近づくこともできるが、遺伝子劣化によって人の姿ではなく、ヌイグルミの姿となったアニマロイドにはそれができなくなってしまっていた。混乱を避けるため、終わりの霊子のことは秘密にされていた。その唯一の打開策である始まりの遺伝子のことも。
「終わりと始まりが密接につながること・・・か。具体的になにをすればいいのでしょうか、柊さん?」
あのとき、僕は、いったい、なにをしたのがよかったのか?
柊は首を横にふった。神官が追った。
「あなたには未来がわかっているはずでは?」
それでも柊は首を横にふった。
「未来のことでわかっていることは、何度くりかえしたって、未来はわからないってことです」
未来は無限に分岐する。だから、わからない。
○ 秋穂視点
つながれるのかな。
秋穂がつぶやいた。
遮光カーテンが閉められ、うすぐらい部屋のベッドの上で、自分のアニムロイドであるヌイグルミの犬、陸を抱いて。
つながれるのかな、あの人と。
話したい。言葉を話したい。やっと言葉を話してもいい人とめぐりあえた。
秋穂は陸をギュッと抱きしめた。
嬉しい。
きっと、もう、さみしくない。
嬉しい・・・。
涙が出そうになった。
でも、ここで不安がよぎった。
爽太は秋穂のことをどう思っているのだろう。
親しげにのどかと話す爽太の笑顔が胸にトゲを刺した。
自分の幼く見える容姿を恨んだ。
のどかみたいに大きければよかったのに・・・。
ぺたりと自分の胸に触れる。
爽太は、のどかのこと好きなのかな。
そう思うと胸が傷んだ。
○
毎週土曜日は全員で家の大掃除をすることになっていた。
「のどかさんは、そっち持っていただけますか?」
「は~い」
柊が指示を出して、爽太とのどかがソファーを動かす。そこを灰猫が掃除機をかける。秋穂はまだ降りてきていない。掃除は毎日、灰猫がやってくれているのだけど、ひとりでは動かせない家具の下や、手の届かない高い場所などがどうしても灰猫ひとりでは無理だった。
「掃除とか機械やロボットがさっとやってしまうってイメージがあったんだけど」
爽太が言うと、灰猫が答えた。
「昔、ロボットに仕事を全部とられた時代があったんだって」
「うんうん」
「その時代の人の精神は不健康になったんだって」
「そうなんだ」
「うん。それで、それ以来、極力、仕事は人間がしようってことになったんだって」
「仕事がなくても趣味があったら、精神は健全に保たれると思ってたんだけどなぁ」
無趣味な爽太の言葉だった。
「はいはい、ムダ口たたかないの。次、爽太さん、棚の上の荷物おろしてください」
のどかが脚立を支えて、爽太が登る。棚の上の荷物を持って降りようとしたその時。
「っくちん」
のどかがくしゃみをして、パッと手を離してしまった。
ぐらっ!
倒れる脚立。落ちてくる爽太。その下には、のどかが。
「あぶない!」
柊の悲鳴。
爽太はのどかを押し倒したかのような格好で床に倒れた。右手がのどかの豊満な胸に置かれていた。
「!」
人の気配を感じて一同がリビングの入り口を振り返った。そこに驚きの表情をした秋穂が立っていた。どこか思い詰めたような顔をしていた。
「あ・・・秋穂ちゃん、これはね?」
柊が、しどろもどろ、秋穂に話しかける。
それを最後まで聞かずに、秋穂は部屋を飛び出した。
「追います!爽太さん!」
爽太は柊とともに走り出した。
○ 秋穂視点
もうだめ。もうだめなんだ。
走りながら、秋穂は涙を流した。
爽太と、つながれない。始まりの遺伝子とつながれない。
わたし、死んで、人類を滅ぼしてしまうんだ!
音を立てて玄関を飛び出す。秋穂は空を見上げた。
そんなことさせない!
秋穂は空中を睨み付けた。
では、どうすればいい?
遠くに行こう!全ての人とのつながりが断ち切られる宇宙の果てまで!
秋穂は、強い力で念じた。陸がそれに答えて秋穂を半透明の球体で包み込む。そのとき、爽太と柊が玄関から飛び出してきた。
秋穂は空中に浮かび上がり、念速で飛び立った!
秋穂を追って、柊も爽太を包み、念速で飛ぶ。
○
森を抜けて空を超え、宇宙を飛んだ。
追い抜いていく星の光が洪水のように押し寄せてくる。光の中を爽太は突き進んだ。
「秋穂、宇宙の果てまで行く気ね!」
柊が言った。
「宇宙に果てなんてあるのですか?!」
爽太が聞くと、
「理論上はありません。だって、この宇宙には無がないから」
無はない。だからこの宇宙はどこまで行っても宇宙が広がっている。無限の大宇宙っていうやつだ。
それでも秋穂は強く強く念じた。
遠く遠くへ!きずなの届かない場所へ!
秋穂を追う爽太。そのとき、爽太に柊の感情が伝わってきた。
「こんな時に、不謹慎ですよ!柊さん!」
柊は、飛ぶことにわくわくしていた。宇宙の果てを目指して飛ぶ・・・そのために造られた宇宙船だったからだ。
「ごめんなさい、爽太さん!でも、私は、きっと、今、このために生まれてきたの」
ふたりは飛んだ。飛んで飛んで飛び続けた。
いったい、どれほど飛び続けたのだろう、辺りに星の光が見えなくなってきた。
どこだろう・・・、ここは?
とうとう、星の光がまったくない空間に居た。
飛んでいる感覚がなかった。上も下も左右もなく、ただ、ぼんやりと浮かんでいた。
まるで母の胎内に戻ったかのよう・・・。
そんな感想を爽太は抱いた。
ふと、気配を感じた。爽太はそこに歩いて行こうと思った。地面なんてないけれど、感覚が無理やり地面を作り出して歩み始めた。
そこに秋穂がうずくまっていた。
秋穂に自分の気持ちを伝えてあげて。
柊の声を遠くに聞いた。
僕の気持ち。僕が秋穂に抱いている感情。
爽太は秋穂の前に膝まずいて、ゆっくり語りかけた。自分の本当の気持ちを手探りでさがしだすかのように。
「秋穂さん。あの・・・」
緊張で口が動かない。意をけっして爽太は語りかけた。
「恋は一瞬で燃え上がるものだけど、愛は長い時間をかけて深めていくものだから・・・」
ピクッと秋穂の肩が動いた。
「だから、まだ「愛してる」なんて言えないけれど・・・」
爽太は息を吸い込んだ。そして、吐き出す時に、大きな声で言った!
「僕は秋穂さんが好きです!」
秋穂は驚いた顔を、泣きはらした顔を上げて、爽太を見た。
本当?
と、瞳が言っていた。
「本当です。世界中の誰よりも」
秋穂が大声をあげて泣きながら爽太の胸に飛び込んだ。怒ったような、嬉しいような複雑な顔をして、爽太の胸を何度も叩いた。
ふと、爽太を見上げた秋穂の目がゆっくり閉じた。唇が爽太を求めてわなないた。爽太も目を閉じて、ゆっくり唇を重ねた。
脳髄がしびれるような心地よさに包まれて、ふたりはキスをした。
唇が惜しむように離れた時、秋穂の唇から声が漏れた。
「スキ・・・」
そのとき、秋穂から光の粒子が洪水のように溢れた!
爆発的に広がって、なにもなかった空間を、あっという間に星の海へと変えていった!
「これは・・・新しい宇宙だ!新しく産まれていく子供の霊魂だ!」
なぜか爽太にはそれがわかった。それと、アニマロイドの元となる、人々の霊子が、秋穂から産まれて宇宙へと、宇宙中の人々へと配られていった。
「やったー!爽太さん!」
柊の声が響いた。
「終わりの霊子が始まりの霊子に反転しました!人類は滅亡なんてしなくなりましたー!」
○
「おめでとー!やったーっ、すごいじゃん!」
「おめでとうございます~」
爽太と秋穂が家に帰ると、リビングの入り口でクラッカーがはじけた。
のどかと灰猫がパーティーの準備をして待ちかまえていたのだ。
「僕はなにもしてないけどね」
爽太が言うと、灰猫がからかうように答えた。
「なにもしなかったのなら、秋穂がどうして、そんな顔してんのさ」
秋穂は真っ赤な顔をしてフワフワとしたあしどりで地に足がついていない。
「謙遜しないでください~、爽太さん。あなたは世界を救ったのです。もっと胸をはって~」
のどかが両手をあげて喜ぶ。
そうして、飲めや歌えやのパーティーが始まった。
パーティーが終わって、爽太がベランダで涼んでいると、柊がやって来た。その顔を見て、爽太は不思議そうに言った。
「柊・・・さん?」
どこか緊張した面持ちで、決意するかのように、柊が爽太に告げた。
「爽太さん、私を連れて過去に帰って欲しいのです!」
「えっ?!」
突然の申し出に、爽太は一瞬、言葉を失った。でも、すぐに本音が口をついた。
「嫌です!僕は秋穂と一緒に未来で生きるんです!」
申し訳なさそうな顔をして、柊が説得を始めた。
「ごめんなさい、爽太さん。私、あなたに黙っていたことがあるんです。この未来の文明を支える科学技術は2000年前、未来から1人のコールドスリーパーが連れて戻ったアニマロイドによって、もたらされたのです。そのアニマロイドの名前は、柊。つまり、私です。そして、私を過去に連れ戻ったコールドスリーパーが明石爽太・・・、そう、あなた。爽太さんなのです!」
二の句を告げられない爽太に柊がたたみかけた。
「今、この未来があるのは・・・、この未来の文明が始まったのは、爽太さん。全てあなたがやったことなのです!あなたが、ここで過去に帰らないと、この未来は最悪、なかったことになってしまうかもしれない!」
絶句する爽太に柊がとどめをさした。
「秋穂もいなかったことになってしまうのですよ・・・」
その言葉に、爽太は泣きそうになった。そしてあえぐように言葉を漏らした。
「僕は過去に・・・」
ガシャーン
ベランダの入り口でガラスの割れる音がした。飲み物を持ってきた秋穂が聞いていたのだ。
秋穂が泣き出しそうな顔をして爽太にかけより、すがるように服の裾を強くつかんだ。
爽太が秋穂の瞳を覗きこんだ。
イカナイデ
ズキ・・・
秋穂から伝わってくる心に爽太の胸が傷んだ。抱きしめようと両手が動く、その手が空中で止まって震えた。
ついに両手は秋穂の肩を掴んで、すがりつく秋穂を引き離した!
「必ず帰って来る!」
強い決意で秋穂の瞳を見つめた。
「僕を信じて!」
秋穂はいやいやをして、でも、うなずいて、うつむいた。そして、顔を上げて爽太に告げた。
「始まりとつながった終わりの始まりは生き生きとした生命力に溢れたものになる。それは始まりの始まりも同じ・・・」
そう告げると無理やり笑顔をつくって爽太に語りかけた。
「始まりの始まりを生命力でみたしてあげて」
明るくそう言った。
「秋穂さん・・・?」
爽太はここで疑問の声をあげた。秋穂が掴んだ服の裾をはなしてくれないのだ。
「過去に帰って」
秋穂が、なお、言った。でも、はなさなかった。
「秋穂~」
「秋穂!」
そんな秋穂をのどかと灰猫が抱きしめた。
「爽太さんが必ず戻ってくるって言ってるんだから~」
「そうそう。おとなしく待ってようよ」
抱きしめたまま、やさしく引き離す。
つくられた笑顔が震えながらみるみる間に崩れ、秋穂はこらえきれず、のどかと灰猫に振り返って、その胸に抱かれて泣きじゃくった。
のどかが爽太を見て言った。
「私も帰ってきて欲しいと願います~」
灰猫もそれに言葉をそえた。
「この家、男手がないんだから、はやく帰ってきて力を貸してよね」
爽太はふたりの目を見つめた。強く視線に力を込めて、言った。
「うん、必ず!」
○
「終わりの霊子が無事、始まりの霊子に反転したようだな」
「はい。それにより子供の出生率とアニマロイドのヌイグルミ化が劇的に改善されました」
「人類の滅亡は無事、回避された・・・と、見ていいだろう」
明石大社の最深部の部屋で、柊に開祖と呼ばれていた神官と、1人の巫女が話をしていた。
「宇宙には実は果てがあったのではないだろうか?その宇宙の果てという無に飛び込み愛を示すことで新たな宇宙と生命が産まれたのではないだろうか?」
宇宙はそうやって、子孫を残していく、生命体なのではないだろうか。
「宇宙には無がありません」
どこか柊に似たアニマロイドが淡々と事実を述べた。
「宇宙に果てがないように、人類にも寿命がなかった。と、いうことか」
神官がつぶやく。
「それにしても、新たな宇宙と生命を産んだのが、たった1人の女性というのは、どうなんだろう?」
とんでもなく無茶苦茶な話ではないだろうか?
「いいんじゃないでしょうか」
柊の一番目の娘、榊の言葉に意外性を感じて神官が聞いた。
「どうしてだい?」
「イブから人類が産まれるのは常識です」
んな、無茶苦茶な。
「あなたは、すぐに帰らなくていいのですか?」
榊が神官の顔を見た。その顔は・・・。
「爽太さん」
そう、爽太だった。過去に戻り、柊と共に未来の文明の基礎を築き、不老となって2000年、恋人を待ち続けた爽太の顔だった。
爽太は、どこか煮え切らない様子で言った。
「2000年も待ってると待つことが普通になっちゃって・・・」
もどかしさにイラッとして、榊が言った。
「ごちゃごちゃ言ってないで、さあ、お帰りなさい」
榊はここで、一度、呼吸を入れて、その顔に、柊の微笑みを浮かべて。
「あなたの、未来家族のところへ」
2016年7月2日 Papp
おしまい