二年後の世界
「問題ありませんね。あとは何か気になることがあったときに来てくれればいいですよ」
退院して一か月。
定期健診で病院を訪れた私に医師はそう告げると、復職のための書類にサインをしてくれた。
退院後、両親からは実家に戻ってくるように言われたのだけれど、前の会社に復職するには実家は遠すぎた。
なので、朝起きた時と夜寝る前に必ず連絡するという条件付きで、元の部屋に住むことにした。
娘が三か月も失踪していて、しかもその間のことを何も覚えてない状況だ。
実家に戻ってきて欲しい両親の気持ちは痛いほどわかったけれど、こんな状態の私を受け入れてくれる会社はなかなかない。
これからのことを考えて両親も渋々了承してくれた。
部屋は母親が頻繁に来てくれていたお陰ですぐに住むことのできる状態だった。
放置してしまったアプリ上のショップはお詫びと必要な手続きをして閉めた。
仕事も周りのサポートのお陰で嘘みたいにスムーズに復職できた。
八時半出社、十七時半退社。残業は基本なし。
全てが以前と同じ。ただ少し違うのは。
仕事が終わってからアクセサリーの夜間スクールに通い始めたこと、と、休日に図書館に通うようになったこと。
いつかマダムの店に戻れたときのために、本格的に勉強しておきたかったから。
いつかあの世界に戻れるように、少しでも情報を探したかったから。
それから二年の時が過ぎた。
「できた~」
夜中の作業場で一人、出来上がったアクセサリーを見て声を上げる。
彫金を専攻した私は卒業制作にイヤーカフとバングルを選んだ。
イヤーカフは、あのホタル石とガーネットのそれだ。
シンプルだったシルバーの部分に模様を彫った。
そして、同じ石のバングルも創った。
もちろんこの世界で宝飾合成なんてできないから、石を探して、シルバーの部分にイヤーカフと揃いの模様を彫り込んで。
卒業制作は一組で十分なんだけれど、二組創ったせいで他の生徒よりかなり時間がかかってしまった。
いつも夜中まで残って作業していたので、学校に住んでいるんじゃないかと言われたくらいだ。
「あら、今日も遅いのね」
「あっ、すみません。もう帰ります」
スクールに通い始めた頃から彫金を教えてもらっている講師の杉先生に声をかけられて、慌てて頭を下げる。
「構わないわよ。私もまだ作業中だし」
杉先生はスクールの講師もしているが、本職は自分でお店を持っている彫金職人だ。
何度か作品を見せてもらったこともあるけれど、本人の性格そのままの華やかで大胆なアクセサリーを作る方だ。
「できたの?」
「はい」
そう言って私の手元をのぞきこむ杉先生に少し緊張しながら二つのイヤーカフとバングルを見せる。
「悪くないわね。丁寧に出来ている」
「ありがとうございます」
真剣な顔でイヤーカフとバングルを眺める杉先生の口から零れた言葉にホッとする。
もちろん自分なりに精一杯頑張ったつもりの作品だけれど、こうやって合格点をもらえるとやっぱり安心する。
向こうの世界でもマダムにアクセサリーを見せるときは、いつもこんな感じだったな、とつい懐かしくなってしまう。
「で? 誰にあげるのかしら?」
「へぇ?」
と、つい思い出に意識を飛ばしていたら、にやにやと笑いながら私をのぞき込む杉先生と至近距離で目があって変な声がでてしまう。
「何、変な声だしているのよ。カリンでしょ? この模様。花言葉は確か……」
「あっ、こんな時間だ! 私、もう帰らないと!」
杉先生の言葉を遮り、慌ててアクセサリーをしまって作業場から出て行こうと立ち上がる。
「あっ、ちょっと待ちなさいよ!」
「明日も仕事あるんで~」
呼び止める杉先生を無視してドアへと向かう。
「もう! カリンの話じゃないから、待ちなさいって!」
急に杉先生に腕を掴まれて、思わず前のめりに転びそうになる。
「ちょっと真面目な話なの。とりあえず、座って」
「えっ……」
そのまま杉先生に手を引かれ、私は元の場所に戻って席に座らされる。
杉先生が私の隣に腰を下ろして、真剣な顔で口を開く。
「ねぇ、卒業したら私の店にこない?」
「えっ?」
「仕事は堅実だし、作品は地味だけど私にはない可憐さがあっていいわ」
思ってもみなかった話に私は目を丸くする。
「そんな、私なんて」
「今、答えをださなくていいわ。卒業までに考えておいて。自分で言うのもなんだけど、悪い話ではないと思うわよ」
そう言うと杉先生は手をヒラヒラと振りながら、さっさと作業場を出て行ってしまった。
「帰るか……」
予想外のお誘いに茫然としてしまったが、いつまでも作業場に残っているわけにもいかない。
イヤーカフとバングルをもう一度丁寧に鞄にしまい直して、私も作業場を後にした。
「唯一の恋」
自分の部屋に帰ってきた私は改めてイヤーカフとバングルを机にだして、一人呟く。
杉先生が言いかけたカリンの花言葉。
これを彫っている間、ずっと考えていた人がいる。
これを渡したかった人。そして、多分もう二度と会えない人。
作業場が使えない休日には図書館に通い詰めた。
自分のような失踪者の記事がないか、かなり古い新聞まで調べたけれど何も見つからなかった。
インターネットはファンタジーかオカルトしか見つからず、手掛かりすら見つからなかった。
「もう寝なくちゃ……」
明日も仕事なのは本当だ。そろそろ寝ないと支障がでる。
徹夜ができるような年齢ではないしね。
イヤーカフとバングルを丁寧にしまい、せめてシャワーを浴びて寝ようと立ち上がった瞬間。
「えっ?」
目の前に突然現れた真っ白な光に驚きの声が零れる。
何が起こったのかわからず立ち尽くす私の前で光はどんどん大きくなり、部屋全体を照らすほどになる。
そして、同じくらいの速度でだんだんと光が収まっていく。
「……!」
人は本当に驚いた時には声がでないのだと初めて知った。
目の前に現れたのは……
「よっしゃ! 成功っす!」
「へっ……」
嘘でしょ? 夢? 私、とうとう妄想まで見るようになったの?
「話したいことはたくさんあるんすけど。……とりあえず抱きしめていいっすか?」
「ふぇ……」
勝手に涙が込み上げてきて、目の前がにじむ。
ちゃんと見たいのに、確かめたいのに、これじゃ良く見えない。
「すみません。返事、待てないっす」
右手を引かれたと思った次の瞬間、私は目の前の人の腕の中にいた。
「ホタルさん、会いたかった」
その言葉に返事がしたいのに、上手く言葉がでてこなくて、私はただうなずくことしかできなかった。
登場人物はノームさんを除いて宝石の名前をもじっているのですが、杉先生もスギライトです。
日本で見つかった石で、日本人の名前にちなんでつけられた石です。




