急いでいても足元注意
「ホタル、お茶にでもしないかね? お昼はとっくに過ぎとるぞ」
お休みを使って久しぶりに領主様のお庭に来ていた私はノームさんの声にハッとする。
「えっ? 本当に?」
「邪魔をするのも悪いかと思ったんじゃが、根を詰めすぎるのもよくないぞ」
「すみません」
ノームさんの淹れてくれたお茶を飲みながら謝る。
ちなみに、今日はゴシェさんの夏に向けての新作タルトの試作品がお茶のお供だ。
レモンたっぷりのタルトは爽やかで初夏にぴったり。
一緒にと持たせてくれたモルガのレタスとハムのサンドイッチは、パンがクルミパンで、食べ応えが抜群だった。
「構わんよ。それよりホタルのお眼鏡にかなうような植物はあったかな?」
「もちろん!」
その言葉に力一杯うなずいて、スケッチブックを開いて見せる。
久しぶり、といっても二週間程しかあいていなかったのに、お庭はすっかり夏の様相を呈していた。
ノウゼンカズラ、オイランソウ、サクララン、サルスベリ、アベリア、スイフヨウ、どの花もノームさんの手が行き届いていて、自然なまま生き生きと咲いていた。
あれもこれもとスケッチしていたら、すっかり昼ごはんを忘れてしまったほどだ。
「ほう、随分たくさん描いたのじゃな。どれも良く見て描いておる」
私の絵を見て、ノームさんが嬉しそうに目を細める。
そんなノームさんに一つずつ絵を見せながら、その植物についての話を聞いていると。
「おや?」
スケッチブックから顔を上げてノームさんが首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「いや。ホタル、どうやらお迎えがきたようじゃぞ」
「えっ? ジェードが? なんで?」
特にジェードにお迎えをお願いしていたわけでもないので、思わずびっくりした声を上げる。
時間だってまだお昼過ぎで、乗合馬車が終わる時間はまだまだ先だ。
何かあったとか?
「いや、迎えにきておるのはリシアじゃよ」
「えっ? リシア君?」
ノームさんから告げられた名前にますます驚く。
「随分慌てているようじゃな。仕方ない。我が先に行っておくから、ホタルは後からおいで。ノウゼンカズラのところで落ち合おう」
「はい。ありがとうございます」
あっという間に消えてしまったノームさんを見て、私も切り株のテーブルの上を簡単に片付けて約束した場所に向かう。
「あれ?」
ノウゼンカズラが見えてきたと思ったら、なんか、やたらペコペコと頭を下げている黄緑の頭が一緒に見えてきた。
リシア君、もしかして何か謝ってる?
「すみません!」
近づいてみるとやっぱりリシア君が足元のノームさんにしきりに頭を下げているところだった。
「あの、どうしたんですか?」
「あっ! ホタルさん!」
「ようやく来たか」
私の言葉にノームさんとリシア君が同時に声を上げる。
「石板の装置、できたっす!」
「えっ! 本当?」
「はい! 早くホタルさんに知らせたくてマダムの店にいったらここだって聞いて」
「うわぁ、わざわざありがとうね」
リシア君の言葉に私はお礼を言う。こんなすぐにできるなんて、さすがだ。
「リシア! それだけじゃないじゃろ。慌てていたとは言え、こんなに植物たちを蹴散らしおって!」
「あっ! それは本当にすみませんでした」
ノームさんの言葉に周りを見ると、なるほど、リシア君が通ってきたであろうところの植物が見事に踏まれてしまっている。
「あぁ、それで謝っていたのね」
「はい。俺、夢中になると周りが見えなくなるって良く言われるんす」
私の言葉にリシア君がシュンと項垂れる。
「全く。ところで石板の装置とは何のことじゃ?」
そっか、ノームさんにはまだ話してなかった。
お茶しながら話そうと思っていたら、スケッチに夢中でお茶そのものを忘れてしまっていたし、お茶を始めたらすぐにリシア君がきてしまったものね。
「ノームさん、あのね……」
これまでのことをかいつまんでノームさんに報告する。
「なるほど。想いを素材にする宝飾師か、良い能力じゃな」
「はい」
ノームさんはそう言ってにっこり笑ってくれた。
私も笑顔でうなずいて、ノームさんと私の間に穏やかな空気が流れたのだけれど。
「あっ! そうだ! ノームさん、お願いがあるっす」
突然大きな声を上げたリシア君に、私もノームさんもビクッと肩を跳ね上げる。
「な、なに? リシア君、どうしたの?」
ノームさんより先に声を上げた私にリシア君が謝りながら話を続ける。
「あっ、すみません。あの、石板の装置はもちろん改良版なんすけど、ほら、前回があれだったでしょ? さすがにマダムの作業場を借りるのは」
リシア君の言葉に思わずうなずく。
前回は石板ごと木っ端みじんの大爆発だもんね。
「なんで、領主様のお庭の隅っこを借りれないかなって」
そう言ってリシア君はノームさんを恐る恐るのぞき込む。
確かに領主様のお庭なら広いから、場所を選べば人が全然いないところもたくさんある。
多少の爆発を起こしても人に迷惑はかからなそうだけれど。
「ふむ。少し遠くてよいのなら、果樹園の先に河原がある。あそこならば植物もないし、問題はなかろう」
ノームさんの言葉にリシア君が、じゃあ、と目を輝かせる。
「じゃが、まずはお主の踏んでしまった植物の手当からじゃ! この馬鹿者が!」
飛び上がったノームさんに頭をペシリと叩かれてリシア君が、すみません、とまた頭を下げる。
「あの! 私も手伝います」
遠慮するリシア君に、いいから、と言ってお手伝いを申し出る。
私のためにきてくれたんだもの。これくらいはしないとね。……とこの時は思っていたのだけれど。
「「終わった……」」
最後の植物の手当が終わると、私もリシア君も地面に崩れ落ちた。
もちろん、植物を踏んでしまわないように気を付けることだけは忘れない。
ノームさんの指示のもと、リシア君が踏んでしまった植物の手当をすることを数時間。
どうやらリシア君は私を探してお庭を縦横無尽に走り回ったらしく、全部が終わるころには日が沈みかけていた。
「お疲れ様。お茶でも、と言ってやりたいところなんじゃが、そろそろ最終の乗合馬車の時間じゃぞ」
ノームさんの言葉に私もリシア君も飛び起きる。
「まじだ」
「噓でしょ」
ノームさんへの挨拶もそこそこに、二人で乗合馬車の停車場に向かって走り出す。
「場所を貸すのは構わんから、いつでもくるがよい」
そんな私たちにノームさんが大きな声で言ってくれた。
20000PVを達成しました。夢みたいですごく嬉しいです。
読んでくださる皆さんのお陰で書き続けてこれました。
物語もいよいよ終盤です。最後までお付き合いいただけたら本当に嬉しいです。