≪1-9≫ 冒険者誕生②
冒険者の資格試験は、座学と実技に分けられる。
座学はいわゆるペーパーテストが二種。ただし口頭試問も可能。
一般座学試験はギルドの制度の基本的な理解、野外活動と魔物についての基礎的な知識を問うものだ。
これはあくまでも冒険者としての資格を出す上で問題のありすぎる人物をふるいに掛けるための試験なので、多少知識がある者ならほぼ全問正解が可能だ。
職種別座学試験では、技能と理論に関して初歩から専門的内容までが問われる。
これは実技の結果と併せて見ることで、新規の冒険者を飛び級させるかどうかの目安にする試験でもある。
アニスは敢えて途中から間違い、途中から白紙で提出した。
――こんな問題、目ぇつぶってても満点取れるが……それはダメだ、目立ちすぎる。
ヴォルフラムが15歳の時に発表した高等魔術理論の問題が二つもあったのはちょっと笑ってしまった。
しかしそれは普通なら新米魔術師が知るはずのない知識。その問題は白紙で提出した。
実力以上に目立ち、人目を引くことは可能な限り避けなくてはならない。
――あの鬼畜眼鏡が俺の存在に気が付いた時点で何もかも終わりだ。奴がどこまで情報網張ってるかは分からんが……力を付けるまでは慎重に行かないとダメだ、潰される。
ヴォルフラムに対するトゥダの執着は常軌を逸している。そもそも悪魔なのだから存在の時点で常軌を逸してはいるが。
そしてあの時、トゥダは一応レティシアの姿を見ていて、彼女とヴォルフラムに交流があったことを知っている。
普通なら、ヴォルフラムがレティシアの死体に魂を移して目を欺いたなんて奇想天外すぎて考えつきもしないだろうが、ヴォルフラムの死後に突如として現れたアニスがあまりにも優秀すぎたら正体に気付きかねない。
本当なら顔を変えるなり、冒険者になるにしてもここから遠く離れた街へ行ってそこで活動開始したかった。だがそれは伝手も路銀も無い以上、現実的に難しいだろうと妥協したのだ。
と言うわけで職種別座学試験の方では、あくまでその辺に居る魔術師の知識の水準を装ってテストを提出した。
最後に実技試験。
これは魔術師の場合、戦闘用の魔法を一つ使えれば可、という程度のもので、≪風刃≫の魔法をアニスが使ったらそれでもう試験は終わった。
初級者に任せる依頼は本当に簡単だからこれで充分だし、しかも冒険者の技能は実践と実戦の中でこそ成長していく。仕事をさせる中で成長を見ていき、その後の昇格試験で評価していくという方針らしかった。
* * *
試験翌日。
「おめでとうございます。あなたの行く先に勝利がございますよう」
再び冒険者ギルドを訪れたアニスは、晴れて合格を告げられ、決まり文句的な祈りの言葉と共に冒険者証の交付を受けた。
ミスリル製の冒険者証には『アニス・アニマ』と名が刻まれ、さらに種族や職種、冒険者等級を示す記号が刻印されている。
白銀色の金属・ミスリルは軽量で頑丈、さらに魔法的な加工に適している。冒険者たちが持つ身分証は全てミスリル製だ。これには『割り符の魔法』が掛けられているのだと説明された。
アニスが認定された冒険者等級は、1から10まであるうち最低の『1』。
飛び級は無しだ。もっとも、大抵の冒険者はそうなので別におかしなことではない。実力相応の評価でもある。
「装備品の貸出制度があると聞いたんですが」
冒険者証を受け取るなり早々、アニスは調べておいた制度についてマリアンヌに問い合わせる。
名目上のものに近いが、冒険者一人一人に、一応の担当者が付けられるものらしい。アニスの場合はちょうど窓口で応対した彼女。マリアンヌという名の管理官だ。
濃緑色のブレザー風制服を完璧に着こなす彼女は、理知的で落ち着いた雰囲気を漂わせる、三十路過ぎくらいの人間の女性。鋼色の髪を冠のように編んだ特徴的な髪型だった。
マリアンヌは堂に入った営業スマイルで応じる。
「はい。ギルドでは職種や冒険者等級、実績に応じて装備品の貸出を行っています。あなたの場合でしたら……」
十分後。
アニスは裾が地面に付きそうなフード付きの真っ黒ローブを服の上から着て、渦巻く雲のようなデザインをした長さ40センチほどの木製の短杖を持っていた。
ローブの方は、≪着火≫の魔法を弾ける程度の魔法防御力があるだけ。サイズも合ってない。
杖も最低限、魔法を安定化させる能力はあるようだが、それだけの代物だった。
――まあ、そうだよなあ。なりたての冒険者なんて、どこの馬の骨とも分からんチンピラみたいなもんで信用も無い。そういう奴らに持ち逃げされてもいいレベルの装備しか貸し出せねえわな。
それでも今の俺の実力にゃ、相応の装備だ。笑えてくるぜ。
あまりの落差だった。
かつて英雄ヴォルフラムが使った装備品は、それ一つで誰かの人生が買えるような高額品ばかりだった。もちろん値段に見合うだけの性能も秘めていて、特に愛用していたケープはドラゴンの爪さえ受け止めて致命傷を防いだことのある逸品だ。
先日のトゥダとの戦いの際にも身につけていたが……さて、粉微塵に吹き飛ばされたやら、戦利品として持ち帰られたやら。
嘆いても仕方がない。
どうせ新米冒険者に任される仕事など、この装備でこなせるような内容なのだから。
「依頼はそこに張り出されるのを探せば良いんですか?」
ギルド支部のロビー、受付カウンターの脇には巨大な掲示板があり、そこにはあれやこれやと大量の紙類が張り出されていた。
「はい。ただ、難度や危険度が低い依頼はすぐに売り切れてしまうので……この時間に残っていてあなたが受けられるような依頼は、あまりお薦めできないものが多いですね。
朝九時に来ていただけますと、良い依頼があるかも知れません。まとめて受注している依頼や定期的な依頼は朝九時にまとめて張り出されますから」
アニスは大きすぎる掲示板を眺め歩く。
依頼受諾の条件に、等級や職種が指定されているものも多く、第一等級の冒険者が受けられるものはドブ掃除くらいしか見当たらなかった。それは本当に冒険者の仕事なのか疑問だが、ヒマと力を持て余した初級冒険者が糊口をしのぐために、こういう依頼を受けざるを得なかったりするのだろう。
「こっちはネームドモンスターの手配書……こっちは、ダンジョンか」
掲示板は大雑把に区切られていた。
アニスが目を付けたのはダンジョンの掲示だ。
ダンジョンとは、この世界のあちこちに忽然と現れる地下迷宮のこと。
世を徘徊する魔物たちは、全てこのダンジョンから出て来たモノたちだ。
ダンジョンに飛び込み、最深部で待ち構えるボスを倒せばダンジョンは機能停止して、やがて消滅する。放っておけば地上は魔物だらけになってしまうので、ダンジョンが生まれてはそれを潰すという無限のいたちごっこを人族は強いられているのだ。
そして、その大半は冒険者の仕事だった。
「ここの情報を見てダンジョンを潰しに行ってもいいんですよね。それで報酬が出るっていう」
「そうですね。ただ、仕事に慣れてきた方であればダンジョンアタックもお願いしたいのですが、初仕事でダンジョンへ潜るのはお薦めできません」
「やっぱり増えてます? ダンジョンの生成」
「ええ。魔物が増えているという事は、ダンジョンが増えているという事ですから」
四代目魔王が生まれたことでダンジョンの生成も活発化している様子で、報告されたダンジョンの情報を掲示するスペースはなかなかの活況を呈している。
これも魔王と同じ、世界の自滅機構なのだ。
掲示にはダンジョンの位置と発見日時、内部をうろつく魔物などの情報がまとめられている。
――出現する魔物が分かれば、脅威度も大体分かるし、まずは入り口付近の様子を見て調査報告だけするんだな。調査日が書いてあるのは、時間が経つとダンジョンが育って強い魔物が出るようになるからか。
いきなりダンジョン攻略に手を出すのもどうかと思いつつ、アニスは自分でも行けそうなダンジョンが無いか探してみる。
「これなんか『推定脅威度等級:1』だから初心者でもいけるって判定か。放置されてるのは街からちょっと遠いからだな。
確認された魔物は、ブルースライム、ゴブリン、ジャイアントバットに……」
その時、看過できぬ記述を発見しアニスの心臓が弾んだ。
「パープルスライム……!?」
反射的にアニスは提示を引っぺがす。
「コラ! お前、何をしてるか!」
ちょうど掲示板の前を通りかかった者がアニスの蛮行を咎める。
恰幅の良い初老の男で、マリアンヌと同じようにギルド制服のブレザーを着ていた。
、アニスは剥がしたダンジョン情報を手に、彼に迫る。
「このダンジョン。パープルスライムが出るって事は『侵略拠点ダンジョン』ですよね?
いや、ギルド内でどう呼ばれてるかは知らないですけど……」
『侵略拠点ダンジョン』とは、ある種の特別なダンジョンを指す言葉だ。
だいたいこの世には常日頃からダンジョンが存在するのだが、魔王が居る間だけ生まれうる特別なダンジョンがある。
ほとんどは普通のダンジョンと同じだが、生まれる魔物が違う。
他の魔物たちへの命令権能を備えた『指揮種』が発生するのだ。
指揮種の魔物たちは放っておくとダンジョンを出て、周辺地域の魔物たちをまとめ上げて人族世界への侵略を開始する。
その時、人族は『群れ』ではなく『軍』を相手にすることになる。
本能的に人を襲うだけではなく、計画的に攻撃を仕掛けてくる魔物たちがどれほど厄介なことか。先代魔王と戦ったヴォルフラム=アニスは痛いほど身に染みて知っている。
少なくとも、街一つくらいは簡単に地図から消える。
男は眉間に皺を寄せてアニスの言葉を聞いていた。
「……なんだというのだ? 私は忙しいんだ。どけ。
それから、その掲示は元通りに戻しておけ。処分の対象になるぞ」
男は……アニスにとっては信じられないことに……煩わしげに、追い払うように手を振って立ち去ろうとする。
だが、アニスは即座に回り込んで食い下がった。
「パープルスライムは弱いし知能も皆無で、およそ統率能力らしい力は持たない魔物ですが、分類としてはゴブリンコマンダーなんかと同じ『指揮種』です。
『指揮種』が生まれるダンジョンは『侵略拠点ダンジョン』以外あり得ません。発見した以上、掲示して攻略者を待ったりしないで、ギルドとしてすぐに動く規定ですよね?」
矢継ぎ早にまくし立てるアニスの言葉を、男は唖然として、目を白黒させながら聞いていた。
しかしやがて、彼は顔を真っ赤にしてアニスを睨み付ける。
アニスはヤカンが沸騰する音の幻聴を聞いたような気がした。
「私は忙しいとっ……言っただろうが!」
怒りの爆発を『雷が落ちる』と表現することがあるば、その大声はまさに至近に雷が落ちたような勢いだった。
「シンリャクキョテンがなんだと!? お前が何を言っているかまるで理解できんわ! また、どこぞの詩人に与太を吹き込まれて魔物対策を勘違いしとる脳タリンか!
だいたいお前は私に指図できる立場だと思っているのか!? この私に向かってどういう態度だ!」
「え!? あの、ですから『指揮種』が……」
「黙れ! おい、お前は冒険者だな!? ならば冒険者証を提示せよ! ギルド規則の下に命ずる!」
わけがわからないのはアニスの方だ。
言われるがままに貰いたての冒険者証を出すと、男は明らかに馬鹿にした顔で鼻を鳴らした。
「ハン! 冒険者になりたてか。なら知らんでも無理はないな。
おい小娘、よく覚えておけ。私はこの冒険者ギルド支部の支部長、エーリヒ・クライゼンだ」
「支部長? あなたが?」
冒険者ギルドの職員は皆、同じ制服を着ているようだが、言われてみれば彼の胸に光るエンブレムは、マリアンヌのものより二回りくらい大きくて立派だった。
「でしたら話が早い!
このダンジョンは即座に対処するべきものですよね? ギルドとしての対応をお願いします」
エーリヒはアニスが黙らなかったことに面食らった様子だったが、すぐさま怒鳴りつける。
「いい加減にしろ! わけの分からんことをグチグチグチグチ……
私は支部長だ! お前が気安く口を利いたり、ましてや命令できるような立場ではない!
ギルドの方針に文句があるなら冒険者ではなくギルド職員になれ! 冒険者になったことで偉くなったつもりか!? 管理する側とされる側は違うんだ! 世の中のルールを勉強しろ、ガキが!」
「待っ……『指揮種』ですよ!? 『侵略拠点ダンジョン』が……」
「エーリヒ・クライゼンは冒険者ギルド・ジャムレ支部支部長として、冒険者アニス・アニマに一ヶ月の禁足を申し渡す!!」
アニスの言葉を遮って、ロビー中に響くような大声でエーリヒは宣言する。
「今後一ヶ月、お前は支部に出入り禁止だ!
その間に、自分がどんな過ちを犯したかよく考えておくんだな!」
エーリヒは苛立ちが収まらない様子で足音も荒くロビーを出て行った。
その背中をアニスは呆然と見送っていた。